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■31396 / inTopicNo.25)  パニチェさんへ
  
□投稿者/ みのり -(2023/06/30(Fri) 10:10:14)
    2023/06/30(Fri) 11:45:37 編集(投稿者)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    No31387に返信(パニチェさんの記事)

    > はい、了解してます、その上でみのりさんの見解に興味があったので質問させてもらいました。

    やはりそうでしたか〜。^^

    >>でも、絶対に殺してはいけないとは思ってはいないです。
    >>例えば、A国に対してB国からのいわれなき武力での侵攻がなされた場合、A国も正当防衛として武力行使をし、結果としてB国の兵士を殺害するということに反対はしません。
    >
    > 私も茶を濁すだけではダメなので意見を述べさせてもらえば。。。
    > 「人を殺してはいけない普遍的な理由はないが、絶対に人を殺してはいけないケースは多々ある。自己本位や自分の欲望や感情(煩悩)を満たすために人を殺していけない。何故なら人には本来は尊重されるべき自然権があるから」ってことになります、今のところ。。。

    おっしゃられているのを具体的に表すと、快楽殺人や「殺してみたかった」というのが当てはまるでしょうか。

    自然権という言葉は以前にもパニチェさんが使われてて見たことはあり、今回、ウィキで調べてみました。

    > ちなみに釈尊も仏弟子の自殺を容認しているケースがあります。

    何かで読んだ気がします。 釈尊自身も悟りを開いたとされた後に自殺しようとして梵天に止められますよね。
    横道にそれるのですが、なぜ自殺しようとしたのかこれについて私、知らなくて・・・
    よかったら教えていただけますか。

    もう思い残すことがないと感じたから、というようなのは聞いたことがある気がするのですが、それだけが理由なのかどうか、何か定説になっているようなものはありますか。

    > 私が好きなニーチェも次のように語ってます。
    >
    > 『誇りある仕方で生きることがもはや可能でないときには、誇りある仕方で死ぬことが大切です。…自発的に選ばれた死。明るく悦ばしい心をもって、子供や立会人の唯中で実行される、頃合いを誤たない死。このような死にあっては、別れを告げる当人がまだ現にそこに居合わす本当の別離がなお可能なのであり、同じように、自分が達成したことや意欲したことの本当の評価、生涯の総決算も、やはり可能になるのであります。・・・自然死とはやはり「不自然」死、一種の自殺に他なりません。人は己自身による以外に、他の誰かによって滅びることは決してありません。ただし、最も軽蔑すべき死、つまり不自由死、頃合いを誤った死、臆病者の死というのもあります。人は生きんとする愛があるからこそ、死とは別様に、自由なものに、意識的なものに、偶然でもなければ、不意打ちでもないように欲すべきでありましょう。(偶像の黄昏 ある反時代的人間の逍遥第36番)』

    ニーチェの「死」に対する美学のようなものを感じます。
    ニーチェはお洒落だったそうですものね。^^


引用返信/返信 削除キー/
■31408 / inTopicNo.26)  みのりさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/01(Sat) 11:16:09)
    2023/07/01(Sat) 12:00:45 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No31396に返信(みのりさんの記事)

    >>私も茶を濁すだけではダメなので意見を述べさせてもらえば。。。
    >>「人を殺してはいけない普遍的な理由はないが、絶対に人を殺してはいけないケースは多々ある。自己本位や自分の欲望や感情(煩悩)を満たすために人を殺していけない。何故なら人には本来は尊重されるべき自然権があるから」ってことになります、今のところ。。。
    > おっしゃられているのを具体的に表すと、快楽殺人や「殺してみたかった」というのが当てはまるでしょうか。

    そうですね。四煩悩(我癡、我見、我慢、我愛)等々、諸煩悩から生じる殺人は全部ダメだと思います。^^

    > 何かで読んだ気がします。 釈尊自身も悟りを開いたとされた後に自殺しようとして梵天に止められますよね。
    > 横道にそれるのですが、なぜ自殺しようとしたのかこれについて私、知らなくて・・・
    > よかったら教えていただけますか。
    > もう思い残すことがないと感じたから、というようなのは聞いたことがある気がするのですが、それだけが理由なのかどうか、何か定説になっているようなものはありますか。

    梵天勧請のエピソードですね。
    仏典によって異なるようですが釈尊が悟った内容があまりに深淵なため(深淵で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみがよく知るところで)執着の拘りに耽っている人たちにこれを説いても理解されない。
    よって「何もしたくないという気持ちに傾き説法しようとは思わなかった」とか「このまま世を終わった方がよいのではないか」などなどあるようです。
    釈尊の心の内の葛藤(説法すべきかの躊躇)を梵天勧請の物語にしたのだと思います。

    > ニーチェの「死」に対する美学のようなものを感じます。

    同意です。武士道にも通じるものがあると思います。

    > ニーチェはお洒落だったそうですものね。^^

    そうみたいですね。^^

    あと、これは余談なのですが「無罪証明の亡霊」なるサイコパスに対する弁護があります。
    米国での調査で殺人者41名の脳をスキャンしたところ脳に損傷や機能不全(不活発または活動過多)が見つかることが多く、ほとんどの人が感情をコントロールする前頭前野の活動が停滞していたとの結果があります。彼ら、彼女らが育ってきた環境によってそのような脳が形成されたことに犯罪の原因があり、犯罪を起こしたその人物よりも育ってきた環境を問題視すべきで被告の無罪を主張するという弁護方法です。こんなことまで考えだすと人が人を裁くというのは本当に難しいですね。裁かないわけにはいきませんが。。。

引用返信/返信 削除キー/
■31415 / inTopicNo.27)  Re[25]: みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/01(Sat) 19:08:46)
    2023/07/01(Sat) 19:10:42 編集(投稿者)
    みのりさん、パニチェさん、こんばんは
    横レス失礼しますm(_ _)m

    No31408に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/07/01(Sat) 12:00:45 編集(投
    >
    > あと、これは余談なのですが「無罪証明の亡霊」なるサイコパスに対する弁護があります。
    > 米国での調査で殺人者41名の脳をスキャンしたところ脳に損傷や機能不全(不活発または活動過多)が見つかることが多く、ほとんどの人が感情をコントロールする前頭前野の活動が停滞していたとの結果があります。彼ら、彼女らが育ってきた環境によってそのような脳が形成されたことに犯罪の原因があり、犯罪を起こしたその人物よりも育ってきた環境を問題視すべきで被告の無罪を主張するという弁護方法です。こんなことまで考えだすと人が人を裁くというのは本当に難しいですね。裁かないわけにはいきませんが。。。
    >



    「罪を憎んで人を憎まず」
    という諺がありますね。
    聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。

    罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。

    でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。

    ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。

    Condemn the offense but pity the offender.

    「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    いや、炭治郎、えらいわー(笑)



引用返信/返信 削除キー/
■31416 / inTopicNo.28)  パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2023/07/01(Sat) 20:12:29)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    No31408に返信(パニチェさんの記事)

    > 2023/07/01(Sat) 12:00:45 編集(投稿者)


    >>何かで読んだ気がします。 釈尊自身も悟りを開いたとされた後に自殺しようとして梵天に止められますよね。
    >>横道にそれるのですが、なぜ自殺しようとしたのかこれについて私、知らなくて・・・
    >>よかったら教えていただけますか。
    >>もう思い残すことがないと感じたから、というようなのは聞いたことがある気がするのですが、それだけが理由なのかどうか、何か定説になっているようなものはありますか。
    >
    > 梵天勧請のエピソードですね。
    > 仏典によって異なるようですが釈尊が悟った内容があまりに深淵なため(深淵で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみがよく知るところで)執着の拘りに耽っている人たちにこれを説いても理解されない。
    > よって「何もしたくないという気持ちに傾き説法しようとは思わなかった」とか「このまま世を終わった方がよいのではないか」などなどあるようです。
    > 釈尊の心の内の葛藤(説法すべきかの躊躇)を梵天勧請の物語にしたのだと思います。

    ありがとうございます。
    こうしてみると、梵天勧請は創作であってもよく出来ているのだな、と感じます。
    誰かに説得されなければほんとに自死してしまっていたかもしれないのですものね。

    > あと、これは余談なのですが「無罪証明の亡霊」なるサイコパスに対する弁護があります。
    > 米国での調査で殺人者41名の脳をスキャンしたところ脳に損傷や機能不全(不活発または活動過多)が見つかることが多く、ほとんどの人が感情をコントロールする前頭前野の活動が停滞していたとの結果があります。彼ら、彼女らが育ってきた環境によってそのような脳が形成されたことに犯罪の原因があり、犯罪を起こしたその人物よりも育ってきた環境を問題視すべきで被告の無罪を主張するという弁護方法です。こんなことまで考えだすと人が人を裁くというのは本当に難しいですね。裁かないわけにはいきませんが。。。

    心身の成長期に親の療育態度などの環境が大切であることがわかりますね。
    虐待は代々で家庭内連鎖していきますし。

    瞑想や心の状態を穏やかにしていくことで脳の機能も変化していく、という研究がなされているという本、『ブッダの脳』という本をさっと読んでみたことがあったのですが、サイコパスなどの人についてはどうだったかな。。
    難しいのかもですね。。
引用返信/返信 削除キー/
■31419 / inTopicNo.29)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ みのり -(2023/07/01(Sat) 20:28:01)
    2023/07/02(Sun) 07:32:19 編集(投稿者)
    ザビビのふくろうさん、こんばんは。

    No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > 2023/07/01(Sat) 19:10:42 編集(投稿者)
    > みのりさん、パニチェさん、こんばんは
    > 横レス失礼しますm(_ _)m
    >

    > 「罪を憎んで人を憎まず」
    > という諺がありますね。
    > 聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。

    孔子の言葉だったのですね。
    世間の人々の経験からいつの間にか発生した言葉だと思ってました。。
    お恥ずかしい。。(^▽^;)

    > この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    > 詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。
    >
    > 罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    > もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    > これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。
    >
    > でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。
    >
    > ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。
    >
    > Condemn the offense but pity the offender.
    >
    > 「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    > って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    > とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    > 詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    > しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    > 同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    > 私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    > いや、炭治郎、えらいわー(笑)

    炭治郎くんの慈悲はすごいものがありますね。
    殺した後に必ず、「成仏してください」と手を合わせます。

    ほんと、炭治郎は誰に教わるでもなく、書かれている「罪を憎んで人を憎まず」、「罪を咎め、罪人を憐れめ」の精神を持ってると私も思います。
    物事への理解を共感力と共に為せる、ということなのかな。
    見習いたいですし、慈悲ってとても大切だと私は思うのです。

     プチ情報です♪
    今、調べたところによると、当初の炭治郎は鬼になった背景を理解し慈悲を向けていたのだけれど、強くて残忍極まる鬼が登場してくるようになると、怒りや復讐心を燃やすようになっていくそうなんです。。
    私は最初の頃の話しか知らなかったのですが、詳しい方ならこのあたりわかるかもです。

    最後に・・
    慈悲は単なる同情ではなく智慧とともにあるもの、というところから私の好きなお話に、
    幼子を亡くし悲しみにくれるキサーゴータミーという女性が仏陀から説法を受け、悲しみを乗り越え出家する、というのがあります。
    (5世紀に書かれたものなのだそうで、仏陀直接のお話ではないようです。)
引用返信/返信 削除キー/
■31424 / inTopicNo.30)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/01(Sat) 22:46:40)
    2023/07/02(Sun) 07:37:47 編集(投稿者)

    こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > 「罪を憎んで人を憎まず」
    > という諺がありますね。
    > 聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    > この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    > 詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。

    > 罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    > もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    > これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。

    > でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。

    なるほど、そうですね。恨みは新たな恨みを生みますからね。
    ちなみに私が思うところの死刑は同害報復であり、もともとの同害報復は『ハンムラビ法典』の「目には目を」が最古とのことですが、この意味は「目を潰されたら、潰した相手の目を潰してもよいが、それ以上のことはするな」という意も含んでたみたいですね。

    > ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。

    > Condemn the offense but pity the offender.

    > 「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    > って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    > とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    > 詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    > しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    > 同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    > 私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    > いや、炭治郎、えらいわー(笑)

    ザビビのふくろうさんも鬼滅の刃を見てるんですね。
    あれはよく出来たストーリーですね、武士道を象徴するシーンや台詞もあり私もファンです。
    ただ自分の肉親を惨殺されたとしても「罪を憎んで人を憎まず」とか「罪を咎め、罪人を憐れめ」という気になるか自問自答すると自信がないです。
    可能な手段があるなら同害報復のチャンスをうかがうかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■31431 / inTopicNo.31)  みのりさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/02(Sun) 09:54:20)
    みのりさん、おはようございます。
    レスをありがとうございました。

    No31419に返信(みのりさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 07:32:19 編集(投稿者)
    > ザビビのふくろうさん、こんばんは。
    >
    > ■No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>2023/07/01(Sat) 19:10:42 編集(投稿者)
    >>みのりさん、パニチェさん、こんばんは
    >>横レス失礼しますm(_ _)m
    >>
    >
    >>「罪を憎んで人を憎まず」
    >>という諺がありますね。
    >>聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    >
    > 孔子の言葉だったのですね。
    > 世間の人々の経験からいつの間にか発生した言葉だと思ってました。。
    > お恥ずかしい。。(^▽^;)
    >

    いえ、私も今回調べてはっきり知りました^^

    >>この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    >>詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。
    >>
    >>罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    >>もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    >>これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。
    >>
    >>でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。
    >>
    >>ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。
    >>
    >>Condemn the offense but pity the offender.
    >>
    >>「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    >>って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    >>とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    >>詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    >>しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    >>同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    >>私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    >>いや、炭治郎、えらいわー(笑)
    >
    > 炭治郎くんの慈悲はすごいものがありますね。
    > 殺した後に必ず、「成仏してください」と手を合わせます。
    >
    > ほんと、炭治郎は誰に教わるでもなく、書かれている「罪を憎んで人を憎まず」、「罪を咎め、罪人を憐れめ」の精神を持ってると私も思います。
    > 物事への理解を共感力と共に為せる、ということなのかな。
    > 見習いたいですし、慈悲ってとても大切だと私は思うのです。

    みのりさんはやっぱり心がやさしい人なんですね。
    私と発想が違う気がします。
    実は私はパニチェさんと同じく死刑については存置派なんですが、世界の趨勢から見たら、これは非人道的とされる考えだと思われるんですね。
    日本でも特に法学に詳しい人たちほど死刑廃止派(人権派?)が多い印象があって、私は以前別の掲示板でバトってたことがあるんです(笑)
    仏教思想から死刑問題はどうなるのか私にはわかりませんが、炭治郎は死罪というものが、非人道的でもなく、また少なくともある種の宗教的な魂に対する態度と矛盾しないという事を示していると思うのです。

    >
    >  プチ情報です♪
    > 今、調べたところによると、当初の炭治郎は鬼になった背景を理解し慈悲を向けていたのだけれど、強くて残忍極まる鬼が登場してくるようになると、怒りや復讐心を燃やすようになっていくそうなんです。。
    > 私は最初の頃の話しか知らなかったのですが、詳しい方ならこのあたりわかるかもです。

    情報ありがとうございます。
    私もアニメは一応見ていますが、原作を未読なので、今後がどうなってるのかわかりません。
    ただ、もちろん人間の時から救いがたい犯罪者だった鬼もいますしね。そもそも鬼舞辻無惨みたいにね。
    ただ、憎しみは抱き続ける本人が辛いですし、いくら憎んでも無意味だと思える犯罪者もいますから、解放される方が救いにはなるような気がします。

    >
    > 最後に・・
    > 慈悲は単なる同情ではなく智慧とともにあるもの、というところから私の好きなお話に、
    > 幼子を亡くし悲しみにくれるキサーゴータミーという女性が仏陀から説法を受け、悲しみを乗り越え出家する、というのがあります。
    > (5世紀に書かれたものなのだそうで、仏陀直接のお話ではないようです。)

    うろ覚えですが、私も読んだ気がします。
    智慧かー
    難しいですね。
    何か金八先生みたいになってしまいますが(笑)
    炭治郎もそうかもしれませんが、やっぱり人は悲しみを知る人こそがやさしくなれるのでしょうか。
    智慧は必要条件なのか十分条件なのか…?
    智慧浅き私にはわかりません。
    ただ悲しみも受けとめ方でその意味が変わることは確かでしょう。
    そこに智慧が関係するのでしょうかね?
    仏教を学べばわかるのかなー?


引用返信/返信 削除キー/
■31432 / inTopicNo.32)  パニチェさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/07/02(Sun) 09:59:50)
    パニチェさん、こんにちは。
    レスをありがとうございます。

    No31424に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/07/02(Sun) 07:37:47 編集(投稿者)
    >
    > こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No31415に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>「罪を憎んで人を憎まず」
    >>という諺がありますね。
    >>聖書にも同様の言葉があるようですが、一応出典は孔子の言葉とされています。
    >>この言葉、真剣に考えるとなかなか深い問題が内包されていると思います。
    >>詳しく話すと大変なんで、なるべく軽く簡単に述べてみます。
    >
    >>罪を憎むということは即ちその人を憎むということちゃうのんかい?と思う人もあるみたいです。
    >>もし諺の意味が、悪いのは行為あるいはその心(悪意)であって、行為者ではないということなら、行為者が罰を受けるのは矛盾しているようにも思えますし、まあ気持ちとしては何となく分かります。
    >>これって、ほんとに切り離せるのか?って思いがあるからです。
    >
    >>でも孔子は罰を否定したわけではないようですから、あくまで『報復』としての罰を否定したと解釈可能かもしれませんね。
    >
    > なるほど、そうですね。恨みは新たな恨みを生みますからね。
    > ちなみに私が思うところの死刑は同害報復であり、もともとの同害報復は『ハンムラビ法典』の「目には目を」が最古とのことですが、この意味は「目を潰されたら、潰した相手の目を潰してもよいが、それ以上のことはするな」という意も含んでたみたいですね。
    >

    そうらしいですね。
    だからというか、私も個人的心情で言うなら、むしろ同害報復なんて生ぬるくて、倍返し以上がロジックとしては合理的だとさえ思います(笑)

    >>ところで、調べると対応する英文の一つとして次が上がります。
    >
    >>Condemn the offense but pity the offender.
    >
    >>「罪を咎め、罪人を憐れめ」
    >>って感じに理解してもいいかな?と思うのですが、
    >>とにかく私がこの英語訳に引っ掛かったのは、実は私にはアニメ『鬼滅の刃』の主人公が、まさにこれを体現しているように思えるからなんです(笑)
    >>詳細は省きますが、主人公の竈門炭治郎は、鬼が行ってきた、死をもってしか償いようのない悪業に対してその責任をとらせるため、迷いなく鬼の首を日輪刀で切り落とします。
    >>しかし、同時に炭治郎はその能力で、鬼もかつて人間であり、同情すべき悲しい過去をへて鬼となったことを感じ取って、憎むことをしません(相手にもよりますが)。
    >>同情の心を寄せ、憐憫の情をかけるのです。
    >>私はこれを見て初めて、罰を科すことと憎まないことが、ジレンマに陥らずに済む可能性のあることが腑に落ちた気がするんですよ。
    >>いや、炭治郎、えらいわー(笑)
    >
    > ザビビのふくろうさんも鬼滅の刃を見てるんですね。
    > あれはよく出来たストーリーですね、武士道を象徴するシーンや台詞もあり私もファンです。
    > ただ自分の肉親を惨殺されたとしても「罪を憎んで人を憎まず」とか「罪を咎め、罪人を憐れめ」という気になるか自問自答すると自信がないです。
    > 可能な手段があるなら同害報復のチャンスをうかがうかもしれません。
    >

    私も死刑は絶対に必要だとする存置論者です。
    しかし、その根拠とする刑罰についての法哲学的考えとしては、同害報復に対しては否定的立場の一種で、かなり変ったわたし独自の考えを持っています。
    これは学術的に認められたようなものでもありませんし、大変なんで説明は省略します(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■31439 / inTopicNo.33)  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ みのり -(2023/07/02(Sun) 14:12:30)
    2023/07/02(Sun) 17:55:59 編集(投稿者)

    ザビビのふくろうさん、レスありがとうございます。

    No31431に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    > みのりさんはやっぱり心がやさしい人なんですね。
    > 私と発想が違う気がします。
    > 実は私はパニチェさんと同じく死刑については存置派なんですが、世界の趨勢から見たら、これは非人道的とされる考えだと思われるんですね。
    > 日本でも特に法学に詳しい人たちほど死刑廃止派(人権派?)が多い印象があって、私は以前別の掲示板でバトってたことがあるんです(笑)


    ザビビのふくろうさんは、死刑について存置派なのですね。
    たしかに法学に詳しい人ほど死刑廃止派が多い印象は私もあります。

    死刑廃止派の方々は、どういった理由でそのように考えられていたのか、ザビビのふくろうさんが議論された方々の見解を差し支えなければ教えていただけたら嬉しいです。
    よろしくお願いします_(._.)_


    先日、パニチェさんとここでやりとりした通り、私は死刑制度については強い肯定はできずとも完全に否定もできない、といったところです。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0#%E5%88%91%E7%BD%B0%E6%A8%A9
    ===
    刑罰の本質
    刑罰については、絶対主義、相対主義、併合主義の3つの立場がある。

    絶対主義
    刑罰は正義を回復するための道義的必要に基づく応報であり、犯罪を行ったから罰するものであるという立場を絶対主義という[3]。絶対主義は絶対的応報刑論を内容としている[3](応報刑論を参照)。絶対的応報刑論の論者としてカントやヘーゲルがいる[4]。
    相対主義
    刑罰の合目的性・有用性から刑罰は犯罪を行わせないために罰するものであるという立場を相対主義という[3]。相対主義は目的刑論を内容としている[3](目的刑論を参照)。
    相対主義には一般予防論と特別予防論がある[4]。
    一般予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより社会の一般人を威嚇し犯罪が発生することを抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。一般予防論は中世における不合理で残虐な刑罰を批判し、相対主義によって刑罰の合理化や緩和化を図ろうとしたもので、一般予防論の論者としてベッカリーアやフォイエルバッハがいる[4]。
    特別予防論とは、刑罰は犯罪者を処罰することにより犯罪者自身を改善するもので、それによって将来の犯罪を抑止する目的をもつものであるという立場をいう[4]。特別予防論の論者としてリストやフェリーがいる[4]。
    併合主義
    絶対主義と相対主義の両者を統合し、刑罰には正義の回復と合目的性のいずれも存在し、犯罪を行ったがゆえにかつ犯罪を行わせないために刑罰は存するという立場を併合主義という[3]。
    20世紀のヨーロッパ各国での刑法改正作業では応報刑論と目的刑論が対立していたが、応報刑論者も刑罰による犯罪者の改善の必要性を承認するようになったため併合主義が通説化した[4]。
    ===

    このうちのどれかに(無理にでも)当てはめるとしたら、私は三番目の「併合主義」になるのかもです。

    現状、死刑が犯罪抑止力になってないどころか、死刑になりたくて殺人する人もいることを思えば、死刑への疑問が出ます。
    しかし、被害者家族の心情を思えば、存続が必要なのだろうと思います。
    また、死刑に代わり完全無期懲役刑のみになったとしたら、死なずに済む上、寝食とそれなりの人道的な扱いが保証されることで、凶悪犯罪が増える懸念があります。
    この最後の懸念は、無期懲役刑のみになったなら必ず発生してくると思うのです。
    なので、死刑廃止について簡単に賛成はできないと考えています。

    とはいえ、相手が犯罪者とはいえ、国家として人命を奪うことの是非についても考えてしまいます。
    もし冤罪だとしたら、無期懲役なら命だけは助かりますし、支援者の力で無罪になることというのもあります。
    ほんとうに難しいです。

    > 情報ありがとうございます。
    > 私もアニメは一応見ていますが、原作を未読なので、今後がどうなってるのかわかりません。
    > ただ、もちろん人間の時から救いがたい犯罪者だった鬼もいますしね。そもそも鬼舞辻無惨みたいにね。
    > ただ、憎しみは抱き続ける本人が辛いですし、いくら憎んでも無意味だと思える犯罪者もいますから、解放される方が救いにはなるような気がします。

    そうかもしれないですね。

    >>最後に・・
    >>慈悲は単なる同情ではなく智慧とともにあるもの、というところから私の好きなお話に、
    >>幼子を亡くし悲しみにくれるキサーゴータミーという女性が仏陀から説法を受け、悲しみを乗り越え出家する、というのがあります。
    >>(5世紀に書かれたものなのだそうで、仏陀直接のお話ではないようです。)
    >
    > うろ覚えですが、私も読んだ気がします。
    > 智慧かー
    > 難しいですね。
    > 何か金八先生みたいになってしまいますが(笑)
    > 炭治郎もそうかもしれませんが、やっぱり人は悲しみを知る人こそがやさしくなれるのでしょうか。
    > 智慧は必要条件なのか十分条件なのか…?
    > 智慧浅き私にはわかりません。
    > ただ悲しみも受けとめ方でその意味が変わることは確かでしょう。
    > そこに智慧が関係するのでしょうかね?
    > 仏教を学べばわかるのかなー?

    私は仏教もぜんぜんわからないんです。。
    でも、単なる同情と仏教での慈悲との違いは、仏教の慈悲は智慧から生まれるものとされているらしいのです。
    ニーチェが同情について、それは自己愛から生まれるものであると批判しているのともどこか似ているようにも私としては感じます。
引用返信/返信 削除キー/
■31449 / inTopicNo.34)  罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ 田秋 -(2023/07/02(Sun) 18:35:58)
    2023/07/03(Mon) 07:27:17 編集(投稿者)

    みなさん、こんにちは。

    横レス失礼します。

    「罪を憎みて人を憎まず」は孔叢子(くぞうし)の刑論第四を出典としています。要約は以下の通りです。

    子張が尋ねた。
    「裁判官が、赤子を育むように慈愛を以て判決を下すことは可能でしょうか」
    孔子が答えた。
    「できるよ。昔の裁判官は、(罪を犯した人の)心根を悪(にく)むがその人間を悪(にく)むことはなかった。罪を犯した者がいれば、その長所を探し求め、その上で長所なければ刑を与えた。このように裁判官は人の人情に沿って判決を下した。しかし今の裁判官は、心根を悪まずその人自体を悪むという風である。これはいにしえの道に反している」

    ===
    「長所」と訳したところは原文は「生かすに足る」となっています。
    また「赤子を育む」は「書経」の康誥篇を出典としています。

    孔叢子は古代中国の儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立したようです。

    原文
    《書》曰:「若保赤子。」子張問曰:「聽訟可以若此乎?」孔子曰:「可哉!古之聽訟者惡其意,不惡其人,求所以生之,不得其所以生,乃刑之。君必與(※)共焉,愛民而重棄之也。今之聽訟者不惡其意,而惡其人,求所以殺。是反古之道也。

    (※)
    https://kanji.jitenon.jp/kanjit/9982.html
引用返信/返信 削除キー/
■31462 / inTopicNo.35)  Re[27]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ みのり -(2023/07/02(Sun) 20:12:01)
    田秋さん、こんばんは。 投稿ありがとうございます。

    No31449に返信(田秋さんの記事)
    > みなさん、こんにちは。
    >
    > 横レス失礼します。
    >
    > 「罪を憎みて人を憎まず」は孔叢子(くぞうし)の刑論第四を出典としています。要約は以下の通りです。
    >
    > 子張が尋ねた。
    > 「裁判官が、赤子を育むように慈愛を以て判決を下すことは可能でしょうか」
    > 孔子が答えた。
    > 「できるよ。昔の裁判官は、(罪を犯した人の)心根を悪(にく)むがその人間を悪(にく)むことはなかった。罪を犯した者がいれば、その長所を探し求め、その上で長所なければ刑を与えた。このように裁判官は人の人情に沿って判決を下した。しかし今の裁判官は、心根を悪まずその人自体を悪むという風である。これはいにしえの道に反している」
    >
    > ===
    > 「長所」と訳したところは原文は「生かすに足る」となっています。
    > また「赤子を育む」は「書経」の康誥篇を出典としています。
    >
    > 孔叢子は古代中国の儒家の書物。秦漢から魏晋の間頃に成立したようです。
    >
    > 原文
    > 《書》曰:「若保赤子。」子張問曰:「聽訟可以若此乎?」孔子曰:「可哉!古之聽訟者惡其意,不惡其人,求所以生之,不得其所以生,乃刑之。君必與眾共焉,愛民而重棄之也。今之聽訟者不惡其意,而惡其人,求所以殺。是反古之道也。

    現代風にいうと、心から悔いているか、情状酌量の余地があるかによって、慈愛をもって判決を下す(その分、刑を軽くする)ということになるのでしょうか。
    遥か古代にこのような判決を勧めていた孔子は素晴らしいですね。

引用返信/返信 削除キー/
■31463 / inTopicNo.36)  Re[28]: 罪を憎みて人を憎まず
□投稿者/ パニチェ -(2023/07/02(Sun) 20:16:53)
    2023/07/02(Sun) 20:20:44 編集(投稿者)

    こんばんは、みのりさん。横レス失礼します。

    No31462に返信(みのりさんの記事)

    > 現代風にいうと、心から悔いているか、情状酌量の余地があるかによって、慈愛をもって判決を下す(その分、刑を軽くする)ということになるのでしょうか。
    > 遥か古代にこのような判決を勧めていた孔子は素晴らしいですね。


    しかし悔いているのが本気か演技かは誰が何をもって判定するんですかね。
    少し話が横道にそれますが裁判官が判決に際して「世間に与えた影響が大」みたいなことを言いますが「報道しなければ影響を与えないやろ」ってツッコミたくなります。
    また精神鑑定もそれなりの知識があれば有利な結果に誘導できるという話を聞いたことがあります。
    脳をスキャンして調べるわけではないし、精神鑑定の信ぴょう性ってどれくらいあるのか。。。

引用返信/返信 削除キー/

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