| ほら、「人類学(人間学)」で「文明人」っていうの出てくるから、 ネットでちょっと調べて見たよ。
「野生」は、 〔動植物が自然に山野で育つこと〕
「文明」は、 ・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大百科全書(ニッポニカ)「文明」の解説
日本では明治初年、「文明」と「開化」ということばがほぼ並行して使われ始め、二つをあわせた文明開化は近代化・西欧化のスローガンとされた。両語とも、ラテン語のcivis(市民)やcivilis(市民の)、およびcivitas(都市)に由来するcivilizationの訳語である。明治中期から大正にかけて、文明開化から開化が除かれて文明になり、これと前後して、今日使用されている意味での文化cultureも広く使われるようになった。
文明と文化ということばの使い方には二つの流れがある。第一は、文明と文化は連続したものであり、都市化、高度の技術、社会の分化、階層の分化を伴う文化を文明とする。各文化、各文明はそれぞれ独自な個別性と独自性をもちつつ地球上に多元的に存在し、地球上の部族文化は大勢として前近代的都市文明へ、さらに近代的都市文明へ移行したとされる。この考え方は、第二次世界大戦後に文化人類学が普及するにつれて日本でも一般化した。他方、第二は、戦前から日本に普及している考え方である。これは、文明と文化を連続したものではなく、かえって対立したものとしてとらえ、精神的所産を文化、物質的所産を文明とする。西欧では、古くからcivilizationが今日の「文明」と「文化」の両方をさしていたが、19世紀後半、ドイツの民族学者とイギリスの人類学者が第一の用法を提示して以来、人類学者の多くは第二の用法を避けている。第二の用法は、ドイツの哲学、とくに新カント学派の影響を強く受けている。これは、物質的・技術的文明が累積され発展するのに対して、精神的・価値的な文化は1回限りのものであり、進歩という尺度によっては測れないとする。 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・
どうやらわたしが生きている世界は、西欧化された世界内存在者としての生のあり方みたい。 言いかえると、わたしは、近代西洋の知のあり方に家畜化された人間の生のあり方のうちで、とも見れる。
たしか近代西洋は、1500年ごろから、ヨーロッパ人による植民地の時代、自然科学の進歩、資本主義の発展、哲学者では、デカルト(1596−1650)、カント(1724−1804)。で、科学、客観、合理、資本、このような主義。
こんど、日本で、選挙あるみたいじゃん。 政治家さんになりたい人たちは、どんなことを言いうのかしらね。
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