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■36812 / inTopicNo.1)  純粋理性批判を読んでみる。53
  
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/15(Fri) 22:06:11)
    トピ主:pipitさん

    引き続きよろしくお願いします。



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■36814 / inTopicNo.2)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/03/16(Sat) 00:14:38)
    いつもありがとうございます。とても貴重な勉強の機会をいただいています。
    感謝ですm(_ _)m
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■36874 / inTopicNo.3)  純理「純粋悟性概念の図式について」B177
□投稿者/ pipit -(2024/03/20(Wed) 16:21:30)
    みなさまこんにちは♪
    はやく図式論(具体)に進みたーい
    B177
    J. M. D. Meiklejohnさん英訳をpipitが意訳・日訳しました。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap56

    Now it is quite clear that there must be some third thing,
    which on the one side is homogeneous with the category, and with the phenomenon on the other, and so makes the application of the former to the latter possible.
    This mediating representation must be pure (without any empirical content), and yet must on the one side be intellectual, on the other sensuous. Such a representation is the transcendental schema.

    今や第三の何か・・・一方ではカテゴリーと同質であり、他方では現象と同質であり、前者を後者に適用することを可能にするものが・・・あるに違いないことは明らかである。
    この媒介となる表象は純粋でなければならず(経験的な内容を含まない)、しかも一方では知的でなければならず、他方では感覚的でなければならない。このような表象が超越論的図式である。
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■36877 / inTopicNo.4)  純理「純粋悟性概念の図式について」B177
□投稿者/ pipit -(2024/03/21(Thu) 23:26:00)
    みなさまこんばんは(^ ^)続きです♪

    The conception of the understanding contains pure synthetical unity of the manifold in general. Time, as the formal condition of the manifold of the internal sense, consequently of the conjunction of all representations, contains a priori a manifold in the pure intuition. Now a transcendental determination of time is so far homogeneous with the category, which constitutes the unity thereof, that it is universal and rests upon a rule a priori. On the other hand, it is so far homogeneous with the phenomenon, inasmuch as time is contained in every empirical representation of the manifold. Thus an application of the category to phenomena becomes possible, by means of the transcendental determination of time, which, as the schema of the conceptions of the understanding, mediates the subsumption of the latter under the former.
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■36878 / inTopicNo.5)  純理「純粋悟性概念の図式について」B177
□投稿者/ pipit -(2024/03/21(Thu) 23:28:47)
    No36877英訳のpipit意訳・日訳

    悟性概念は、多様一般の純粋な総合的統一を含んでいる。

    時間---内的感覚の多様の形式的条件であり、したがって全ての表象の結合の形式的条件---は、純粋直観の中にアプリオリな多様を含んでいる。

    さて、【超越論的な時間規定】は、   
    普遍的でありアプリオリな規則に基づいてその統一を構成する限りではカテゴリーと同種的であり、
    他方では、
    時間が多様なあらゆる経験的表象に含まれている限りでは現象と同種的である。

    こうして、超越論的な時間規定によって、カテゴリーを現象に適用することが可能になる。
    時間の超越論的規定は、悟性概念の図式として、後者(現象)を前者(カテゴリー)の下に包摂させる媒介となる。

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■36879 / inTopicNo.6)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/21(Thu) 23:43:10)
    No36878に返信(pipitさんの記事)
    > No36877英訳のpipit意訳・日訳
    >
    > 悟性概念は、多様一般の純粋な総合的統一を含んでいる。
    >
    > 時間---内的感覚の多様の形式的条件であり、したがって全ての表象の結合の形式的条件---は、純粋直観の中にアプリオリな多様を含んでいる。
    >
    > さて、【超越論的な時間規定】は、   
    > 普遍的でありアプリオリな規則に基づいてその統一を構成する限りではカテゴリーと同種的であり、
    > 他方では、
    > 時間が多様なあらゆる経験的表象に含まれている限りでは現象と同種的である。
    >
    > こうして、超越論的な時間規定によって、カテゴリーを現象に適用することが可能になる。
    > 時間の超越論的規定は、悟性概念の図式として、後者(現象)を前者(カテゴリー)の下に包摂させる媒介となる。

    ??

    【超越論的な時間規定】が図式としてカテゴリーと現象の回路をつなげる、、、

    時間(受動)を規定(能動)する、、、

    【時間規定】という行為において、時間;受動的側面は現象に、規定;総合的統合という能動性はカテゴリーに、【時間規定】のそれぞれに対しての同種性を見る、ということなのかなぁ、、、

    今ここ(受動)、を、人生という一つの流れに総合的統一(能動)する、のが【時間規定】???

    全然違うかなぁ、少しずつでも読み進めてみます(T . T)
    おやすみなさいー ☆彡
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■36881 / inTopicNo.7)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/22(Fri) 20:28:59)
    いろんな解説書をパラパラとめくりまして、図式論の難しさ煩雑さに絶望的な気持ちが湧いてますが、、、

    とりあえず、行き先の目安に、道の先取りを、、、

    カントの文章の御子柴善之先生の訳です。
    『したがって、図式は、規則に従ったア・プリオリな時間規定に他ならない。そして、カテゴリーの順序に従って記すなら、図式は、一切の可能な対象にかんする、時間系列、時間内容、時間順序、最後に時間総体に関係するものである。(A145/B184f.)』
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著、p256より引用)

    ........._(┐「ε:)_

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■36882 / inTopicNo.8)  Re[7]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/03/22(Fri) 21:08:07)
    そういえば、時間規定、で、規定というからには時間への能動性がある雰囲気ですが、、、

    この図式論では、『私は、直観の覚知において時間そのものを産出する』(A143/B182)などと述べられているそうです。





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■36885 / inTopicNo.9)  Re[8]: 皿
□投稿者/ おくたがわ -(2024/03/23(Sat) 11:49:44)
    2024/03/23(Sat) 12:08:41 編集(投稿者)

    No36815に返信(pipitさんの記事)
    こんにちは。前の部分になります、すいません。
    > (訳文)
    > 『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』
    > (『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)
    >
    > (訳注)
    > 『ここで思考と直観の関係がずれているようにみえるので、ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。多くの邦訳も同じように読むが、あえて訂正する必要はあるまい。』
    > (同本p318より引用)

    面白いですね。
    原佑訳はファイヒンガー流、天野と石川康は原文のままでした。
    中山元さんのコメントは『カントの文章をそんなに厳密に考えても仕方あるまい』という投げやりを感じました(うそうそ)

    追記
    Xの永井さんの投稿

    永井均@hitoshinagai1 2023年3月24日
    『ものを書いているとき、わかりやすさと誤解の余地のなさとの選択で、ついつい妥協してわかりやすさを選びたくなってしまうことがあるが、カントを読んでいると一箇所もそういうところがなく、つねに必ず誤解の余地のなさを選択しているのがわかる。これは見倣うべき態度といわざるをえない。

    だれもそうはいわないけれど、カントは文章が非常にうまいと思う。しかし、これまたさらにだれも言わないことだけれど、概して哲学者は文章が極限的にといえるほどにうまいのではないかと思う。ひたりつくに値する文章が書ける人をほかにはあまり見ない。

    話はむしろ逆で、極限的にうまく書かないとけっして通じないようなことを言おうとしているから、ということであろうけれど。つまり、ひたりついて読んでもらわないと読みとれないようなことを書かざるをえない人をほかにはあまり見ない、ということ。』

    ******
    だって。すいませんすいません。
    しかし
    『だれもそうはいわないけれど、カントは文章が非常にうまい』
    永井さん以外誰も言わないことなんだからしょうがないよね。

引用返信/返信 削除キー/
■36889 / inTopicNo.10)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/03/23(Sat) 18:14:20)
    2024/03/23(Sat) 18:18:47 編集(投稿者)

    おくたがわさん、こんにちはー
    図式論がpipitの予想よりも超難解そうで、絶望感で倒れていたのですが、おくたがわさんの書き込み読んで元気でましたよー
    p(^_^)q

    No36885
    > こんにちは。前の部分になります、すいません。<

    1年前の返信でも嬉しいですので全くお気になさらずに♪

    >>(訳文)
    >>『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』
    >>(『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用)
    >>
    >>(訳注)
    >>『ここで思考と直観の関係がずれているようにみえるので、ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。多くの邦訳も同じように読むが、あえて訂正する必要はあるまい。』
    >>(同本p318より引用)
    >
    > 面白いですね。
    > 原佑訳はファイヒンガー流、天野と石川康は原文のままでした。
    > 中山元さんのコメントは『カントの文章をそんなに厳密に考えても仕方あるまい』という投げやりを感じました(うそうそ)<

    カントは(私にとっては)ほんとに不思議な人間です。
    捉えどころがないというか、、、また適当なんだからーと思いつつも、いや、まて、もしかして、、、と複数の可能性が頭に浮かぶことも多いです。

    > 追記
    > Xの永井さんの投稿
    >
    > 永井均@hitoshinagai1 2023年3月24日
    > 『ものを書いているとき、わかりやすさと誤解の余地のなさとの選択で、ついつい妥協してわかりやすさを選びたくなってしまうことがあるが、カントを読んでいると一箇所もそういうところがなく、つねに必ず誤解の余地のなさを選択しているのがわかる。これは見倣うべき態度といわざるをえない。
    >
    > だれもそうはいわないけれど、カントは文章が非常にうまいと思う。しかし、これまたさらにだれも言わないことだけれど、概して哲学者は文章が極限的にといえるほどにうまいのではないかと思う。ひたりつくに値する文章が書ける人をほかにはあまり見ない。
    >
    > 話はむしろ逆で、極限的にうまく書かないとけっして通じないようなことを言おうとしているから、ということであろうけれど。つまり、ひたりついて読んでもらわないと読みとれないようなことを書かざるをえない人をほかにはあまり見ない、ということ。』
    >
    > ******
    > だって。すいませんすいません。
    > しかし
    > 『だれもそうはいわないけれど、カントは文章が非常にうまい』
    > 永井さん以外誰も言わないことなんだからしょうがないよね。<

    引用ありがとうございます!
    webで公開中の永井先生の『純粋理性批判を掘り崩す』を読もうとチャレンジしても文章や文意が複雑で、すぐにわからなくなって、、、(ちなみに悪魔ちゃんの文章も難しくて意味を追えなくて、、、)

    永井先生みたいに物事を厳密に考える人は、カントの文章に『上手さ』を見れるのかなぁ!?
    Σ(・□・;)オドロキー

    まぁ、ひいきめがねで、「なんか美しいなー」とカントの文章が思える時はあるんですけど、、、
    はい、度数強めですね!


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■36890 / inTopicNo.11)  日記・包摂について1
□投稿者/ pipit -(2024/03/23(Sat) 20:13:03)
    みなさまこんばんは。『図式論』ゆっくりでも進もうと思います。
    概念の包摂についてイラスト化してみました。(いらすとやさんの素材を使用。)

    経験から作られる経験的概念・・・例えば『おにぎり』。
    経験的直観→→→『おにぎり』という概念が生成されたとき、
    →→に含まれる【条件】に各対象が当てはまるかを判断して、個別対象の概念への包摂が行われる。

    wikiよりその【条件】を抜粋してみると、
    『おにぎりまたは、おむすび、握り飯(にぎりめし)は、ご飯を三角、俵、円柱形などに成形し、海苔でつつんだ日本の食べ物。』
    とのこと。
    まず『おにぎり』概念への包摂のpipitイメージをイラスト化してみました。
    この条件は、元々現象から概念が形成される際の条件を抽象(?)したものなので、条件が対象に含まれているか否かを判断することで包摂も可能になるということかなと思いました。


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■36891 / inTopicNo.12)  日記・包摂について2
□投稿者/ pipit -(2024/03/23(Sat) 20:13:54)
    次に、純粋悟性概念への包摂のpipitイメージもイラスト化してみました。
    カント的には 感性的現象 と 純粋悟性概念(現象から作られた概念ではなく、知性にのみ由来している概念) は別種なのに、なぜ包摂が可能なのか・・・それは図式が仲介してるから・・
    ということかなと考えています。

    勉強続けてみます(´;ω;`)ウゥゥ


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