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■37159 / inTopicNo.1)  純理B181 図式論
  
□投稿者/ pipit -(2024/04/22(Mon) 20:54:32)
    みなさまこんばんはー
    続きです!

    (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    This schematism of our understanding in regard to phenomena and their mere form, is an art,
    hidden in the depths of the human soul, whose true modes of action we shall only with difficulty discover and unveil.

    (英訳のpipit日訳)
    現象や現象の単なる形式に関する、この我々の悟性の図式機能は、人間の精神(Seele)の奥深くに隠された技能(Kunst)であり、その真の操作法 (Handgriffe)を我々が発見して明らかにするのは難しいであろう。

引用返信/返信 削除キー/
■37137 / inTopicNo.2)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/18(Thu) 00:26:33)
    2024/04/18(Thu) 12:32:36 編集(投稿者)

    No37136

    個別の直観像 と 一般としての概念 をつなぐものとしての図式

    現実(像) と 概念 を つなぐ 想像力 

    現実(像) と 概念 を つなぐ 妄想力(パパンチャ・戯論)

    あー、中山元先生はご自身の解説として面白いこと述べられていました!
    (中山先生の解説文)
    『このような普遍性と抽象性をそなえたものが図式であり、これは知性の領域では言語に該当するものであろう。』
    (『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、光文社古典新訳文庫、p354)

    ふむー、pipitが勘違いしてるかもだけど、図式の働きとは言語の働きっぽいもの、ってイメージしてみてもいいのかなと思いました。

    言葉によってイメージが喚起されるし、直観像と概念の橋渡しもしますもんね。
引用返信/返信 削除キー/
■37136 / inTopicNo.3)  Re[28]: 純理B180 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/04/17(Wed) 23:53:18)
    2024/04/17(Wed) 23:55:16 編集(投稿者)

    みなさまこんばんはー
    続きです!

    Still less is an object of experience, or an image of the object, ever to the empirical conception.
    On the contrary, the conception always relates immediately to the schema of the imagination, as a rule for the determination of our intuition, in conformity with a certain general conception.
    The conception of a dog indicates a rule, according to which my imagination can delineate the figure of a four-footed animal in general, without being limited to any particular individual form which experience presents to me, or indeed to any possible image that I can represent to myself in concreto.

    ましてや経験の対象や、その対象の像は、経験的な概念には達することは出来ない。
    むしろ概念はいつも、ある一般的概念に従って私たちの直観を規定する規則として、イマジネーションの図式に直接的に関わる。
    犬という概念は、経験によって私に示される特定の個々の形や、あるいは私が具体的に自分自身に表しうるどのようなイメージにも限定されることなく、
    私のイマジネーションがある四つ足の動物を一般的に描くことが出来る規則を示している。
引用返信/返信 削除キー/
■37125 / inTopicNo.4)  Re[27]: 純理B180 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/04/16(Tue) 06:31:17)
    2024/04/16(Tue) 06:33:16 編集(投稿者)

    No37124
    (英訳のpipit日訳)
    実のところ、私たちの純粋な感覚的概念の土台となるのは、対象の像ではなく、図式なのである。どのような像も、三角形全般に対する私たちの概念にふさわしいものにはなりえない。

    像は概念の一般性に達せない---
    直角であれ鋭角であれ、すべての三角形がその下に含まれるのに対し、像は常にこの領域の一部分に限定されるからだ。

    三角形の図式は思考の中以外には存在できず、
    空間においての純粋な形に関するイマジネーション(構想力)の総合の一つの規則を示している。

    --------------
    (pipit感想)
    三角形一般にふさわしいただ一つの像は無い。
    直角三角形の像と鋭角三角形の像を一つの像に集約することは少なくとも二次元的には無理だから。
    図式は思考の中にあって、概念を感性的に表現する手続きであって、また感覚的対象物の総合についての規則でもあり、それはイマジネーション(構想力)によって行われる、と言っているのかなと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■37124 / inTopicNo.5)  純理B180 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/04/16(Tue) 06:13:06)
    みなさまおはようございます(^ ^)続きです。

    In truth, it is not images of objects, but schemata, which lie at the foundation of our pure sensuous conceptions. No image could ever be adequate to our conception of a triangle in general. For the generalness of the conception it never could attain to, as this includes under itself all triangles, whether right-angled, acute-angled, etc., whilst the image would always be limited to a single part of this sphere. The schema of the triangle can exist nowhere else than in thought, and it indicates a rule of the synthesis of the imagination in regard to pure figures in space.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap56

引用返信/返信 削除キー/
■37107 / inTopicNo.6)  Re[25]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/13(Sat) 07:46:54)
    No37106に返信(pipitさんの記事)
    > No37105
    > (pipitの感想)
    > >感性と概念の仲介をする図式も表象.....<
    >
    > 感性、知性、想像力(構想力)などによる産出物を表象と言ってるのかな
    >
    >

    [◯◯の仕方(How to)]も[表象]なんかな....
引用返信/返信 削除キー/
■37106 / inTopicNo.7)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/13(Sat) 06:54:39)
    No37105
    (pipitの感想)
    >感性と概念の仲介をする図式も表象.....<

    感性、知性、想像力(構想力)などによる産出物を表象と言ってるのかな


引用返信/返信 削除キー/
■37105 / inTopicNo.8)  図式というVorstellung(表象)
□投稿者/ pipit -(2024/04/13(Sat) 06:39:53)
    2024/04/13(Sat) 06:43:50 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます

    No37101
    カント文の冒頭の単語がVorstellung(英訳ではrepresentation、日訳では表象と訳されているドイツ語)となってるんだなと、

    コトバンクさんの『Vorstellung』を見てみました。

    『(英語表記)Vorstellung
    世界大百科事典(旧版)内のVorstellungの言及
    【表象】より

    …表象は,哲学や心理学の領域で,主としてドイツ語のVorstellung,英語のrepresentation,フランス語のrepresentationの訳語として用いられる言葉であるが,広狭さまざまな外延をもつ。もともとVorstellungは,18世紀にC.ウォルフによって英語のidea(ロックの用語)の訳語として,次いでカントによってラテン語のrepraesentatioの訳語として使われはじめた言葉であるから,当然表象にも,もっとも広い意味として,感覚印象から非直観的な概念表象までをも含む観念一般という意味がある(この意味についてはカント《純粋理性批判》第2版を参照)。…』

    https://kotobank.jp/word/Vorstellung-1258075#goog_rewarded

    とありました。
    朝思いついたのは、プラトン的イデアっぽいものが人間の想像力によって自前で作られてるのが図式のイメージかなぁと思ったのですが、コトバンクさんにはVorstellungの説明として、
    【18世紀にC.ウォルフによって英語のidea(ロックの用語)の訳語として】とありますね。
    それから、
    【当然表象にも,もっとも広い意味として,感覚印象から非直観的な概念表象までをも含む観念一般という意味がある(この意味についてはカント《純粋理性批判》第2版を参照)】
    ともあります。
    むむ.....
    感性と概念の仲介をする図式も表象.....


引用返信/返信 削除キー/
■37101 / inTopicNo.9)  山口修二先生の解説
□投稿者/ pipit -(2024/04/12(Fri) 21:31:45)
    No37100

    > Meiklejohnさんの英訳
    『Now this representation of a general procedure of the imagination to present its image to a conception, I call the schema of this conception.』
    の箇所の
    カントのドイツ語原語は、
    『Diese Vorstellung nun von einem allgemeinen Verfahren der Einbildungskraft, einem Begriff sein Bild zu verschaffen, nenne ich das Schema zu diesem Begriffe.』<

    この箇所を、山口修二先生は、
    『「しかるに、或る概念にその形象を与える構想力の普遍的な手続きについてのこの表象を、私はこの概念に対する図式と名付ける。」(A140,B179f.)』
    (『カント超越論的論理学の研究』p161より引用)
    と訳されてて、

    山口先生の解説として、
    『このように、カントは、「図式」を、概念にその「形象」を与える構想力の「普遍的な」手続きと見なし、その点において「個的な直観」としての「形象」から区別する。』
    (同本p161より引用)
    と述べられていました。


    進むの....つかれる...._(┐「ε:)_ 一文でくたくた....
引用返信/返信 削除キー/
■37100 / inTopicNo.10)  図式.....
□投稿者/ pipit -(2024/04/12(Fri) 21:12:09)
    2024/04/12(Fri) 21:16:19 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは!

    No37095
    > カントの言う「図式」っていうのわたしわかんないけど、その前に、<

    私もわからんよぅ ( ; ; )挫折しそうやよぅ....


    > カントの場合、「イマジネーション」と「イメージ」は区別されてるの?<

    区別されてるとpipitは思ってるんだけど、、、
    pipit的な考えでは、想像力(創像力)と、像、みたいな関係に捉えてるよ。

    あ、そしたらpipitの感想は間違えてる気がしてきたなぁ(><)
    やっぱり『像』が図式やから、ボヤボヤっとした像なんやろうか?
    アリがいっぱいいたら、100くらいかなぁ、と考える時の、100の量のぼやぼや像??
    を、想像力が作る手続きが図式機能?
    うぅわからん、、、

    カントの原語を書いておくね。

    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳
    『Now this representation of a general procedure of the imagination to present its image to a conception, I call the schema of this conception.』
    の箇所の
    カントのドイツ語原語は、
    『Diese Vorstellung nun von einem allgemeinen Verfahren der Einbildungskraft, einem Begriff sein Bild zu verschaffen, nenne ich das Schema zu diesem Begriffe.』
    となってて、

    imagination → 『Einbildungskraft』
    image → 『Bild』

    だと思う。
    カント事典では、
    『Einbildungskraft』は『構想力』
    『Bild』は『形象』と日訳されてたよ。

    pipitの日訳含めカント文の解釈を間違えてたらごめんなさい m(_ _)m

    書き込みありがとうね!(^O^)



引用返信/返信 削除キー/
■37095 / inTopicNo.11)  Re[20]: 感想日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/12(Fri) 18:58:33)
    お邪魔しま〜す。

    カントの言う「図式」っていうのわたしわかんないけど、その前に、

    カントの場合、「イマジネーション」と「イメージ」は区別されてるの?
引用返信/返信 削除キー/
■37075 / inTopicNo.12)  感想日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 14:28:46)
    2024/04/10(Wed) 15:02:43 編集(投稿者)

    まだ図式論を通して読んでるわけではないので、勘違いかもしれませんが今の時点で考えてることを書きます。

    ・・・・・

    は、実際に見ることが可能ですよね?
    『像』として、見えてますよね?
    この像を心の中で思い浮かべた場合(目を瞑って思い浮かべられるでしょうか?)、カントはそのような心の中における像を『イメージ(心象)』と表現しているのではないかと考えました。

    で、5 の場合は、・ を5回打ったわけですが、

    10は、・・・・・・・・・・10回打ちます。

    1000なら・・・→ 1000回打ちます。

    ここにある手続きが存在しています。【X回・を打つことで、該当数字Xの『心象』を表象出来る】という手続きのあり方が存在しています。
    この手続きを名指して【図式】と言ってるのかな、と思いました。

    【図式】がそのまま『・・・・・(心象)』というわけではなく、【図式】を機能させると、心象化が可能となる、という捉え方をpipitはしました。

    全然勘違うかもなので、先を読んでみます (T ^ T)


    No37074
    > (英訳のpipit意訳・日訳)
    >
    > したがって、もし私が5つの点を次々に置くとしたら
    > ・・・・・
    > これは数字の5のイメージである。
    >
    > 一方、もし私が、(5かもしれないし100かもしれないが)、一般的な数を思い浮かべるだけなら、この思い浮かべ方はむしろ、イメージそのものというよりも、概念に従ったある集合量(たとえば1000)をイメージで表す方法の表象であり、
    >
    > このイメージを確認し、概念と比較することには少し困難が伴うはずである。
    >
    > さて、このように、ある概念に対してイメージを提示する想像力の一般的な手順を表現したものを、私はこの概念の図式と呼ぶ。
引用返信/返信 削除キー/

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