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■36454 / inTopicNo.73)  Re[23]: 翻訳への疑問
  
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/06(Tue) 16:39:23)
    田秋さん こんにちは

    > ページ内を”Beethoven”で検索すると該当箇所は簡単に見つけられます。
    > 独文
    > Von dem letzten Satz eines der letzten Beethovenschen Quartette den er mehr als vielleicht alles andere liebte sagte er mir er fiihle dabei die Himmel seien offen.
    > 英文
    > Of the last movement of one of Beethoven’s last quartets, a movement he loved
    > perhaps more than anything else, he told me that it made him feel as if the heavens were open.
    >
    > なるほど(独)letzten Beethovenschen Quartetteも(英)Beethoven’s last quartetsもカルテットが複数形になっています。日本語では変ですが「ベートーベンの最後のカルテット[たち]」となり、その前が[eines der]、[one of]なので日本語訳は「ベートーベンの最後の弦楽四重奏曲のうちの一つ」となり、それを受ける「最後の楽章」は単数形なので、

    結局、どの曲の終楽章であるかの特定はしていないのですね。

    しかし、「他の何よりも愛する」終楽章とはすごい表現です。人生には世界には自然には愛すべきものがたくさんあるのに。さまざまな芸術にも愛すべき作品は数多いし、クラシック音楽でも愛すべき曲は多いはず。

    そこまでいえるほどの弦楽四重奏曲とは?やはり16番ですか?

    ベートーヴェンの場合、同一ジャンルの最後の曲の最終楽章に特別な意味をもたせていることは少なくないと思います。、
    ピアノソナタなら、32番、交響曲なら、第九。前者について、被造物で最も愛するという人を知っていますし、後者について、人類の最高の発明は第九という人も知っています。

    これらの後に更に深めていったのが晩年の弦楽四重奏曲群だとされていますが、やはりこの場合も最後の曲の最終楽章になるのでしょうか。

    晩年の弦楽四重奏曲群は、私にはやはり難解ですね。


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■36451 / inTopicNo.74)  Re[22]: 移行部
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/06(Tue) 14:46:56)
    2024/02/06(Tue) 15:29:19 編集(投稿者)

    おはようございます、floraさん

    シカゴ=ムーティ―の第9です。
    https://www.youtube.com/watch?v=rOjHhS5MtvA&t=260s
    3’51” 移行部(推移)d moll(ニ短調) ここで聴かれる旋律は第1主題と関係があります。
    4’05” 転調開始
    4'12"辺りからB durのカデンツ《V→I→V→》ここでは雰囲気も第2主題のように優しくなっています。
    4’23” 第二主題 B dur(変ロ長調)

    スコアを見ながらでないとなかなかわかりませんよね m(_ _)m

    追記
    スコアを付けました。
1000×1437 => 417×600

ikoubu.jpg
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■36447 / inTopicNo.75)  Re[21]: 移行部
□投稿者/ flora -(2024/02/06(Tue) 13:24:58)
    No36444に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、うましかさん、こんにちは〜

    > ウィトゲンシュタインが「すべてがこめられていると思う《移行部》」、この《移行部》が何(どこ)を指すのかはわかりません。何故わからないのかというと・・・

    > 楽曲をアナリーゼ(分析)する際、移行或いは推移という言葉はよく使われます。例えばソナタ形式の場合、第2主題の前に移行部(推移)という部分が置かれます。何故置かれるのかと言うと、第1主題と第2主題とでは普通調性が違うからです。下図は第9の第1楽章の提示部の簡単なアナリーゼです。第9はニ短調です。ですから第1主題はニ短調ですが第2主題は変ロ長調で書かれています。ニ短調から変ロ長調へ滑らかに繋ぐ部分、それが移行部(推移)です。

    全くのド素人で申し訳ないのですが〜、この移行部は何調(?という表現ででいいのかももわからない?)で書かれているのですか?第一主題と第二主題のエッセンスが盛り込まれているということはないのですか? よろしくお願いします〜。

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■36446 / inTopicNo.76)  翻訳への疑問
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/06(Tue) 07:35:54)
    knowingitselさんのスレッドに書くかこちらに書くか迷いましたが、一応こちらに書くことにしました。

    哲学宗教日記の独文と英文が載っているサイトを見つけました。
    https://archive.org/stream/WittgensteinCorrespondance/Wittgenstein+-+Public+and+Private+Occasions_djvu.txt

    ページ内を”Beethoven”で検索すると該当箇所は簡単に見つけられます。
    独文
    Von dem letzten Satz eines der letzten Beethovenschen Quartette den er mehr als vielleicht alles andere liebte sagte er mir er fiihle dabei die Himmel seien offen.
    英文
    Of the last movement of one of Beethoven’s last quartets, a movement he loved
    perhaps more than anything else, he told me that it made him feel as if the heavens were open.

    なるほど(独)letzten Beethovenschen Quartetteも(英)Beethoven’s last quartetsもカルテットが複数形になっています。日本語では変ですが「ベートーベンの最後のカルテット[たち]」となり、その前が[eines der]、[one of]なので日本語訳は「ベートーベンの最後の弦楽四重奏曲のうちの一つ」となり、それを受ける「最後の楽章」は単数形なので、本の翻訳は全く正しいことなります。

    ところがこれをDeeplにかけると「ベートーヴェン最後の四重奏曲(の終楽章)」と訳してくるのです。

    Deeplが何故このように訳すのかはボクの語学力ではわかりません。が、ボクの推察とは一致します。
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■36445 / inTopicNo.77)  Re:『論考』と"transition"
□投稿者/ うましか -(2024/02/06(Tue) 01:16:59)
    田秋さん、こんばんはー

    専門家による視点からのコメント、ありがとうございましたm(__)m


    勉強になりました(;´Д`A```


    (;´・ω・) 袋小路うましか


    では〜

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■36444 / inTopicNo.78)  『論理哲学論考』と"transition"
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/05(Mon) 23:24:35)
    こんばんは、うましかさん

    ウィトゲンシュタインが「すべてがこめられていると思う《移行部》」、この《移行部》が何(どこ)を指すのかはわかりません。何故わからないのかというと・・・

    楽曲をアナリーゼ(分析)する際、移行或いは推移という言葉はよく使われます。例えばソナタ形式の場合、第2主題の前に移行部(推移)という部分が置かれます。何故置かれるのかと言うと、第1主題と第2主題とでは普通調性が違うからです。下図は第9の第1楽章の提示部の簡単なアナリーゼです。第9はニ短調です。ですから第1主題はニ短調ですが第2主題は変ロ長調で書かれています。ニ短調から変ロ長調へ滑らかに繋ぐ部分、それが移行部(推移)です。

    ですから作曲上の移行部には「すべてがこめられている」と言うほど重要な意味合いは普通ありません(少なくとも普遍的には)。

    なのでこの「移行部」を音楽に関連付けて理解しようとする場合は、色々な意味を込めて単に「部分」と読み替えた方が袋小路に入り込まないような気がします。

643×501 => 600×467

suii.jpg
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■36443 / inTopicNo.79)  『論理哲学論考』と"transition"
□投稿者/ うましか -(2024/02/05(Mon) 21:27:05)
    2024/02/06(Tue) 01:33:14 編集(投稿者)
    2024/02/05(Mon) 22:00:10 編集(投稿者)

    田秋さん、floraさん、こんばんはー

    興味ぶかい投稿だったので、自分なりに調べてみました(;´・ω・)

    >Brian McGuinness, Wittgenstein: A Life / Young Ludwig (University of California Press, 1988), p. 34. ( No.36435 ,floraさん)

    https://books.google.la/books?id=V09csBjMETwC&printsec=copyright#v=onepage&q&f=false

     法政大学出版局の叢書・ウニベルシタスに訳本があります。以下は『ウィトゲンシュタイン評伝 若き日のルートヴィヒ 1889−1921』より。

    > 彼は多読家というよりも、精読家であった。彼は「自分に意味があることを語っている」章句や詩に繰り返し立ち戻ろうとした。これはレコードで音楽を聴く場合も同様であって、彼は、そこにすべてがこめられていると思う移行部へ何度も針を置き直したものである。文学、さらには哲学に対する態度もこのようであって、それは友人エンゲルマンの報告に適切に述べられている。「ウン、そこまではわかった。それで次は?」などと言うのは、彼の反応の仕方ではない。彼は意味深長な表現の箇所で立ちどまり、自分の理解を深めようとするのである。それゆえ、当然の結果として、彼の覚え書きはゲーテやシラーの引用で埋まることとなる。 < 〔上掲書, p.55〕

    *******

    >彼は「自分に意味があることを語っている」章句や詩に繰り返し立ち戻ろうとした。これはレコードで音楽を聴く場合も同様であって、彼は、そこにすべてがこめられていると思う移行部へ何度も針を置き直したものである。文学、さらには哲学に対する態度もこのようであって、

    上の引用の「移行部」と訳されているのは、"musical transition"でしょうか? この"transition"、私は音楽に疎いのですが、調べてみると、

    https://hmn.wiki/ja/Transition_(music)

    >トランジションとは、音楽のあるセクションを別のセクションにリンクするために作曲された音楽のパッセージです。<

    とあります。これ読んだ瞬間思いついたのは、『論理哲学論考』の構成。『論考』を読み進めていくと、何度か(唐突に)テーマが変わる部分があります。分かりやすいところでは、独我論について述べられるセクションと、価値、倫理について述べられるセクション。私のような凡庸な読者はこれらを唐突だなあなどと感じるのですが、作者ウィトゲンシュタインにとっては、誤解をおそれずに言えば、『論考』とは、ある種の「トランジション」によって諸セクションがリンク付けされた楽曲(建築物というよりは)に喩えられるような書物なのかもしれないな、と(;´・ω・)


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■36442 / inTopicNo.80)  Re[18]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/05(Mon) 20:43:54)
    こんにちは、floraさん

    成るほど、この記述からするとウィトゲンシュタインは蓄音機を持っていたようですね。

    ウィトゲンシュタイン家には蓄音機があって、論理哲学論考に蓄音機が出てくるのは、きっとその時の経験や記憶も一役買っているんでしょうね。

    論文の紹介、有難うございます。


引用返信/返信 削除キー/
■36435 / inTopicNo.81)  Re[17]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ flora -(2024/02/05(Mon) 18:11:19)
    No36432に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんにちは
    > ウィトゲンシュタイン自身が蓄音機を持っていたかどうかはわかりませんが、時代の先端技術の一つではあったでしょう。

    持っていたと思います。というのも、

    Susan G. Sterrett Department of Philosophy, Duke Universityの『Pictures of Sounds: Wittgenstein on Gramophone Records and the Logic of Depiction』に
    https://philsci-archive.pitt.edu/2019/1/SterrettPicturesOfSoundsR1.pdf

    ================
    It is reported that, as an adult, Wittgenstein “when listening to music on the gramophone put the needle back repeatedly to some musical transition from which he wanted to extract everything.”
    大人になってから、ヴィトゲンシュタインは「蓄音機で音楽を聴くとき、そこからすべてを引き出したいと思った音楽の変遷に何度も針を戻した」と伝えられている。
    =================
    とあり、上記の記載は Brian McGuinness, Wittgenstein: A Life / Young Ludwig (University of California Press, 1988), p. 34.から取ったものと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■36432 / inTopicNo.82)  Re[16]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/05(Mon) 16:22:09)
    論理哲学論考の4・014、4・0141にレコード盤(蓄音機)の記述があるとのサジェスチョンがfloraさんからありました。

    ウィトゲンシュタイン自身が蓄音機を持っていたかどうかはわかりませんが、時代の先端技術の一つではあったでしょう。



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■36405 / inTopicNo.83)  Re[16]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/03(Sat) 11:47:35)
    >元々、彼の音楽的素養はある程度血として持っていた訳で、しかもウィトゲンシュタイン家に出入りしていた音楽家の中には世界の一流もいた訳で、彼の耳は本物だと思います。

    >彼の時代、音楽を聴くといったら生しかないわけです(註)。この弦楽五重奏なんか、ひょっとしたら彼の家のサロンで演奏されたかもしれません。

    自宅にウィーンフィルを呼んで演奏を聴いて育ったとかいわれてますね。どれだけ大きな邸宅?

    ブラームス、マーラー、リヒャルトシュトラウス(弟子たちでなくいずれも本人)がウィトゲンシュタイン邸で、二歳上の兄とピアノ連弾をしていたと。

    ブルーノワルターやパブロカザルスなども出入りしていたと。

    そういう恵まれすぎる環境(ちょっとすごすぎる)だと、レコードを聴く気になるかどうかわかりませんね。
引用返信/返信 削除キー/
■36401 / inTopicNo.84)  Re[15]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/03(Sat) 09:42:15)
    田秋さん レスありがとうございます

    > 個人的な感想を述べると、この曲、「奥が深い」というよりは暖かい宇宙、壮大な宇宙ではなくてシューベルトの宇宙、心の休まる家庭的な宇宙、そんな宇宙があるのかどうか知りませんが、そんなイメージを持っています。

    たしかにそういうイメージもあてはまると思います。天国的な安息もあります。それと同時に、痛苦や慟哭も生々しいですね。

    > ところで、knowingitselfさんは2楽章をアップされていますが、これはウィトゲンシュタインは特に2楽章が好きだったということですか?

    ウィトゲンシュタインが特に二楽章を好んだというのは聞いたことがありません。
    田秋さんなら曲目を上げただけで十分だと思いましたが、もし興味半分にクリックするロムの方がいれば、1時間近い全曲を聴かせるわけにもいかないので、二楽章の中間部、貼った演奏だと5分過ぎくらいですか、そこあたりがいいと。もちろん、この曲はyoutubeにたくさんあります。

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