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■23536 / inTopicNo.25)  植民地支配
  
□投稿者/ みのり -(2022/05/28(Sat) 07:53:09)
    悪魔ちゃんが引用していらした植民地支配の歴史について、を拝見して、
    それと、昨日たまたまテレビで観た内容も併せて考えたこと。

    アフリカにロシアが経済援助の名目で接近して、友好な関係を作っているらしい、というのを報道でこのごろ観る。
    欧米から奴隷としての扱いを受けたり、植民地としての扱いを受けて来たアフリカにとって、それらの国々よりもロシアの方が信頼が持てると感じるのは自然なんだろうな。

    現在、世界で起きている争いは、過去の遺恨とも複雑に絡み合っていて、今の争いがまた後世に遺恨として引き継がれていくのだろうな。。。


    対価としてそれなりのものを支払いもせずに、人を搾取して自分たちだけ儲けようというのは、まず人道的ではないし、後々に遺恨を残す愚かな方法なのにね。
    目先で得しよう得しようとして、争いが絶えていないのが世界、という感じ。

引用返信/返信 削除キー/
■23574 / inTopicNo.26)  論理哲学論考 4
□投稿者/ みのり -(2022/05/29(Sun) 08:27:29)
    シリーズ世界の思想 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』古田徹也 著
    を読み、理解できそうなところをまとめる、の四回目。

     今、前回の三の上の文章をコピペして貼ったら、それだけで間違えてなぜか投稿してしまってびっくり。。(;'∀')
    先日に設定してたキーで削除しました。

    さて、今回の本文を。今回は長いです。


    二・〇一二  論理においては何ひとつ偶然ではない。ある物がある事態のなかに
           現れることが可能であるなら、その事態の可能性はその物のなかで
           予定されているのでなければならない。

    二・〇一二一 ・・・・・物が事態のなかに現れることが可能であるなら、その
           可能性は物のなかにすでにあるのでなければならない。
           (論理的なことは、単に可能なことにとどまるものではありえない。
           論理はすべての可能性を扱い、そして、すべての可能性は論理に
           とっての事実となる。)・・・・・

    二・〇一二三 私が対象を捉えているとき、私はまた、その対象が事態のなかに
           現れるすべての可能性も捉えている。
           ・・・・・後から新たな可能性が発見されるということはありえ
           ない。 

    二・〇一二四 すべての対象が与えられたならば、それとともに、すべての可能な
           事態も与えられる。

    二・〇一四  対象はあらゆる状況の可能性を含んでいる。

    二・〇一四一 事態のなかに現れる可能性が、対象の形式である。

    ・・・・・・同書 p43〜p44より引用。

    命題が有意味なものとして成立するためには、ある対象が結びつく他の対象の可能性はあらかじめ予定されている、というのがまずあって。

    これについての例として、前に読んだ別の本で、「花は白いとは結びつくが、円周率とは結びつかない」というのが出ていました。
    わかりやすいですよね。

    花を例に考えてみると。花が他の対象と結びつく可能性は、無数にあります。

    花を見る、花を描く、あの花は美しい、食用できる花もある、花をエベレストの山頂に植えてくる などなど無数に。
     
    二・〇一四一 事態のなかに現れる可能性が、対象の形式である。

    こうしたことが、↑になります。 対象の形式っていうのですね。

引用返信/返信 削除キー/
■23693 / inTopicNo.27)  価値と努力
□投稿者/ みのり -(2022/06/03(Fri) 08:27:17)
    2022/06/03(Fri) 09:31:37 編集(投稿者)

    アートポットさんが書かれていたものを引用させていただいて、私の考えを書かせていただいてみます。
    それについてのレスを書いてほしいとかではないですよ。
    ただ、書いてみたくなったのでそうしてみるということです。
    哲学とも無縁ではないと思いますし。


    >【自分の価値は他人が決める】
    学校でこのように教わる。
    正確には「あの人は立派な人だと称賛される人間になりなさい。」と。

    ワタクシは、これは本当だと思う。

    じゃあ誉められないヒトは、どうすりゃいいの?

    ネットでは有りがちな「自分の価値は自分が決める」。

    これしかないでしょうね。。

    アドラー心理学では「毎日の仕事が嫌で嫌で仕様がない人は自分の価値を自分で決めていない。」

    【自分の価値は他人が決めるけど、正気を保つために自分の価値を自分で決める】<


    そもそも、自分というものの評価に拘りすぎてもしかたないと思うのです。
    人から褒められることを第一の目標にするのは虚しいと、私は思います。
    「自分の価値は他人が決める」って、奴隷道徳っぽいなぁ、とも。

    自分が価値を創造したもの、つまり、「自分がこうしたい」「自分はこれがしてみたい」「自分はこうありたい」と自ら価値を創造したものを、自分なりに追求する、というのがまず第一にくるんじゃないのかな。

    その後に、場合によっては、他人からの評価なりというのがついて来る場合も社会活動にはたくさんあるけれど。
    例えば、会社で商品開発をしていれば、他社との競争はもちろんあるし、小説を書く人たちにしても、自分の書きたい物をもちろん書くけれど、出版してもらうための工夫(競争ということにもなりますね)が必要になったりと。

    田秋さんもたしかだいぶ前だったと思うのですが、「評価は後からついてくるもの」のように書いていらしたと思います。
    記憶違いかもですが・・。

     ディオゲネスという古代の哲学者。樽の中で日がな一日思索して過ごし、奇行でも有名な人ですね。
    こういう人ぐらい徹底して、他者からの評価を気にしない、努力しているようにも見えない(思索という努力はしていたるかもだけど)人も、自分が自分でいいと思えばそれでいいんだと思いますし、私はこの人は興味深いというかおもしろいなとも思うんです。

    ようは、まず第一は、「自分がいいようにやる」じゃないのかな。
    人への迷惑とか、社会通念上どうかとかも大切だけど、まずは自分がどうしたいか。



    >【努力は戦争の始まり】


    なぜ? と思いました。
    努力するということが競争と結びつくから、ということなのかな。

    私は、「努力は戦争の始まり」とは思わないです。
    自ら進んでする努力は、充実とか愉しさ、やりがいと結びつくと思います。

    何かができるようになるためには、大なり小なりの努力が必要じゃないですか。
    小さい子が自転車に乗れるように練習するのもそうだし、大人になってから何か勉強してみるのもそうだし。

    仮に、他者より勝ることを目的としてよからぬ努力をするなら、戦争に結びつくかもしれないですね。
    A国とB国は、ある農産物生産の競合国だとして。
    自らの生産する農産物の品質を上げようと努力するのは素晴らしいけれど、競合国の農産物についての良くない風評を流すなどしたら、争いに繋がる可能性はありますね。




引用返信/返信 削除キー/
■23695 / inTopicNo.28)  Re[24]: 価値と努力
□投稿者/ みのり -(2022/06/03(Fri) 11:17:53)
    ずっと洗わないでいたコップを洗ってみた。
    これも、努力の一つだと思いますよ。
    自分に可能そうなことを、少しずつ。
引用返信/返信 削除キー/
■23738 / inTopicNo.29)  論理哲学論考 5
□投稿者/ みのり -(2022/06/05(Sun) 08:16:32)
    2022/06/05(Sun) 08:21:49 編集(投稿者)

    シリーズ世界の思想 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』古田徹也 著
    を読み、理解できそうなところをまとめる、の五回目。

    今回は、本でいうとずっと先のほう、私が以前から考えずにいられずにいることについて、ウィトゲンシュタインが何か言っているのを知ったので、今回はそれについて。


    ◎ 六・四四 世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、
           そのことが神秘なのである。

    まったくそう思うのです。
    そもそもなぜ「ある」のか? その答えを誰も知らないけれど、「ある」ことになっている。
    多くの人が不思議を感じることだと思います。


    ・・・・・
    私たちが「世界がある」という命題で表現しようとする際の世界とは、無限定の対象であり、限界づけられるはずのない対象である。
    「世界がある」というのは、命題もどきであり、何の事実も写し取っていない。
    無限定の対象、あらゆる対象を含むことができてしまう対象は、対象ではないにも関わらず、私たちは世界が存在することに驚く。
    限界づけられるはずのないものを、限界づけられた全体として、「世界」と呼ばれるような何かとして、そう名指しされる一個の対象のようなものとして感じる。

    つまり、いかなる事態も描き出していないが(意味はない)が、重要性ないし意義がある(意味はある)というように、「限界づけられた全体として世界を感じる」という時になる。
    ・・・・・

    同書p318〜p319よりまとめ。


    このような「語りえない問題」について、哲学は語ろうとしてきたがそれは無意味だとウィトゲンシュタインは考え、「語りえることと語りえないことの区別」をつけようと、『論考』を書いた、ということですね。


    次回からは、また前に戻ります。


    とはいえ・・・不思議です。
    「なぜ世界があると人間は感じるのか」。
    「世界があるというように人間は感じるが、それはどうしてか、そもそも本当に確実に ある ものというものがあるとしたらそれは何なのか? 」とか。 
    ウィトゲンシュタインはそうしたことについては哲学から排除すべきと考えたみたいですが、考えてしまうのも人間だからこそなんですよね。




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■23780 / inTopicNo.30)  忘れ得ぬ人々
□投稿者/ みのり -(2022/06/07(Tue) 02:16:56)
    アートボットさんが書かれている、忘れ得ぬ人々について。
    味のあるいい文章だなぁ。


引用返信/返信 削除キー/
■23822 / inTopicNo.31)  論考
□投稿者/ みのり -(2022/06/09(Thu) 10:54:39)
    まとまった時間が取れず進めてない。。
    まぁそういう時もあるな。
    ゆっくり行こう。
引用返信/返信 削除キー/
■23844 / inTopicNo.32)  論理哲学論考 6
□投稿者/ みのり -(2022/06/10(Fri) 13:56:04)
    2022/06/10(Fri) 20:42:28 編集(投稿者)
    2022/06/10(Fri) 14:04:02 編集(投稿者)
    2022/06/10(Fri) 14:00:51 編集(投稿者)

    シリーズ世界の思想 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』古田徹也 著
    を読み、理解できそうなところをまとめる、の六回目。

    ・二・〇二七二 対象の配列によって、事態が構成される。

    様々な対象が様々に配列されることにより事態は構成される。

    ・二・〇三二  事態において諸対象が結合する仕方が、事態の構造である。

    対象の配列の仕方を「構造」と呼ぶ。

    構成される事態のなかには、実際に成立している事柄(事実)も、成立していない
    事柄(虚構)もある。


    ・二・〇二三一 …世界のあり方は、諸対象の配列によってはじめて構成
            される。…

    ・二・〇二三二 言うなれば、対象は無色である。

    ・二・〇二五一 空間、時間、および色(何らかの色をもつこと)は、対象の
            形式である。



    4でも見たように、どのような事態の中に対象が現れうるかは、あらかじめ決まっている。

    しかし、どのような事態が実際に成立するか、はあらかじめ確定してはいなく、
    対象によって構成される事態が特定の時間・空間内に何らかの位置を占め、何らかの色をもつことについては確定している。
    だが、具体的にどのように構成されるかは、あらかじめ決められてはいない。
    このことを「対象は無色」と言っている。

    以上、同書P50〜p53からまとめました。

    ここからは、自分なりに、車を例にして考えてみます。

    どのような事態の中に車という対象が現れうるか、はあらかじめ決まっている。
    車が道路を走る、車を洗う、などは事態の中に現れうる。
    車が本を読んでいる、車が犬を産んだ、などは事態の中に現れえない。

    車だけだと「無色」だということになる。
    いつどこにあるか(空間・時間)、色が示されることによって、事態となりうる。
    具体的にどう構成されるかは、あらかじめ決められてはいない。



    このあたり、おもしろいなぁ、と思うのです。
    「車」という一つの単語(ここでは、対象ですね)について、私たちは漠然としたイメージは持っているけれど、それだけでは何を言い表しているのかが分かりえないし、そうしたことについて「無色」という表現は「たしかに!」にと感心するような思いです。


    この部分についての続きが少しあるのですが、次回に。




引用返信/返信 削除キー/
■23848 / inTopicNo.33)  Re[29]: 論理哲学論考 6
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/06/10(Fri) 20:11:41)
    お邪魔しましま〜す。

    >・二・〇二三二 言うなれば、対象は無色である。<

    「無色」〜?
    ウィットちゃんの言う「無色」っていうの、どういう「色」だったのかしらね?



引用返信/返信 削除キー/
■23851 / inTopicNo.34)  Re[30]: 論理哲学論考 6
□投稿者/ みのり -(2022/06/10(Fri) 20:37:10)
    悪魔ちゃん、こんばんは。 レスありがとうございます。

    No23848に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しましま〜す。
    >
    > >・二・〇二三二 言うなれば、対象は無色である。<
    >
    > 「無色」〜?
    > ウィットちゃんの言う「無色」っていうの、どういう「色」だったのかしらね?
    >
    >
    >

    ・二・〇二三一 …世界のあり方は、諸対象の配列によってはじめて構成
            される。…

    これに続いて、該当の

    ・二・〇二三二 言うなれば、対象は無色である。

    が来ているんですね。

    対象の例を、また「車」として考えてみます。

    ただただ「車」だけでは、いつどこにあるどのような車かといった事態が何も言い表されていないですよね。
    こうしたことを指して、ウィトゲンシュタインは「対象は無色」と言っているのだと思います。

    今日は日曜日。繁華街の駐車場には、多くの車が停められている。
    例えば、このような事態の中において「車」という対象が構成の一対象となる時、「車」という対象は無色ではなくなる。
    日曜日の繁華街の駐車場に停められている多くの車という「車」、として事態から切り取られるものとなっている。

引用返信/返信 削除キー/
■23861 / inTopicNo.35)  Re[31]: 論理哲学論考 6
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/06/11(Sat) 17:07:02)
    ■23851、みのりさん、ありがと。

    でも、わたしにはよくわかんなかった。
    「車」のも。ごめんね。

    ウィットちゃんが「色」を持ち出してるんで、ちょっと気になって、つい書いちゃったんのね。

    2・0232は、〈対象は無色である〉、2・0231は、(世界のあり方は)〈諸対象の配列によってはじめて構成される〉ってわたし見たのね。で、ここに「色」を挿入して、
    (世界のあり方は)〈諸対象の配列によってはじめて有色(色が構成される)となる〉
    って、わたしして見たんだけど、これってホントかしら?ってね。

    ウィットちゃんの言う「無色」っていうのどんな色?
    色が無い? 無な色?それとも、真っ暗、っていうこと?
    対象は真っ暗である?
    真っ暗の配列は、やっぱ、真っ暗じゃないの?

    ウィットちゃんは、「色」について考えたことがあるのかしら?

    『論考』のわたしのちょっと書かせてもらっちゃうね。

    1世界は成立していることがらの総体である。
    よね。

    〈成立していないことがら〉は世界のなかに入れてないっていうふうにわたしには見れるんだけど。
    たとえば「植民地」これ過去には成立していたけれど、現在は成立してないんじゃないかしら。あと、現在では成立してないけどこれから起こる未来の可能性っていうのもあるんじゃないかしら?過去に経験したことがないようなことが現在いろいろ起こってるじゃん。この未来っていうのは予想不可能に近いと思うんだけど、そして現在成立してないことがらではあるにしても、これも現在に存在してるんじゃないかしら?
    過去・現在・未来が共存してるのが世界ってわたし見てる。

    こう思ってるわたしは、『論考』の「世界」っていうの、とっても狭い気がしてる。

    1という、こういう思考からしか世界を見ることしかできなかった『論考』は、
    7語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
    ってなっちゃたんじゃないかしら。

    『論考』のも、わたしも読んでいろいろ考えてはいるから、ついながながとお喋りしちゃったみたい、ごめん。

    ウィットちゃん、少しは白猫さまを見習えばよかったのにね。

引用返信/返信 削除キー/
■23864 / inTopicNo.36)  Re[32]: 論理哲学論考 6
□投稿者/ みのり -(2022/06/11(Sat) 20:18:51)
    2022/06/12(Sun) 07:59:22 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは。


    No23861に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■23851、みのりさん、ありがと。
    >
    > でも、わたしにはよくわかんなかった。
    > 「車」のも。ごめんね。
    >
    > ウィットちゃんが「色」を持ち出してるんで、ちょっと気になって、つい書いちゃったんのね。
    >
    > 2・0232は、〈対象は無色である〉、2・0231は、(世界のあり方は)〈諸対象の配列によってはじめて構成される〉ってわたし見たのね。で、ここに「色」を挿入して、
    > (世界のあり方は)〈諸対象の配列によってはじめて有色(色が構成される)となる〉
    > って、わたしして見たんだけど、これってホントかしら?ってね。
    >
    > ウィットちゃんの言う「無色」っていうのどんな色?
    > 色が無い? 無な色?それとも、真っ暗、っていうこと?
    > 対象は真っ暗である?解らない
    > 真っ暗の配列は、やっぱ、真っ暗じゃないの?
    >
    > ウィットちゃんは、「色」について考えたことがあるのかしら?

    「無色」というのは、本当に無色であるというのを言っているのではなく、無色に喩えているんです。

    例えば、悪魔ちゃんがしばらく疎遠だった誰かからメールを突然に受け取って、そこに「ハワイ」とだけ書かれていたとしたら、何が言いたいメールなのかさっぱり解らないですよね。
    ハワイという土地の名前は知っていても、「ハワイ」とだけ書かれていたら、ハワイという言葉で何が言いたいのかが解らない。

    そこには様々な可能性があり、確定していないですよね。
    そうしたことを「無色」と喩えているんです。

    でも、「ハワイに行ってきたので、お土産を渡したい。」というメールであったなら、意味が通じますよね。

    ・二・〇二三一 …世界のあり方は、諸対象の配列によってはじめて構成
            される。…

    諸対象が配列によって構成された、「ハワイに行ってきたので、お土産を渡したい。」という事態の中にあって、「ハワイ」という対象も、喩えて言うなら有色となる。

    これでどうかな〜。


    > 『論考』のわたしのちょっと書かせてもらっちゃうね。
    >
    > 1世界は成立していることがらの総体である。
    > よね。
    >
    > 〈成立していないことがら〉は世界のなかに入れてないっていうふうにわたしには見れるんだけど。
    > たとえば「植民地」これ過去には成立していたけれど、現在は成立してないんじゃないかしら。あと、現在では成立してないけどこれから起こる未来の可能性っていうのもあるんじゃないかしら?過去に経験したことがないようなことが現在いろいろ起こってるじゃん。この未来っていうのは予想不可能に近いと思うんだけど、そして現在成立してないことがらではあるにしても、これも現在に存在してるんじゃないかしら?
    > 過去・現在・未来が共存してるのが世界ってわたし見てる。
    >
    > こう思ってるわたしは、『論考』の「世界」っていうの、とっても狭い気がしてる。
    >
    > 1という、こういう思考からしか世界を見ることしかできなかった『論考』は、
    > 7語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
    > ってなっちゃたんじゃないかしら。
    >
    > 『論考』のも、わたしも読んでいろいろ考えてはいるから、ついながながとお喋りしちゃったみたい、ごめん。
    >

    語りえないことについては哲学からは排除しなければならない、という考えだったんですね。

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