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■19990 / inTopicNo.85)  Re[13]: 超越
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/17(Fri) 21:18:39)
    pipitさま、お邪魔するね

    「超越」って、〈何か〉を超越する、っていうことだとわたし思うんだけど、

    カントの場合、その〈何か〉とは○○である、とかなんか言ってる?

引用返信/返信 削除キー/
■19988 / inTopicNo.86)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/12/17(Fri) 19:58:42)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1982/32/1982_32_116/_article/-char/ja/

    円谷裕ニ先生の論文『経験的実在論と超越論的観念論』を読んでるけど、私にとっては新しい考え方なので理解が難しいけど、別の意味で(?)ちょっとおもしろかったところを。。。

    『確かに、第 一版には、外的対象と か表象と いう概念 の用法 に関して、第 二版 より曖昧な点があ るのは事実 である。 しかしそ の曖昧さ はあくま でも、補足す べき言葉を欠くた めであ って、決して内容上 のも の で は な い。それを内容 上 のも のと見なし、第 一版と第 二版 に相違を 認 めようとする のは、カ ント の経験的実在論と超越論的観念 論の二元論という根本思想 の含蓄を捉え損 った解 釈 と 言 え る。と いう のは、こ の二元論 のも つ内容 を踏まえて、先程 の 引用文 に次 の如く言葉を補う こと によ って、第 二版 と内容上 の差異のな いものと解しうるからであ る。即ち、「外的対象 は 〔超越論的 に見れば〕表象 に他ならず 、〔そ の 超越論的 に 見られ た〕表象 〔は経験的 には外的対象 であ り、そ の外的対 象〕の直接的知覚は、同時に、〔超越 論 的 に 見 れ ば〕表象 〔であるところの、経験的な外的対象〕の現実性の十分 な 証 明である。」こ の注釈文中の超越論的表象と経験的外的対象 は、存在的に異な った二つの物ではなく、同 一の物が、その 物の認識の可能性を超越論的に問う時に表象と呼ばれ、その 物の存在が問題 になる時に外的対象と呼ばれているにすぎない。』

    、、、、

    【「外的対象 は 〔超越論的 に見れば〕表象 に他ならず 、〔そ の 超越論的 に 見られ た〕表象 〔は経験的 には外的対象 であ り、そ の外的対 象〕の直接的知覚は、同時に、〔超越 論 的 に 見 れ ば〕表象 〔であるところの、経験的な外的対象〕の現実性の十分 な 証 明である。」】

    円谷先生、〔補足〕をめっっちゃされてますね。。。
    カント先生のせい。。。。


引用返信/返信 削除キー/
■19981 / inTopicNo.87)  Re[11]: いいかげんに書いちゃう日記
□投稿者/ pipit -(2021/12/16(Thu) 20:04:57)
    No19980
    >今読んでる論文は(私の力不足できちんとは理解できてないけど)おもしろい解釈で、
    主観はずっと触発されっぱなしでいる、みたいな解釈なのかな???<


    https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1500457/lit0185_review.pdf
    を見ると、

    円谷裕二教授が

    カントの超越論的観念論についての考察 : 『純粋理 性批判』における認識と存在の関係
    朴, 修範さんの論文の主査をされているようですが、

    前にうましかさんからご紹介いただいた
    No17592
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1982/32/1982_32_116/_article/-char/ja/

    円谷裕二『経験的実在論と超越論的観念論』,1982年

    さんの論文にも下記のような箇所があり、(9/11)

    『触発とは、 一般的 に言えば、超越論的 観念論と観念論的な らざるも のと の接触 の事態 であ る。換言す れば 、超越論的観 念論 の外 にあ る或 る物が、それ の理論的展開を動機づける こ と である。と ころで、実在論的解釈 のよう に、触発す る或る 物を物自体と見なすのは、 一方で、その物と我 々主観との関 係 を主張 し、同時 に他方 で、物 の自体性 の故 に、そ の物と主 観と の無関係を語 ること になり、惇 理であ る。 このこと は、 「実体化」された超 越的物自体ば かり でなく、第 二節 で 言及 した 「経験的」物自体を、触発す るも のと解する 場 合 に も 妥当する。カントが、大抵 の場合、触発するものを物自体と 表現しな いのは、実在論的解釈 のこの難点を熟 知して いたか らだと推察しうる。触発 の事態が成立する には、「何 か 或 る 物 を 対 象 と し て 認 識 す る 」 (B125) 以 前 に 既 に 、 そ の 物 は 何 らか の仕方 で主観 と関係 していなければ ならな い。 人間直観 が本来 「感性的」だと いう こと は

    主観が 、何 か或 る物 によって、初 めて触発され ること ではなく、常 に触発 されていることを意味する。触発され ているからこそ 、或 る物が初 めて 我 々を触発する こと に気づき、また、そ の或 る物を 「対象と して認識する」 ことも可能 になる。』

    もしかして、円谷先生が朴さんの指導教授で、円谷先生のアイデアを引き継いでいる可能性もあるのかな?と思いましたが、
    全然理解してないかもで、pipitの能力不足で誤解しまくってたらすみませんm(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■19980 / inTopicNo.88)  いいかげんに書いちゃう日記
□投稿者/ pipit -(2021/12/16(Thu) 19:42:31)
    わからないけど、ここらへんが、カント哲学の解釈としてはけんけんがくがくな感じのとこかなーと、そんな予感がしてます。

    例えば、意識の外に、原因となったミカンがある、とすることは、
    カント哲学の用語としては、否定的意味合いを含んでそうな『超越論的実在論』になるきもするけど、
    でも、物自体の触発、というカントの認識論の構造としては不自然でもないもいうか。。。

    矛盾だろ、とか、いや整合してる、とか、さまざまな見解や解釈が出てそうな気がしてます。

    今読んでる論文は(私の力不足できちんとは理解できてないけど)おもしろい解釈で、
    主観はずっと触発されっぱなしでいる、みたいな解釈なのかな???

    https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1500457/lit0185.pdf

    違ったらすみませんだけど、もし、そういう解釈なら、おもしろい解釈ですよね。
    これだと、いろんな変化を一貫して触発されてる中での『心の変容』として考えることも可能となり、物自体のジレンマが少し軽くなる?印象も持っていますり

    まあわかりませんけど。。。

    沼。。。カント先生のせい。。。


引用返信/返信 削除キー/
■19979 / inTopicNo.89)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/12/16(Thu) 19:27:39)
    こんばんはー
    論文を三分の一読んで疲れたよ、、、

    > ん〜ん、カントの「物自体」って日訳されるのを、わたし「物そのもの」って見てるんだけど、「物そのもの」は「姿」だけじゃないよね、こういう意味で言ってるの?<

    んー、、、
    目の前にミカンあるやん?

    悪魔ちゃんの目の前にミカンあるとして、、、
    とりあえず、悪魔ちゃんの意識の内に、ミカンが対象としてあるやん?

    悪魔ちゃんの意識ではないとこにも、悪魔ちゃんの意識の内のミカンと対応してるものがあると、悪魔ちゃんは思ってる??

    どんなふうに悪魔ちゃんは考えてるのかなー


引用返信/返信 削除キー/
■19977 / inTopicNo.90)  Re[8]: 物自体
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/16(Thu) 18:52:36)
    ■19959 、pipitさま、

    >悪魔ちゃんは、物そのものの姿について、何か思うことある??<

    ん〜ん、カントの「物自体」って日訳されるのを、わたし「物そのもの」って見てるんだけど、「物そのもの」は「姿」だけじゃないよね、こういう意味で言ってるの?

引用返信/返信 削除キー/
■19970 / inTopicNo.91)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/12/15(Wed) 23:24:25)
    うましかさん、こんばんはー (o^^o)♪

    No19965に返信(うましかさんの記事)
    > pipitさん、こんばんはー
    >
    > 今夜はじめてカント沼からパニチェさんの沼へ、
    > パニチェさんに会いにいきました(;´・ω・) <

    うましかさんはいろんなことをご存知なんだろうなー、
    すごいなー !(◎_◎;)


    >
    >  (*‘∀‘) → ● | 〇 物自体
    >  経験的
    >           ↑(/・ω・)/超越論的
    >
    > なんだか突然、お絵かきしてしまってすみません。
    > 沼くんの位置はあまり気にしないでください〜m(__)m
    >
    > 単純うましかに、矢印 "→" "↑"と、「壁(のつもり)」" |" で、経験的と超越論が区別できないかなーとおもったのでした。 <
    > いつかの養老孟司の別荘の壁をみたのがきっかけです(;゚Д゚)(゚Д゚; )<

    そうだったのですねー、位置が絶妙な気がしてましたー
    私にとっては、すごく助かります、ありがとうございますm(_ _)m

    生命とか、自然とか、認識とか、知覚とか、
    いろんなこと、不思議に思います。 ナゾっ

    今日も一日おつかれさまでした! 
    おやすみなさーい (^_^) ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■19965 / inTopicNo.92)  カント落書き沼(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/12/15(Wed) 21:21:06)
    pipitさん、こんばんはー

    今夜はじめてカント沼からパニチェさんの沼へ、
    パニチェさんに会いにいきました(;´・ω・)


     (*‘∀‘) → ● | 〇 物自体
     経験的
              ↑(/・ω・)/超越論的

    なんだか突然、お絵かきしてしまってすみません。
    沼くんの位置はあまり気にしないでください〜m(__)m

    単純うましかに、矢印 "→" "↑"と、「壁(のつもり)」" |" で、経験的と超越論が区別できないかなーとおもったのでした。

    いつかの養老孟司の別荘の壁をみたのがきっかけです(;゚Д゚)(゚Д゚; )


引用返信/返信 削除キー/
■19959 / inTopicNo.93)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/12/15(Wed) 20:01:15)
    悪魔ちゃん、こんばんは!

    No19958に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No19935
    > >意識の内で見てるもの、と、外にある物そのものは、ほぼ同じ姿と思ってるの?<
    > ごめんね、ちょっとわかんない。
    > 〈意識の内で見ているもの〉
    > 〈物そのもの〉
    > 〈姿〉
    > が、
    > pipitさまのうちでどのように連関してるのかが。<


    あーそうかぁ、どの視点からの見え姿か、という問題もあるのかなぁ。

    難しいね。

    むー、考えちゃうね。。。

    悪魔ちゃんは、物そのものの姿について、何か思うことある??




引用返信/返信 削除キー/
■19958 / inTopicNo.94)  Re[7]: カント落書き沼
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/15(Wed) 19:38:45)
    No19935
    >意識の内で見てるもの、と、外にある物そのものは、ほぼ同じ姿と思ってるの?<
    ごめんね、ちょっとわかんない。
    〈意識の内で見ているもの〉
    〈物そのもの〉
    〈姿〉
    が、
    pipitさまのうちでどのように連関してるのかが。




引用返信/返信 削除キー/
■19949 / inTopicNo.95)  Re[6]: カント落書き沼
□投稿者/ pipit -(2021/12/15(Wed) 10:04:49)
    うましかさん、こんにちは♪(o^^o)

    No19945
    > 思いつきで落書き! ぜんぜん違うかもしれないけど(゚Д゚;)
    >
    >
    >
    >  (*‘∀‘) → ● | 〇 物自体
    > 経験的
    >           ↑ (/・ω・)/超越論的 <

    えー、なになにですかー!?!?!


    わからないけど、御子善之泉で見た図を思い出したので、図と共にある該当箇所を読み直しました。
    引用しますね。

    (御子柴善之先生の解説文の引用)
    『なお、前章でも見たように「超越的」とよく似た形容詞に「超越論的」がある。
    ここでその相違を再確認しておこう。

    私たちの議論の出発点は「経験」である。私たちの認識はつねに経験とともに始まるからである。
    経験とは経験的認識であり、それには内容として知覚が含まれている。
    この知覚はつねに経験的である。

    さて、そうした経験において、それとともにあるア・プリオリな認識の可能性を論じる水準が「超越論的(transzendental)」という形容詞で表示される議論の水準である。
    このような認識の可能性の問題は認識主観にかかわる問題であるから、「超越論的」とは、認識主観と客観の関係において、主観の側に注意を向けて用いられる用語である。
    他方、超越論的な議論の水準において私たちは、経験の現実性ではなく可能性を論じるがゆえに、経験的な現実内容に縛られない。
    そこには、経験不可能なことをも視野に入れて〈考える〉可能性が開いている。
    だからこそ、やがて「超越論的理念」が論じられることになる。
    そうした超越論的な水準で考えた、経験不可能な客観について、それを客観的にしかし独断論的に語る振舞いが「超越的(transzendent)」である。

    かんたんにまとめるなら、
    「超越論的」は「経験的」の対義語であり、
    「超越的」は「内在的」の対義語であり、
    「内在的」と「経験的」が領域としては重なり合うのに対し、
    「超越論的」と「超越的」は重なり合わないのである。』
    『カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く』御子柴善之先生著、p182.183より引用終了。


    pipitの感想
    全然違うかもだけど、、、

    【↑(/・ω・)/超越論的 】
    沼くんの居る位置が、物自体寄りなのは、

    御子柴先生の
    > 他方、超越論的な議論の水準において私たちは、経験の現実性ではなく可能性を論じるがゆえに、経験的な現実内容に縛られない。
    そこには、経験不可能なことをも視野に入れて〈考える〉可能性が開いている。<

    という文章に重なってpipitには思われました。

    改めて読み直すと
    > 「超越論的」は「経験的」の対義語であり、<
    とありますね!

    そうかぁ、

    (カントの文章)中山元先生訳(『純粋理性批判1』p57.中山先生独自番号029)の引用。
    『わたしは、対象そのものを認識するのではなく、アプリオリに可能なかぎりで、わたしたちが対象を認識する方法そのものについて考察するすべての認識を、超越論的な認識と呼ぶ。』
    第二版序論B25あたり

    超越論的って、やっぱり、【アプリオリ】についての議論ということになるのかなー
    (そのアプリオリが経験につながってる、、、?)

    んー、、、沼ーーー (/・Ω・)/

    うましかさん、感謝です!!(^人^)
引用返信/返信 削除キー/
■19945 / inTopicNo.96)  カント落書き沼(*‘∀‘)
□投稿者/ うましか -(2021/12/14(Tue) 22:47:28)
    pipitさん、こんばんはー

    思いつきで落書き! ぜんぜん違うかもしれないけど(゚Д゚;)



     (*‘∀‘) → ● | 〇 物自体
    経験的
              ↑(/・ω・)/超越論的
     

引用返信/返信 削除キー/

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