| >レヴィ=ストロースは二項対立とは別に、広く見られる思考の形式として、三項が互いに対立するというあり方を「三角形」として論じた< >「料理の三角形」 >知ってた?<
知りませんでした。田秋さん、ありがとございま〜す。
これだけじゃわるいから、レヴィの『野生の思考』に「三角形」について書いてあるとこあるかな〜? って、パラパラ〜て見て見たけど、見つかんなかった。似たようなことが書いてると思われるところあったので書き写して見ます。
第6章 普遍化と特殊化 p192− のところに、 ***************** 歴史と体系との間には二律背反性が見出されると信ずる人もある*。しかしながら、この二面の関係がダイナミックな関係であることをしらぬ人ででもない限り、本書でいままで検討してきた例には、そのような二律背反は見いだしえない。両者の間には、移行相を形成する通時的でかつ非恣意的な構造体のための場所がある。考えうるもっとも単純な体系の例である二項対立をもとにして、その両極に新しい項を付け加えていってこの構造体はでき上がるのである。つけ加える項は、それぞれの極と対立、相関、もしくは相似の関係をもつものが選ばれる。だからといって、これらの関係がみな均質でなければならぬということにはならない。「局部的」理論はその部分だけで存在し、直接に結合している二項の関係の可知性だけを支配するものである。意味連鎖を形成する輪の一つ一つにとって理論は必ずしも同一である必要はない。この状況は、ドミノの初心者の状況に似たところがある。札が全体としてどのような構成になっているかは知らずに、くっついている隣の半分の値だけを考えて札を並べても、ゲームを続けることはできるであろう。
*この二つの概念が極限値としての価値しかもたぬことは、純粋に歴史的な民族学代表的擁護者の一人であるエヴァンス=プリチャードの見識あるいは考察を再録しておくことだけで十分に納得されよう。「ザンデ族の氏族およびそのトーテム帰属の現状は、ザンデ社会の政治的発展に照らして見なければ理解ができない。ところがその光はまことに心もとない。出身部族を異にする何十万の人間が入り混じっているのである――アフリカで研究する民族学者は、ときに、ポリネシアかメラネシアのどこかの島の安定した小さな社会をあこがれる気持ちにとりつかれることがある。」(Evans-Prichard 3, p.121) ・・・・・・ p201以上で私が簡単に示したのは、問題の分野の広さと一般性とに応じて網目がどのようにして無限に拡がりうるかということであった。あとは、いかに網目を狭めて現実を篩分け閉じ込めるかを示す仕事が残されている。ただし今度は体系の下限においてであり、ふつうならあらゆる分類法の下限と考えられる境界、つまりそれを超えるともはや分類が不可能で、命名だけが可能だと考えられやすい境界線の先にまで体系の作用を延長するのである。実のところ、両極にわかれるこの二つの操作は見かけほど距ったものではなく、われわれが研究対象としている体系の中に身を置いていた場合には、この両者は重ね合わせることさえできるものである。個人が集団の中での目印であるように、空間は名を与えられた場所の社会である。場所も個人もひとしく固有名詞によって名づけられ、しかも地名と人名は互いに置きかえうるのが多くの社会に共通して頻繁に見られる状況である。カリフォルニアのユーロック族はこの擬人的地理の例の一つを提供する。そこでは道が動物のように考えられ、家にはみんな名前があり、日常には地名が人名の代わりに用いられる(Waterman)。 ・・・・・ ********************** こんなの。 これって、「分類の仕方」を問題にしてる? あ、この本、全部じっくり読んだわけじゃないからのなかでのね。
自称現象学派とわたしは、 「対立(二つのものが反対の立場に立つこと。また、二つのものが互いに譲らないで張り合うこと。)」っていう見方って言うより、「対(つい)」として見るようにしてる。
たとえば、「上下」「左右」っていうの、「対(つい)」として存在してるよね。 「男と女」もそうじゃないかな〜って。 で、「男と女」を三項で見てみると、 「男」「と」「女」の三項になるよね。 で、「と」に入るのは?って考えて見たんだけど、 わたしのばあい「人間」っていうのが浮かんだのね。 「料理の三角形」を、 「火にかけたもの←生もの→腐ったもの」って表すと、 「男と女」は、 「男←人間→女」って、なった。 方向として、「男」が「文化」方向で、「女」が「自然」方向っていうことになる? ん〜ん、ま、これはスルーしといて。
「善と悪」っていうのもこういう感じなものなんじゃないかな?って。 じゃ、このなかの「と」はなにかしら?
ちょっと気になったのが、 >この対立は大抵の場合対等ではなくどちらかが優越する。例えばmanは「男」の他に「人」という意味もあるのに対し、womanはmanにwo-を付けて成立し意味としては「女」だけ、即ちmanがwomanに優越する< っていうところ、 もし優越をつけたいんだったら、 <womanはmanにwo-を付けて成立し意味としては「女」だけ>よね、だから、逆じゃない? woman がmanに優越する、ってなるんじゃない? たしか「クローン羊」は、オス羊なしで生まれたんじゃなかったかしら。
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