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■35154 / inTopicNo.49)  Re[22]: 形而上
  
□投稿者/ 田秋 -(2023/11/23(Thu) 17:49:18)
    こんにちは、pipitさん。横レスすつれーしまつ。

    「形而」の出典は《易経 繋辞上伝 第12章》の
    《形而上者謂之道。形而下者謂之器》
    の部分で、わかりやすい日本語としては
    「形あるものの上位概念として存在している真理を道と言う。形あるものとして存在しているあらゆる現象を器と言う。」
    (わかりやすい易経・易占講座:易経 繋辞上伝を読み解く 第十二章 二より引用)
    になります。

    ここに「道」という概念が出てきますが、孔子の道は天道を指し、「天命は天帝が定めるもので、天道とは人知の及ばぬ天の理」ということの様です。天帝は西洋の神とは違うかもしれませんが、まあ、神のような方です。

    以上はあくまで易経繋辞上伝に出てくる形而上のことで、西洋哲学のmetaphysicalとは無関係に紀元前500年くらいに孔子さまが使った言葉です。それを明治の哲学者、井上哲次郎がmetaphysicalの訳語に当てました。

    すぐに意味が分からない所が哲学っぽい・・・
引用返信/返信 削除キー/
■35153 / inTopicNo.50)  Re[21]: 形而上
□投稿者/ pipit -(2023/11/23(Thu) 12:52:33)
    2023/11/23(Thu) 17:37:40 編集(投稿者)

    パニチェさん、こんにちは。
    レスありがとうございます!(^○^)♪

    No35147
    > そもそも感覚ないし経験を超え出でた世界の普遍的な原理について理性的な思惟で認識できるのか?って常々思ってる。
    > これって一神教を基底にした西洋哲学ならではのジャンルやないかなぁ〜。
    > 早い話があつ種のドグマ(宗教的教説)や信仰ではないか?と疑問に思う。<

    全然違うかもなのですが、pipitの考えでは、
    純粋悟性概念を使用した思惟が、感覚や経験なしの対象には使えない、ということをカント的にこの先の箇所で証明していくのではないかと思っています。(二律背反の箇所)
    その結果として、例えば神様のことで言えば、信仰の自由も、不信仰の自由も、両方の確保を理性の内に根拠づけられるように思っています。

    仏教の場合は、やはり認識内に現れるものを体得していく、ということで、形而下の教えになっているのかもしれませんね。

    pipit的には、形而上のラインが個人内で変動していくように思っています。
    個人内で形而上のものは、信仰、という形になると思っています。




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■35147 / inTopicNo.51)  形而上
□投稿者/ パニチェ -(2023/11/23(Thu) 08:00:03)
    横レス失礼します。
    以下は独り言的なボヤキなのでスルーしてもらっても構いませんし、もちろん異論・反論も歓迎です。

    そもそも感覚ないし経験を超え出でた世界の普遍的な原理について理性的な思惟で認識できるのか?って常々思ってる。
    これって一神教を基底にした西洋哲学ならではのジャンルやないかなぁ〜。
    早い話があつ種のドグマ(宗教的教説)や信仰ではないか?と疑問に思う。


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■35144 / inTopicNo.52)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2023/11/22(Wed) 20:43:11)
    悪魔ちゃん、こんばんは!(^O^)

    No35141
    > 「形而上学」って言うの、pipitさまのばあい、どんなイメージ?
    >
    > わたしのは〈自然科学の後にくるもの〉だけど、それがどんなのかはわかんないけどね。<

    改めて問われると、ふわふわしてるけど、

    身体の感覚では捉えられない物事についての客観的真理、って私の中ではそんなイメージかなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■35141 / inTopicNo.53)  Re[18]: 日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/22(Wed) 19:37:10)
    お邪魔します、

    「形而上学」って言うの、pipitさまのばあい、どんなイメージ?

    わたしのは〈自然科学の後にくるもの〉だけど、それがどんなのかはわかんないけどね。
引用返信/返信 削除キー/
■35135 / inTopicNo.54)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/22(Wed) 08:12:29)
    こんなに苦労するのは、形而上学を作るためには、感性由来の概念ではなく、感性越えの概念(しかも正当化される概念)を使わなくては、という考えだからかなと思いました。

    こんなに苦労するなら、形而上学を手放せばいいのにと個人的に思ってしまいますが、

    カントは形而上学が打ち捨てられることから生じる悪影響を懸念して、
    善く生きることにつながる新しい形而上学を、自らが築くという志しに燃えてたのかな、とも思いました。

    カント先輩、おつかれさまです!


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■35134 / inTopicNo.55)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/22(Wed) 07:55:56)
    2023/11/22(Wed) 18:20:58 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます。
    間違えてるかもしれませんが、
    No35132の文章を、pipitなりに例「一つ」を用いて考えてみました。

    -------------------------

    経験と、経験の対象の概念に含まれるアプリオリな概念との内容が【一致】する要因として考えられるのは、

    @一つという経験から、一つという概念が生成される。
    ※pipit私見・カント的には、前章で純粋悟性概念は経験から独立していると演繹(根拠づけ)したので、この説は斥ける。

    A一つという概念から、一つという経験が生成される。
    ※pipit私見・このように世界を理解すると、人間自らの能力により、人間認識の第一原理として知性により用意されたのが、この例では、一つというアプリオリな概念。
    一つ、に相応するように感受素材が編集され、対象物が生成され、(私はそれを経験する)という認識が為される。

    B経験とアプリオリな概念は一致するように、人間の創造者(例えば神様など)によってアレンジされているのがこの世界。

    、、、

    もし、遺伝子情報にアプリオリな概念の生成プロセスが含まれてると仮定したとき、
    カント的には何番に分類するのかなー?と思いました。
    Aかなぁ...


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■35132 / inTopicNo.56)  B166-167
□投稿者/ pipit -(2023/11/21(Tue) 23:08:01)
    細切れに訳してきたものをまとめてみました。
    B166-167あたりです。

    『さて、経験と経験の対象についての概念との間に必然的な対応関係が考えられる場合、次の2つの道しかない:

    経験がこれらの概念を作るか、
    またはこれらの概念が経験を可能にするか、である。

    前者(経験がこれらの概念を作る)は、カテゴリーに関して(純粋な感覚的直観に関しても)は行われない。

    というのは、それら(カテゴリー)はアプリオリな概念であり、したがって経験からは独立しているからである。
    (経験的起源を主張することは、一種のgeneratio aequivoca(偶然発生説(wiki自然発生説より:生物が親なしで無生物(物質)から一挙に生まれることがある[1]とする、生命の起源に関する説の1つである。偶然発生説とも呼ばれる。)となるであろう。

    その結果、残るのは第二のものだけである(いわばそれは、純粋理性のエピジェネシス・システムである)
    すなわち、知性の一環として、カテゴリーにはあらゆる経験一般の可能性の根拠が含まれているということだ。

    しかし、それら(カテゴリー)がどのように経験を可能にするのか、
    そして、それら(カテゴリー)がどのような経験可能の原理を、現象に適応する中で提供するのかは、
    判断の超越論的使用についての、次の主要なセクションで示されるだろう。

    もし、誰かが、この2つしかない方法の中間を提案するとしたなら、
    すなわち、それら(カテゴリー)は
    自らにより考えられた知識のアプリオリな第一原理でもなければ、経験から引き出されたものでもなく、

    創造者によってそうアレンジされ、私たちの存在と同時に植え付けられた思考の主観的能力〈純粋理性の一種の前成説・システム〉であるというような、中間の道が提案されるに違いない(このような仮説では、その後の判断にあらかじめ決められた性質があるという前提をどこまで推し進めるか見極められないという事実は別として)。』
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■35130 / inTopicNo.57)  Re[25]: 純粋理性批判B167
□投稿者/ pipit -(2023/11/21(Tue) 22:41:52)
    2023/11/21(Tue) 22:52:59 編集(投稿者)

    No35129
    いつもにも増して自信ありませんが英訳をpipitが日訳しました。

    ----------------------------

    もし、誰かが、この2つしかない方法の中間を提案するとしたなら、
    すなわち、それら(カテゴリー)は
    自らにより考えられた知識のアプリオリな第一原理でもなければ、経験から引き出されたものでもなく、

    創造者によってそうアレンジされ、私たちの存在と同時に植え付けられた思考の主観的能力〈純粋理性の一種の前成説・システム〉であるというような、中間の道が提案されるに違いない(このような仮説では、その後の判断にあらかじめ決められた性質があるという前提をどこまで推し進めるか見極められないという事実は別として)。

    ----------------------------

    (pipit感想)
    カントはこの第三の見解(純粋理性の一種の前成説・システム)を否定してますが、この先も否定の理由が続くようです。

    一文訳すだけでグッタリですー _| ̄|○

    ちなみに前成説のwiki説明は、
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%88%90%E8%AA%AC
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■35129 / inTopicNo.58)  Re[24]: 純粋理性批判B167
□投稿者/ pipit -(2023/11/21(Tue) 22:33:01)
    みなさまこんばんは。純粋理性批判B167です。

    (原文のDeepL英訳)
    If any one were to propose a middle way between the two only ways mentioned, namely, that they were neither self-conceived first principles a priori of our knowledge, nor even drawn from experience, but subjective dispositions to think implanted in us at the same time as our existence, which were so arranged by our author, (a kind of preformation system of pure reason), then (apart from the fact that with such a hypothesis there is no end in sight as to how far one would like to push the presupposition of predetermined dispositions to future judgments) the middle way would be decisive:
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■35070 / inTopicNo.59)  純粋理性批判B167
□投稿者/ pipit -(2023/11/16(Thu) 23:22:01)
    みなさまこんばんは。 No35055の続きです。

    (原文のDeepL英訳)
    But how they make experience possible, and what principles of the possibility of experience they provide in their application to phenomena, will be shown in the following main section on the transcendental use of judgment.

    (英訳のpipit日訳)
    しかし、それら(カテゴリー)がどのように経験を可能にするのか、
    そして、それら(カテゴリー)がどのような経験可能の原理を、現象に適応する中で提供するのかは、
    判断の超越論的使用についての、次の主要なセクションで示されるだろう。





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■35056 / inTopicNo.60)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/11/15(Wed) 22:08:01)
    エピジェネシス・システム の工程で 対象物が作り上がる、、、

    受精卵がどんどん成長していく様を思い、おもしろい発想だなと思いました。

    純粋悟性概念が核となり、感性直観をも それに従わせる。

    量、質、関係、様相、に、直観がまとめられる

    今日はいろいろあって疲れました

    おやすみなさい (^_^)☆彡 星はきれいでした!
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