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Re[9]: うましか沼メモ
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□投稿者/ pipit -(2022/03/05(Sat) 23:51:48)
| うましかさん、こんばんはー 貴重な沼メモありがとうございます(^ ^)
■No21283 > ラッセルが「カント」の解説で次のように述べていることをメモしておきます(・ω・)ノ > > ******* > > >「先天的(アプリオリ)」な命題とは、経験から"引き出される"こともありうるが、知られてしまった場合には、経験以外のものに基づいていることがわかる命題のことである。< > > →ラッセル『西洋哲学史3 近代哲学』、市井三郎訳、p.699 > > ラッセルによれば、「算術を習っている子供」は、おはじき石二個とおはじき石二個を経験し、それらを寄せ合わすと四個のおはじき石を経験しているということを観察することによって学習の助けを得るが、いったん「二足す二は四である」という一般的な命題を把握してしまうと、もはやさまざまな事例によってその命題の確証を得る必要はないと述べます。 > > つまりラッセルによれば、 > > >その命題は、帰納ということが一般的法則にけっして与え得ないような確実性を、所有しているのである。< > → 同、p.699<
カント哲学の解説としてラッセル先生は、『先天的(アプリオリ)」な命題』は、『帰納ということが一般的法則にけっして与え得ないような確実性を、所有している』とおっしゃってるんですね。
確かそのようなことが『純粋理性批判』の序論に書いてた気がする、と、読み返してみました。
『(略)したがって経験的な普遍性というものは、せいぜい多くの場合に妥当するにすぎないものを、すべての場合に妥当するものであるかのように、恣意的にその妥当性の水準を高めたものにほかならない。(略) これに対して、ある判断に厳密な意味での普遍性が本質的にそなわっている場合には、この普遍性は特別な認識源泉から生まれたものであること、すなわちアプリオリな認識の能力から生まれたものであることは明らかである。 このように必然性と厳密な普遍性は、アプリオリな認識の確実な特徴であり、この二つの特徴はたがいに分かちがたく結びついている。(略)』 『純粋理性批判1』カント、中山元先生訳、p21より引用。
黒崎政男先生のこと思い出すんですよね。 『「人間の頭で勝手に作ったように思われる微積などの数学を使うと、なぜ、宇宙の運行とぴったり合ってしまうのでしょうか?」』 『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p8より引用。
沼メモありがとうございます!
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