| 調性が極限まで拡大した結果、12音技法が生まれました。それはなるべくしてなった必然の結果でした。ただ一般の音楽愛好者にはその良さ(?)はわかりにくいものでした。一般の音楽愛好者というのは例えば市場の魚屋さんのオバサンです。この辺りがクラシック音楽の根付き方が根本的に日本とは違うのですが。
譬えていうなら、その意味がわかる人にとっては見事で非常に美しい10ページにも及ぶ数学の証明みたいな(?)ものです。
「ええのかも知れんけど、あたしはもっとわかりやすいもんがええわ」 これが魚屋のオバサンの本音です(僕はオバサンの代弁者)。 そして実は作曲家自身が 「完璧なんやけどイマイチ心に響かんなあ」と思っていたのではないでしょうか(完全に僕の空想です)
シェーンベルク自身後年先祖返りのような作品を作っています。 バルトークも1920年代のかなり鋭い音楽から30年代になると調性がわかりやすくなり、40年代アメリカに渡るとさらに調性感が顕著になります。
こういう傾向をネオロマン主義というのかと思ってたら違うんですね。はっきりとした呼び名はついてないようです。とにかくその流れは世界的なものでした。ある意味その頂点に立っているのが武満徹だと思うのです。無調や12音技法の洗礼を受けた新たな調性感、僕は大好きです。
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