| 田秋さん 書き込みありがとうございます
>ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記の1930年4月27日の日記に数学者ラムジ―について書かれています。 「おそらく彼(ラムジー)が何より愛したベートーヴェンの最後の弦楽四重奏曲の一つの最終楽章について、ここで天が開くように感じる、と彼は私に語った」とあります。
1930年に1月に、天才数学者といわれ経済学にも業績を残したラムジーが27才で夭折していますね。 ラムジーは18歳で「論理哲学論考」の英訳を手がけて大きな影響を受け、莫大な遺産を放棄して極貧の生活をしながら小学校教師をしていたウィトゲンシュタインに何度か会いにいってました。ケンブリッジ復帰をもちかけたり、ウィトゲンシュタインのケンブリッジ復帰を熱望するケインズ(あの大経済学者)からの渡航資金援助の申し出なども取り次いで。ウィトゲンシュタインは首を縦に振らなかったそうですが。
その後、ウィトゲンシュタインがケンブリッジに戻ったとき、ケインズは「さて、神が到着した。五時十五分の列車だ彼に私は会った。」と手紙に書いています。
ケンブリッジに復帰してから、ウィトゲンシュタインとラムジーは、対等な立場で議論したそうです。
ラムジーの死はかなりの衝撃だったのではないでしょうか。
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