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■36946 / inTopicNo.13)  Re[74]: 消しゴム機能
  
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/27(Wed) 22:15:50)
    こんばんは、パニチェさん

    書き込みありがとうございます。

    https://androidjiten.com/archives/12262

    これによれば、AIが

    1.消すものの輪郭を判断し(人か猫か傘かタワーか、など)
    2.消した部分をその周辺の景色から推測して描く

    ということらしいです。

    ===
    写真左がオリジナル。左の女性陣を消したのが写真右。しかし一番右の女性の靴が消し切れていません(下の写真)。

    心霊写真のような・・・
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kesigomu2.jpg
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■36942 / inTopicNo.14)  Re[73]: 消しゴム機能
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/27(Wed) 16:48:36)
    こんにちは、田秋さん。横レス失礼します。

    No36937に返信(田秋さんの記事)
    > スマホの写真フォルダに《消しゴム》という機能があって、やってみました。

    > 上の写真が簡単に下の様になります。

    > 凄いですねえ〜

    > (写真は道後温泉本館)


    消した人物のブラインドになってた背景をどうやって修正してるんですかねぇ〜。

    スマホの中で修正名人の小人が直してるのかな(笑)


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■36939 / inTopicNo.15)  気になること
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/27(Wed) 10:16:10)
    2024/03/27(Wed) 17:18:24 編集(投稿者)

    上川隆也主演の遺留捜査というドラマを観た。今回は事件に将棋の駒が関係し、その流れで糸村が「将棋打ち」という言葉を使った。

    ボクには相当違和感がある。将棋は「指す」で、「打つ」は碁の用語だ。それぞれのプレーヤーを「将棋指し」、「碁打ち」と言う。唯一、相手から取って駒台に載っている駒を盤面に置くときのみ「打つ」と言う。※

    バイオリンを「吹く」、写真を「採る」と言っているのと同じ。

    ドラマだから台本があり、その校訂もするはずだ。

    英語ならテニスもピアノもplayでOKだけれども、日本語はまだそこまで合理的(?)にはなっていないのでは???

    以前ほど「日本語が乱れとる!」と思わないようにはしているが、微妙な響きの違いというものも疎かにしたくないなあ。

    ひょっとしたら「将棋を打つ」はもう市民権を得ているのだろうか ?(*_*)?

    ===
    ※ 棋譜を書くときや読み上げるとき、盤上の駒を動かしてそこへ行ったのか駒台の駒をそこへ置いたのか判別できないときにのみ、例えば4五に金があり、駒台にも金があった場合、「5五」には盤上の金を進めることも駒台の金を置くこともできる。そのとき駒台の金を5五に置いた時のみ「5五金打」と表現する(盤上の金を動かしても「5五金指」とは言わない)。また5五に相手の駒がありそれを45の金で取った時は5五金と表現する。何故なら相手の駒のある升目には自分の駒を置くことが出来ないからだ。
引用返信/返信 削除キー/
■36937 / inTopicNo.16)  消しゴム機能
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/26(Tue) 22:02:48)
    スマホの写真フォルダに《消しゴム》という機能があって、やってみました。

    上の写真が簡単に下の様になります。

    凄いですねえ〜

    (写真は道後温泉本館)
666×1000 => 400×600

kesigomu.jpg
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■36925 / inTopicNo.17)  Re[71]: ガンダーラ
□投稿者/ flora -(2024/03/25(Mon) 17:59:24)
    No36906に返信(田秋さんの記事)
    田秋さん、おはようございます。

    > 3月17日に貼った
    > https://true-buddhism.com/history/genjo/
    > に、玄奘が辿ったルートの地図があります。敦煌の少し右に逆向きの矢印(←と→)書いてありますが、行きは高昌〜亀茲を通る北側ルート(天山南路)を取りました。帰路に海路を取らなかったのは高昌国の王・麹文泰と「帰りに必ず寄ります」という約束をしたからです。
    >
    > 麹文泰は熱心な仏教徒で玄奘が高昌国に来た時、手厚くもてなしました。しかしその情熱は度が過ぎていて、玄奘に天竺に行くのは止めにしてこの地に留まり仏法の講義をすることを頼んだのです。しかし玄奘の意志は変わるものではありません。
    > 王は脅迫まがいなことも言い出します。
    > 「私の許可がなければこの国からでることはできません。或いは師を唐へ送り返すこともできるのです」
    > 玄奘
    > 「無理にお止めになっても骨がここに残るだけで精神は王の自由にはなりません」
    > しかし、王は許さず、自ら食事を運ぶことにしました。
    > そこで玄奘は断食の道を選び、三日間呑まず食わずの行に入ると4日目、遂に王は深く恥じ
    > 「師よ、どうか自由に西行して下さい」
    > そして
    > 「帰還の日、どうかこの国に3年留まり弟子(わたくし)の供養を受けて下さい」
    > 玄奘はこの申し出を受け入れました。
    > この約束をまもるため玄奘は陸路で帰途に着いたのです。
    >
    > 高昌国はしばらくは唐と良好な関係を続けましたが、その後近隣諸国との軋轢が色々あり、それが原因で唐の太宗に攻め込まれ、麹文泰は病死し(640)、結局高昌国は滅亡しました。
    >
    > 一方、玄奘は天竺で10年研鑽を積み、帰国の途に着いたのは641年頃です。この時、高昌国滅亡のことはまだ知りません。そのためもと来た道を帰ることになります。
    >
    > 帰路の途中で西域南高昌国滅亡のことを耳にしました。そこがどこだったのか正確には知りませんが、道の道を取る少し前だったのでしょう(ガンダーラの辺り?)。
    >
    > 麹文泰との約束を守る意味もなくなったため、玄奘は天山南道に比べるとまだしも進むのに容易な西域南道で唐に戻ることになります。
    >
    > 海路を取らなかっのは以上の理由からです。

    どうもありがとうございます。高昌国の麹文泰と約束をしたからですね。リンクの地図によりますと天山南道と西域南道の分岐点が当時はバーミヤン当たりのようですので、高昌国滅亡の話を聞いたのは、この分岐点の前、そして情報の集まる土地、私もガンダーラではないかと思います。

    そして命がけで持ち帰った経典を収めたのが西安の大雁塔ですよね。

    https://www.youtube.com/watch?v=Hp4wN89eZhI&ab_channel=going%E8%B5%B0%E8%B5%B0looking%E7%9C%8B%E7%9C%8B
    >
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■36909 / inTopicNo.18)  卒業証書
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/24(Sun) 22:10:10)
    2024/03/25(Mon) 09:20:29 編集(投稿者)

    今日、学位記授与式があった。

    晴れて一般大学卒業生の仲間入りができました。

    学長のビデオメッセージがあり、「放送大学は誰でも入れるが(高校卒業資格が必要)、卒業するのは3割」とのことであった。

    ここ三重学習センターからは今年度約30名の卒業生があり、そのうち13名が式典に出席したが、その過半数はボクより年上だとお見受けした。

    勉強が好きな人はいっぱいいるんですね!
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■36907 / inTopicNo.19)  Re[71]: 大相撲
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/24(Sun) 21:42:39)
    尊富士が110年ぶりの偉業を達成した。

    昨日の相撲で足を痛め、歩けないほどだったので、千秋楽の出場が危ぶまれたが、立派に勝ち切った。

    ただ、怪我への対応は非常に難しいと思う。無理に相撲を取ったばかりにその後の相撲に禍根を残すこともある。

    この偉業達成の一番を前に
    「将来の為休め」
    とは親方でも言えないだろう。

    結果オーライ、とにかくおめでとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■36906 / inTopicNo.20)  Re[70]: ガンダーラ
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/24(Sun) 21:17:26)
    こんにちは、floraさん

    3月17日に貼った
    https://true-buddhism.com/history/genjo/
    に、玄奘が辿ったルートの地図があります。敦煌の少し右に逆向きの矢印(←と→)書いてありますが、行きは高昌〜亀茲を通る北側ルート(天山南路)を取りました。帰路に海路を取らなかったのは高昌国の王・麹文泰と「帰りに必ず寄ります」という約束をしたからです。

    麹文泰は熱心な仏教徒で玄奘が高昌国に来た時、手厚くもてなしました。しかしその情熱は度が過ぎていて、玄奘に天竺に行くのは止めにしてこの地に留まり仏法の講義をすることを頼んだのです。しかし玄奘の意志は変わるものではありません。
    王は脅迫まがいなことも言い出します。
    「私の許可がなければこの国からでることはできません。或いは師を唐へ送り返すこともできるのです」
    玄奘
    「無理にお止めになっても骨がここに残るだけで精神は王の自由にはなりません」
    しかし、王は許さず、自ら食事を運ぶことにしました。
    そこで玄奘は断食の道を選び、三日間呑まず食わずの行に入ると4日目、遂に王は深く恥じ
    「師よ、どうか自由に西行して下さい」
    そして
    「帰還の日、どうかこの国に3年留まり弟子(わたくし)の供養を受けて下さい」
    玄奘はこの申し出を受け入れました。
    この約束をまもるため玄奘は陸路で帰途に着いたのです。

    高昌国はしばらくは唐と良好な関係を続けましたが、その後近隣諸国との軋轢が色々あり、それが原因で唐の太宗に攻め込まれ、麹文泰は病死し(640)、結局高昌国は滅亡しました。

    一方、玄奘は天竺で10年研鑽を積み、帰国の途に着いたのは641年頃です。この時、高昌国滅亡のことはまだ知りません。そのためもと来た道を帰ることになります。

    帰路の途中で高昌国滅亡のことを耳にしました。そこがどこだったのか正確には知りませんが、西域南道の道を取る少し前だったのでしょう(ガンダーラの辺り?)。

    麹文泰との約束を守る意味もなくなったため、玄奘は天山南道に比べるとまだしも進むのに容易な西域南道で唐に戻ることになります。

    海路を取らなかっのは以上の理由からです。

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■36902 / inTopicNo.21)  Re[69]: ガンダーラ
□投稿者/ flora -(2024/03/24(Sun) 16:14:19)
    No36892に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、おはようございます。

    > https://www.worldfolksong.com/popular/gandhara.html
    > ここにはゴダイゴの『ガンダーラ』について色々書かれていますが、作曲の経緯も書かれています。かいつまんで書くと
    >
    > 作詞は奈良橋陽子で、当時夫のジョニー野村とともにゴダイゴのプロデュースを手掛けていました。作詞を依頼されたのですが、西遊記に合った異国情緒あふれるエキゾチックな内容を持った歌詞をリクエストされました。しかし奈良橋にはそういう経験が殆どなく唯一思いついたのが大学で学んだガンダーラ美術だったのです。
    >
    > そういう訳でこの歌はオリジナルの西遊記や堺正章=夏目雅子の西遊記の中味とは関係なく作曲されたわけです。作曲を手掛けたタケカワユキヒデは
    > 「西遊記でガンダーラについて歌うということで、その整合性を突っ込まれたらどうしようかと思っていたが、後から三蔵法師がガンダーラへ行ったことがあると知って胸をなでおろした」
    > と語っています。

    そうなんですね。あまり調査をせずに作詞をなさったわけですね。ガンダーラといえばアレキサンダー大王が紀元前330年ころ、遠征もしていてそこにヘレニズム文明を持ち込んだのですよね。あの仏像の衣の素晴らしいドレープはまさにヘレニズムですよね。

    ちなみに玄奘三蔵の時代にはすでに「海のシルクロード」も確立されていたと思いますが、なぜ帰路はなぜ海路を取らなかったのでしょうか? ナーランドからなら海路で上海や南京まで行き、そこから北上して西安というルートも可能だったと思いますが、どうなのでしょうね?

    > 玄奘は帰国後太宗に頼まれ《大唐西域記》著しましたが、そこにガンダーラ国のことが記されています。国ですからある程度広さがあるわけですが、時代によって広さも異なります。概ね今のペシャワールがガンダーラ国の首都であったようです。

    そういえば、ペシャワールの仏像がタリバンによって破壊されたという事件がありましたね。
    https://www.afpbb.com/articles/-/2666847
    >
引用返信/返信 削除キー/
■36892 / inTopicNo.22)  Re[68]: ガンダーラ
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/23(Sat) 22:30:11)
    こんにちは、floraさん

    https://www.worldfolksong.com/popular/gandhara.html
    ここにはゴダイゴの『ガンダーラ』について色々書かれていますが、作曲の経緯も書かれています。かいつまんで書くと

    作詞は奈良橋陽子で、当時夫のジョニー野村とともにゴダイゴのプロデュースを手掛けていました。作詞を依頼されたのですが、西遊記に合った異国情緒あふれるエキゾチックな内容を持った歌詞をリクエストされました。しかし奈良橋にはそういう経験が殆どなく唯一思いついたのが大学で学んだガンダーラ美術だったのです。

    そういう訳でこの歌はオリジナルの西遊記や堺正章=夏目雅子の西遊記の中味とは関係なく作曲されたわけです。作曲を手掛けたタケカワユキヒデは
    「西遊記でガンダーラについて歌うということで、その整合性を突っ込まれたらどうしようかと思っていたが、後から三蔵法師がガンダーラへ行ったことがあると知って胸をなでおろした」
    と語っています。

    ===
    玄奘は帰国後太宗に頼まれ《大唐西域記》著しましたが、そこにガンダーラ国のことが記されています。国ですからある程度広さがあるわけですが、時代によって広さも異なります。概ね今のペシャワールがガンダーラ国の首都であったようです。

引用返信/返信 削除キー/
■36884 / inTopicNo.23)  大相撲
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/23(Sat) 11:41:16)
    2024/03/23(Sat) 11:46:07 編集(投稿者)

    大相撲が面白い。

    尊富士(たけるふじ)と大の里。

    尊富士は今場所新入幕で優勝までマジック1。新入幕で優勝となれば110年ぶりの快挙とのこと。

    大の里は昇進が早すぎてまだ大銀杏が結えない。

    尊富士の取り組み。初日から見てみると次第に相撲のスピードが速くなっていることがわかる。
    https://www3.nhk.or.jp/sports/special/sumomovies/rikishi/028450.html

    大の里の取り組み。
    https://www3.nhk.or.jp/sports/special/sumomovies/rikishi/028990.html

    もう一人怪我で番付を下げているが十両に伯桜鵬(はくおうほう)という若手がいる。

    将来この3人が相撲界を背負って活躍するものと期待している。

    ===
    ボクが相撲を見ていた時期は2度ある。最初は大鵬柏戸のいわゆる柏鵬時代。このころボクはまだ少年で、家族団らんでテレビで観戦していた。

    2度目は大学時代、ビオリストのプリムローズが輪島のファンで、プリムローズについたこともあり、輪島のファンになった。

    最初は「黄金の左下手投げ」が強烈だったが、次第に北の湖に通じなくなっていって「あ〜あ」と思うことが多くなった。

    昭和49年7月場所 輪島―北の湖 本割及び優勝決定戦
    https://www.youtube.com/watch?v=n9FRc9dDUZU&t=6s

    昭和51年7月場所 輪島―北の湖
    https://www.youtube.com/watch?v=cgB2evDXe9U&t=8s
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■36846 / inTopicNo.24)  雨乞いの楠
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/18(Mon) 08:23:29)
    今治の大三島にある大山祇神社にある樹齢3000年と言われる楠の木。
755×566 => 600×449

PXL_20240317_014304417.jpg
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