□投稿者/ pipit -(2021/12/16(Thu) 19:42:31)
| わからないけど、ここらへんが、カント哲学の解釈としてはけんけんがくがくな感じのとこかなーと、そんな予感がしてます。
例えば、意識の外に、原因となったミカンがある、とすることは、 カント哲学の用語としては、否定的意味合いを含んでそうな『超越論的実在論』になるきもするけど、 でも、物自体の触発、というカントの認識論の構造としては不自然でもないもいうか。。。
矛盾だろ、とか、いや整合してる、とか、さまざまな見解や解釈が出てそうな気がしてます。
今読んでる論文は(私の力不足できちんとは理解できてないけど)おもしろい解釈で、 主観はずっと触発されっぱなしでいる、みたいな解釈なのかな???
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1500457/lit0185.pdf
違ったらすみませんだけど、もし、そういう解釈なら、おもしろい解釈ですよね。 これだと、いろんな変化を一貫して触発されてる中での『心の変容』として考えることも可能となり、物自体のジレンマが少し軽くなる?印象も持っていますり
まあわかりませんけど。。。
沼。。。カント先生のせい。。。
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