TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

■37251 / inTopicNo.1)  うましかさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2024/05/05(Sun) 16:30:15)
    2024/05/05(Sun) 16:30:52 編集(投稿者)

    うましかさん、お久しぶりです!

    No37244
    > あーもう五月にはいってしまった、、、やっとカント沼に浸かれる時間が、、、でもまた明日から、ジゴクの日々…(´;ω;`)ウゥゥ<

    おつかれさまです−
    私もできることなら一日中、本などを読んだり考えたり好きな事をしたいと思うけど、現実はしなくてはならない事がいっぱいでてきちゃいますよね
    ( ; ; )アァ

    今日はうましかさんの好きなことが、もしもできていたのなら、うれしいなと思いました♪

    > ◇ ところが、たとえア・プリオリな純粋認識の可能的演繹の唯一の様式、つまり超越論的な道をたどる演繹の様式が認められるとしても、このことによってはまさしく、この様式がかくも不可避的に必然的であるこということは明白ではない。<



    > ◇先に私たちは、空間及び時間の概念を超越論的演繹によってその源泉にまで追求し、そのア・プリオリな客観的妥当性を説明し規定した。
    >
    > ◇ にもかかわらず、幾何学は空間という根本概念の純粋で合法則的な素性に関して哲学に証明書を懇願するまでもなく、自身の確実な歩みを純然たるア・プリオリな認識を通じてたどっているのである。<

    空間概念は直観的に現実として得られるからかな??

    > ◇ しかしながら、この概念の使用はこの幾何学において〔も〕外なる感性界〔aussere Sinnenwelt外的感覚界〕にのみ関わるのであり、外なる感性界については空間はその直観の純粋形式であり、故にこの外なる感性界〔外的感覚界〕においては、全ての幾何学的認識はア・プリオリな直観に根拠づけられているので、直接的な明証性を持つ。また、その〔幾何学の〕諸対象は、その認識自身を通じてア・プリオリに(その形式に関して)直観において与えられるのである。<

    ウゥ、先ほど表を作って今抜け殻になっているので、よく考えられませんが、
    外なる感性界?
    あ、外的直観のことなのかなぁ?
    外的直観の純粋形式に根拠を持つ概念は、外的直観として表現することが可能ということ??
    全然違うかなぁ

    うましかさんはすごくお忙しそう、、、
    私は明日から仕事再開で、、、
    案外自由時間が出来ると良いんですけど、、、

    書き込みありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■37249 / inTopicNo.2)  図式の表を作ってみた日記
□投稿者/ pipit -(2024/05/05(Sun) 15:40:33)
    2024/05/05(Sun) 15:51:39 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは!

    No37159,37224,37226 の箇所の御子柴善之先生の訳を引用させていただきます。(pipitの日訳は間違えているかもなので…しかもNo37226は日訳もしてませんけど…)

    この箇所や前後の箇所から自分で考えて表を作ってみたので投稿いたします。
    写真はWikipediaより、カントのイラストはいらすとやさんからコピペして使わせていただきました。

    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cat_poster_1.jpg
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Grus_japonensis_in_flight_at_Akan_International_Crane_Center.jpg
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Triangle_illustration.svg
    https://www.irasutoya.com/


    (御子柴先生訳のカントの文章)※番号は御子柴先生による挿入

    『@私たちの悟性のこのような図式機能は、諸現象とそのたんなる形式にかんして言うなら、人間の魂の深みにある隠された技である。この技の本当のこつのなんたるかを、私たちがいつか自然から察知し、覆い隠されることなく眼前に捉えることは困難であろう。

    A私たちに言うことができるのは、次のことだけである。形像は、産出的構想力の経験的能力の産物であり、感性的概念の図式(空間における図形)は、ア・プリオリな純粋構想力の産物であり、いわば組み合わせ文字(モノグラム)である。形像は、こうした産物を介し組み合わせ文字をなぞることで、はじめて可能になる。したがって、形象はつねに図式---形像はこの図式の特徴を表示する---を介してのみ概念と結び付けられねばならず、それ自体ではけっして概念と一致しない。

    Bこれらに対して、純粋悟性概念の図式は、けっして形像化されえないようなものであり、もっぱら、概念一般に従った統一の規則---カテゴリーはこの規則を表現するものである---に適った純粋総合であり、また構想力の超越論的な産物である。
    この超越論的な産物は、内官一般の形式の条件(時間)に従った規定に関係する、すなわち一切の表象---それらが統覚の統一に適ってア・プリオリに一つの概念の中で連関するはずである限り---に関して、関係する。(A141f./B180f.)』
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、角川選書、p250より引用)
905×492 => 600×326

zusikineko.jpg
/102KB
引用返信/返信 削除キー/
■37244 / inTopicNo.3)  超越論的分析論\−7
□投稿者/ うましか -(2024/05/05(Sun) 11:35:24)
    2024/05/05(Sun) 11:36:06 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    お久しぶりですm(__)m


    あーもう五月にはいってしまった、、、やっとカント沼に浸かれる時間が、、、でもまた明日から、ジゴクの日々…(´;ω;`)ウゥゥ


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について

    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について

    ◆ 私たちは、今や既に二種類の概念を持っている。この二種類の概念とは、種類は全く異なるが、それでも、両者とも完全にア・プリオリに〔全ての経験に完全に依存せずに 〕対象と連関するという点においては互いに一致している。
    それら〔二種類の概念〕とは、つまり、感性の形式としての空間及び時間の概念と、悟性の概念としてのカテゴリーである。
    これらの諸概念〔空間・時間、カテゴリー〕について、経験的〔経験による〕演繹〔根拠づけ、権利づけ〕を試みようとすることは全く無益な仕事であろう。というのも、これらの諸概念〔空間と時間、カテゴリー〕の本性の特質とは、これらの諸概念〔空間と時間、カテゴリー〕が己の対象を表象するために、何ものかを経験から借りてくること無しにその対象と連関するという、まさにこの点にあるからである。
    それ故、もしこれらの諸概念〔空間と時間、カテゴリー〕の演繹が必要ならば、それはいつでも超越論的〔な演繹〕でなければならないであろう。

    ◆ しかしながら、私たちは、これらの諸概念についても、全ての認識についてと同様、それらの可能性の原理を探し出すのではない場合には、それらの産出の機会因をやはり経験において探し出すことができる。その時には感官の印象が、これらの諸概念に関する全認識能力を活動せしめ、経験をせしめる最初の機縁を与える。
    この経験は、二つの極めて異種的な要素、すなわち、感官に基づく認識のための実質〔質料〕≠ニ、純粋な直観〔作用〕及び純粋な思考〔作用〕の内的源泉に基づきこの実質〔質料〕を秩序づける、或る種の形式≠ニを含んでいる。こうした純粋な直観〔作用〕と純粋な思考〔作用〕は、実質〔質料〕を機会として、まず活動をはじめ、そして概念を産み出すのである。
    私たちの認識力〔Erkenntniskraft〕が、個々の知覚から普遍的概念へと高まろうとする最初の努力をこのように跡付けてみることは、疑いなく極めて有益なことであり、そのための道が初めて開かれたのは、あの有名なロック〔John Locke, 1632-1704〕≠フおかげであるとしなければならない。
    しかしながら、ア・プリオリな〔全ての経験に完全に依存しない 〕諸純粋概念〔空間と時間、カテゴリー〕の演繹〔根拠づけ、権利づけ〕≠ヘ、ロックの開いた道によっては決して成功することはない。何故なら、ア・プリオリな諸純粋概念の演繹は、徹頭徹尾この道にはないからである。
    というのも、経験には全面的に依存してはならないそうしたア・プリオリな諸純粋概念の将来の使用について、これらの諸純粋概念〔空間と時間、カテゴリー〕は、経験からの血統を示す出生証明書を示すことができなければならないからである。このような生理学的な〔physiologische〕導出の試みは、事実の問題(quaestionem facti)に関するので、そもそも演繹〔根拠づけ、権利づけ〕とは全く呼ばれることができないのである。なので、私はそうした導出を純粋認識の所有〔Besitzes〕≠フ説明と呼ぼうと思う。
    従って明瞭なのは、この純粋認識については超越論的演繹〔根拠づけ、権利づけ〕のみがあり得るのであって、経験的演繹は断じてあり得ないということであり、また、経験的演繹は、ア・プリオリな諸純粋概念に関しては、空しい試み以外の何ものでもなく、そうした試みに携わることができるのは、こうした純粋認識の極めて特異な本性を理解していない人だけでしかあり得ないということである。

    ―― No.36646,36657,36908 の続き ---

    ◇ ところが、たとえア・プリオリな純粋認識の可能的演繹の唯一の様式、つまり超越論的な道をたどる演繹の様式が認められるとしても、このことによってはまさしく、この様式がかくも不可避的に必然的であるこということは明白ではない。

    ◇先に私たちは、空間及び時間の概念を超越論的演繹によってその源泉にまで追求し、そのア・プリオリな客観的妥当性を説明し規定した。

    ◇ にもかかわらず、幾何学は空間という根本概念の純粋で合法則的な素性に関して哲学に証明書を懇願するまでもなく、自身の確実な歩みを純然たるア・プリオリな認識を通じてたどっているのである。

    ◇ しかしながら、この概念の使用はこの幾何学において〔も〕外なる感性界〔aussere Sinnenwelt外的感覚界〕にのみ関わるのであり、外なる感性界については空間はその直観の純粋形式であり、故にこの外なる感性界〔外的感覚界〕においては、全ての幾何学的認識はア・プリオリな直観に根拠づけられているので、直接的な明証性を持つ。また、その〔幾何学の〕諸対象は、その認識自身を通じてア・プリオリに(その形式に関して)直観において与えられるのである。

    † 原佑訳上巻、p.238〜p.239参照。 原典はMeiner, p.167〜p.168
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.96〜p.97、石川文康 訳 上巻,p.147〜p.148
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    \−7 No.37244
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244

引用返信/返信 削除キー/
■37226 / inTopicNo.4)  Re[32]: 純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 09:30:44)
    2024/05/02(Thu) 09:31:31 編集(投稿者)

    続きです
    No37224は、幾何学のような感性的概念の図式についてだったのですが、今回は純粋悟性概念の図式について述べるようです。


    On the other hand, the schema of a pure conception of the understanding is something that cannot be reduced into any imageーit is nothing else than the pure synthesis expressed by the category, conformably, to a rule of unity according to conceptions. It is a transcendental product of the imagination, a product which concerns the determination of the internal sense, according to conditions of its form (time) in respect to all representations, in so far as these representations must be conjoined a priori in one conception, conformably to the unity of apperception.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap56

引用返信/返信 削除キー/
■37225 / inTopicNo.5)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 09:16:23)
    三角形の概念が、
    『3本のまっすぐな線(直線)でかこまれた形』とするとき、

    https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/study_material/improvement/tokyo_basic_drill/files/math_pr02/2nen_kaisetu_9.pdf


    直角三角形(三角形の中で直角のかどがある三角形)も、鋭角三角形も、【三角形】に包摂されるので、
    【三角形】概念の唯一無二の映像化は不可能。

    どちらの包摂も可能となるのは、概念と形象の媒介に、概念を純粋直観としての空間に(制限範囲内で)自由に描き出すことを可能とする想像力があるから。
    想像力によるこの機能・仕事内容(概念の規定範囲内での映像指示)を、カントは『図式』と呼んでるのかな、と、思いました。
    勘違いしてたらすみません!
    一文解釈に要する時間が長ーーーーい ( ;∀;)

    No37224に返信(pipitさんの記事)
    > No37223
    > (英訳のpipit意訳・日訳)
    >
    > 我々が言えるのはこれだけのことです:
    >
    > 「イメージ(形象)は、生産的想像力の経験的機能の産物である。
    >
    > (たとえば空間における図形としての)感性的概念の図式は、純粋(非経験的)な想像力のアプリオリな産物であり、いわばモノグラムであり、それ(図式)にしたがってイメージは初めて可能になる。
    >
    > しかしながらイメージは、それらが指し示す図式によってのみ媒介的に概念と結びつけられるのであって、それ(イメージ)自体が概念に完全に適合することはない。」
    > と。
引用返信/返信 削除キー/
■37224 / inTopicNo.6)  Re[31]: 純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 08:40:34)
    No37223
    (英訳のpipit意訳・日訳)

    我々が言えるのはこれだけのことです:

    「イメージ(形象)は、生産的想像力の経験的機能の産物である。

    (たとえば空間における図形としての)感性的概念の図式は、純粋(非経験的)な想像力のアプリオリな産物であり、いわばモノグラムであり、それ(図式)にしたがってイメージは初めて可能になる。

    しかしながらイメージは、それらが指し示す図式によってのみ媒介的に概念と結びつけられるのであって、それ(イメージ)自体が概念に完全に適合することはない。」
    と。
引用返信/返信 削除キー/
■37223 / inTopicNo.7)  純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 07:26:30)
    2024/05/02(Thu) 07:29:23 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます♪
    続きです_φ(・_・

    Thus much only can we say:
    “The image is a product of the empirical faculty of the productive imaginationーthe schema of sensuous conceptions (of figures in space, for example) is a product, and, as it were, a monogram of the pure imagination a priori, whereby and according to which images first become possible, which, however, can be connected with the conception only mediately by means of the schema which they indicate, and are in themselves never fully adequate to it.”

引用返信/返信 削除キー/
■37220 / inTopicNo.8)  わからん日記
□投稿者/ pipit -(2024/05/01(Wed) 10:35:15)
    図式論わからんー、気が重ーい(T . T)
    と思ってますが、、、

    ふと、『標準化』という意味をきちんと知らないワードが頭に浮かび、
    検索したらちんぷんかんぷんで、『標準化 簡単に』で再検索したら、めちゃ簡易に教えてくれているページがありました。
    https://wa3.i-3-i.info/word17587.html

    私の脳に浮かんだ言葉が、図式論に関係あるのかないのかわかりませんが、

    一文だけでも進んでみるかぁ _φ(・_・
引用返信/返信 削除キー/
■37206 / inTopicNo.9)  たま日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/29(Mon) 00:15:52)
引用返信/返信 削除キー/
■37203 / inTopicNo.10)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/28(Sun) 17:14:50)
    キティさんの書き込み読んで、昔を思い出して検索してしまったー

    たま も好きだったなー

    ♪ さよなら人類
    https://youtu.be/xD2C0Ui-E-I?si=NELj6XSztPhQAjYH

    FMラジオも毎日聞いていました

    あっという間だったような

    遠い遠い昔のことのような

    すこし感傷的な気持ちになるなー
引用返信/返信 削除キー/
■37159 / inTopicNo.11)  純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/04/22(Mon) 20:54:32)
    みなさまこんばんはー
    続きです!

    (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    This schematism of our understanding in regard to phenomena and their mere form, is an art,
    hidden in the depths of the human soul, whose true modes of action we shall only with difficulty discover and unveil.

    (英訳のpipit日訳)
    現象や現象の単なる形式に関する、この我々の悟性の図式機能は、人間の精神(Seele)の奥深くに隠された技能(Kunst)であり、その真の操作法 (Handgriffe)を我々が発見して明らかにするのは難しいであろう。

引用返信/返信 削除キー/
■37137 / inTopicNo.12)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/18(Thu) 00:26:33)
    2024/04/18(Thu) 12:32:36 編集(投稿者)

    No37136

    個別の直観像 と 一般としての概念 をつなぐものとしての図式

    現実(像) と 概念 を つなぐ 想像力 

    現実(像) と 概念 を つなぐ 妄想力(パパンチャ・戯論)

    あー、中山元先生はご自身の解説として面白いこと述べられていました!
    (中山先生の解説文)
    『このような普遍性と抽象性をそなえたものが図式であり、これは知性の領域では言語に該当するものであろう。』
    (『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、光文社古典新訳文庫、p354)

    ふむー、pipitが勘違いしてるかもだけど、図式の働きとは言語の働きっぽいもの、ってイメージしてみてもいいのかなと思いました。

    言葉によってイメージが喚起されるし、直観像と概念の橋渡しもしますもんね。
引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -