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■21290 / inTopicNo.61)  pipitさんへ (;´・ω・)
  
□投稿者/ うましか -(2022/03/06(Sun) 11:17:59)
    2022/03/06(Sun) 11:37:01 編集(投稿者)

    おはようございます。

    No.21287 (pipitさん)

    >『純粋理性批判1』カント、中山元先生訳、p21
    >『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p8


    いつも、ありがとうございます。
    pipitさんは引用のページを記載してくださるのでありがたいですね!m(__)m

    さっそく確認しようとおもいます(・ω・)ノ


    私はまだ感性論の途中までしか目を通せていませんので、非常にざっくりとした(しかも誤解の可能性大の(;´・ω・))感想しか書けませんが、

    カント認識論の「感性」−「悟性(知性)」(二つの幹: No.17421 )を、今のところ(経験、観察による)「帰納」−「演繹」と重ねて考えてみようかなとおもっています。違うかなー(;´Д`A ```

    いずれにせよ、感性論に一通り目を通したら、第一項を読み直したいとおもっています。


    感性くん  悟性くん
    (;´・ω・) (;゚Д゚)  ふたたび… あれ?ママは?


    *******

    【追記】

    ふと気になって段ボール箱からこんな本を探しました。

    A.F.チャルマーズ『科学論の展開 − 科学と呼ばれているのは何なのか? −』

    h
    ttp://www.kouseisha.com/book/b212188.html

    でもこの本、索引にカントの名が無ーい(゚Д゚;)

    あと、ついでに…

    須藤靖・伊勢田哲治『科学を語るとはどういうことか − 科学者、哲学者にモノ申す』

    https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309254272/

    あら? 増補版が出てた・・・(;゚Д゚)









引用返信/返信 削除キー/
■21287 / inTopicNo.62)  Re[9]: うましか沼メモ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 23:51:48)
    うましかさん、こんばんはー
    貴重な沼メモありがとうございます(^ ^)

    No21283
    > ラッセルが「カント」の解説で次のように述べていることをメモしておきます(・ω・)ノ
    >
    > *******
    >
    > >「先天的(アプリオリ)」な命題とは、経験から"引き出される"こともありうるが、知られてしまった場合には、経験以外のものに基づいていることがわかる命題のことである。<
    >
    > →ラッセル『西洋哲学史3 近代哲学』、市井三郎訳、p.699
    >
    > ラッセルによれば、「算術を習っている子供」は、おはじき石二個とおはじき石二個を経験し、それらを寄せ合わすと四個のおはじき石を経験しているということを観察することによって学習の助けを得るが、いったん「二足す二は四である」という一般的な命題を把握してしまうと、もはやさまざまな事例によってその命題の確証を得る必要はないと述べます。
    >
    > つまりラッセルによれば、
    >
    > >その命題は、帰納ということが一般的法則にけっして与え得ないような確実性を、所有しているのである。<
    > → 同、p.699<

    カント哲学の解説としてラッセル先生は、『先天的(アプリオリ)」な命題』は、『帰納ということが一般的法則にけっして与え得ないような確実性を、所有している』とおっしゃってるんですね。

    確かそのようなことが『純粋理性批判』の序論に書いてた気がする、と、読み返してみました。

    『(略)したがって経験的な普遍性というものは、せいぜい多くの場合に妥当するにすぎないものを、すべての場合に妥当するものであるかのように、恣意的にその妥当性の水準を高めたものにほかならない。(略)
    これに対して、ある判断に厳密な意味での普遍性が本質的にそなわっている場合には、この普遍性は特別な認識源泉から生まれたものであること、すなわちアプリオリな認識の能力から生まれたものであることは明らかである。
     このように必然性と厳密な普遍性は、アプリオリな認識の確実な特徴であり、この二つの特徴はたがいに分かちがたく結びついている。(略)』
    『純粋理性批判1』カント、中山元先生訳、p21より引用。

    黒崎政男先生のこと思い出すんですよね。
    『「人間の頭で勝手に作ったように思われる微積などの数学を使うと、なぜ、宇宙の運行とぴったり合ってしまうのでしょうか?」』
    『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p8より引用。

    沼メモありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■21283 / inTopicNo.63)  うましか沼メモ
□投稿者/ うましか -(2022/03/05(Sat) 21:13:58)
    2022/03/05(Sat) 21:17:18 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っスo(・x・)/ !

    ラッセルが「カント」の解説で次のように述べていることをメモしておきます(・ω・)ノ

    *******

    >「先天的(アプリオリ)」な命題とは、経験から"引き出される"こともありうるが、知られてしまった場合には、経験以外のものに基づいていることがわかる命題のことである。<

    →ラッセル『西洋哲学史3 近代哲学』、市井三郎訳、p.699

    ラッセルによれば、「算術を習っている子供」は、おはじき石二個とおはじき石二個を経験し、それらを寄せ合わすと四個のおはじき石を経験しているということを観察することによって学習の助けを得るが、いったん「二足す二は四である」という一般的な命題を把握してしまうと、もはやさまざまな事例によってその命題の確証を得る必要はないと述べます。

    つまりラッセルによれば、

    >その命題は、帰納ということが一般的法則にけっして与え得ないような確実性を、所有しているのである。<
    → 同、p.699
引用返信/返信 削除キー/
■21282 / inTopicNo.64)  Re[7]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 20:32:09)
    感性論は数学、
    悟性論(プラス感性論)は物理学などの基礎となる純粋自然科学の成立について記述してるとpipitは思ってるよー


引用返信/返信 削除キー/
■21281 / inTopicNo.65)  Re[9]: カントの
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 20:28:28)
    悪魔ちゃんへ

    No21278
    > >抜粋引用<部分、わたしには、よく分かんなかったけど、
    >
    > >感性的認識の必然的前提<
    > って、何の前提なのかしら?
    > 〈悟性の〉必然的前提が感性的認識っていうこと?
    > それとも感性的認識に必然的前提があるっていうこと?<

    No21275では、途中から抜粋引用してるから、わかりにくかったらごめんね。

    この文意では、

    > それとも感性的認識に必然的前提があるっていうこと?<

    の意味で、前提と言ってるんだとpipitは思う。
    感性的認識の必然的前提が純粋形式としての時間空間だと言ってるんだと思う。
    そのことがわかる(と思う)抜粋引用箇所の一つ前を、新しく引用するね。

    同じくwiki『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ』からの抜粋引用です。

    『超越論的主要問題の第一部:如何にして純粋数学は可能か
    この部分は、要するに『純粋理性批判』から超越論的感性論の要約版になっている。この中で、カントは空間と時間の超越論的観念性についてのひょっとすると最も有名な教説を展開している。要約すれば次のようなことが述べられている。空間と時間は実在的には存在しない、つまり、人間から独立には存在しない。すなわち、それらはむしろ(人間の)全ての感性的経験の根本条件であり、それで以て我々が現実を見るようなメガネのようなものである。
    全ての感性的経験の必然的条件である純粋な直観形式である空間と時間とを以て、この理論は特に次のことを説明しようとする。なぜ数学と幾何学(カントの時代での)における判断は全ての経験判断を超えた破棄できない必然性をもつのか。すなわち、両者が現実において我々から独立に形成されうるのならば、それらについての言明は、例えば「全ての(健全な)犬は四本の足を持つ」のような帰納推理による比較的普遍的な言明の確実性を要求しうる。すなわち、我々が「これまで」見てきた限りで、犬類の(健全な)生物は四肢を持つ。我々がある日三本の足をもったそのような生物にも出くわすだろうことを不可能にしないのは何か。』

引用返信/返信 削除キー/
■21278 / inTopicNo.66)  Re[8]: カントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 19:22:10)
    pipitさま、■21275、ありがと

    >抜粋引用<部分、わたしには、よく分かんなかったけど、

    >感性的認識の必然的前提<
    って、何の前提なのかしら?
    〈悟性の〉必然的前提が感性的認識っていうこと?
    それとも感性的認識に必然的前提があるっていうこと?



引用返信/返信 削除キー/
■21276 / inTopicNo.67)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 19:06:14)
    No21272に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■21270、pipitさま、
    > >なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー<
    > うん、わたしもそう思ってる。
    > で、カントはそこらへんなんていってるの?

    ふと思ったんだけど、
    悪魔ちゃんはどう思ってるの?
    わたしにとって悪魔ちゃんの意見は新鮮だから聞きたいな、と。

    気が向いたらでいいよ!

    家事してくるねー (^○^)
引用返信/返信 削除キー/
■21275 / inTopicNo.68)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 18:58:22)
    いつもありがとうねー(^ ^)

    wikiの『純粋理性批判』の項目の説明より、
    同じカント著の『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のためのプロレゴメナ』のページの方が、まだわかりやすかった(と言ってもややこしいけど( ̄▽ ̄;))のでそちらの方を引用するね。

    抜粋引用
    『超越論的主要問題の第二部:如何にして純粋自然科学は可能か
    この部分は、手短に言えば、『純粋理性批判』の超越論的分析論の思想を再現している。すなわち、前の部分では感性的認識の必然的前提が主役を演じたが、ここでは(カント的な意味での)悟性が認識するものが核心にある。「実体」、「原因と結果」、「普遍性」等々のような原理的な、自然科学(カントの時代の)における中心概念(カントはそれを「カテゴリー」と呼ぶ)が、空間や時間と同じように我々の認識のうちで必然的条件となることを悟性は証明しようとする。すなわち、我々はカントに従って、二つの連続する出来事の関係(太陽が石を照らす、石が温まる)を因果性のカテゴリーの下で考察することができる。カテゴリーはかつて単に連続していただけのものに客観的必然性を与える。すなわち、まさに太陽が石をてらす「ので」、石が温まるのである。
    これも、普遍的で自然科学的な言明に、単なる帰納を超えて達せられるある種の必然性と合法則性を確保するという上述の目的と似ている。ちょうど原因と結果の取り扱いはさらにヒュームに対する明白な反対と見なされる。ヒュームは因果関係についての我々の言明の客観的実在性を攻撃し、そこに出来事についての観察された関係について必然性を想定する習慣への単なる主観的で心理学的な傾向だけを認めた。』
引用返信/返信 削除キー/
■21274 / inTopicNo.69)  Re[6]: カントの
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 18:47:34)
    2022/03/06(Sun) 00:12:16 編集(投稿者)

    No21272に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■21270、pipitさま、
    > >なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー<
    > うん、わたしもそう思ってる。
    > で、カントはそこらへんなんていってるの?<

    じゃあ、まず誤解してるかものpipitの感想を書くね。
    あとで、wikiとかに載ってないかみてくるね。

    pipit私見
    人間が物自体に触発されて生じる現象の形式を利用して作成されているのが、人間の数学や物理学なので、人間であるならお互いに共有できる可能性を有してる、と、pipitは思ってるよ。

    よりpipitの私見雑感で言うね。

    現象表出用のための、内蔵形式を利用してるので、現象にも適用可能だし、共通知にもなる、と思ってるよ。

    ちょっとwikiみてくるねー
引用返信/返信 削除キー/
■21272 / inTopicNo.70)  Re[5]: カントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 18:21:54)
    ■21270、pipitさま、
    >なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー<
    うん、わたしもそう思ってる。
    で、カントはそこらへんなんていってるの?
引用返信/返信 削除キー/
■21270 / inTopicNo.71)  Re[4]: カントの
□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 17:59:44)
    2022/03/05(Sat) 18:00:35 編集(投稿者)

    No21269に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、お邪魔するね
    >
    > カントの、「時間・空間」っていうの、
    > 「物理学」っていう「科学」を見てそう思ったんじゃない?<

    悪魔ちゃん、こんばんは(^_^)

    そうだね、わたしはまだ純粋理性批判を通読できてない者だけど、
    なんで科学や数学を学問として共有知識にできてるんかなー、というところから出発したとこもあるのかもしれないね。
引用返信/返信 削除キー/
■21269 / inTopicNo.72)  Re[3]: カントの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/05(Sat) 17:47:45)
    pipitさま、お邪魔するね

    カントの、「時間・空間」っていうの、
    「物理学」っていう「科学」を見てそう思ったんじゃない?
引用返信/返信 削除キー/

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