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■20549 / inTopicNo.1)  おあとがよろしいようで
  
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/27(Thu) 20:59:44)
    おあとがよろしいようで
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■20548 / inTopicNo.2)  Re[55]: ロゴス
□投稿者/ knowing itself -(2022/01/27(Thu) 20:24:49)
    こんばんは。

    ルター訳の聖書をもっていますが、ロゴスの訳はWortになっています。英語のWordに近いです。
    それまでヨーロッパ世界で中心だったのはラテン語訳聖書でしょう。聖書を読むことを禁止する以前に、その当時の庶民にはラテン語も読めなかったのだと思います。ラテン語にしても元々は古典ギリシャ語に比べれば、野蛮人の言語で、長い時間をかけてギリシャ語的な語彙や精神を取り込む過程で洗練されていったのがラテン語だと言われています。新約聖書のギリシャ語はコイネーですが、いわゆる古典ギリシャ文明黄金期のギリシャ語よりは、素朴な庶民的な言語らしい。あまり哲学や理性的な香りのするものではないとか。この点では、ラテン語訳の方が荘重かもしれません。

    ヨーロッパというと文明の先進地と思いがちですが、東アジアの方が少なくとも文字や読書に関しては、遥かに早い段階で成熟していたのではないでしょうか。

    ルター訳が十六世紀に出て、ようやくドイツ語が国民言語として生まれたとかいって、中国や日本に比べれば遅すぎるのではないでしょうか。


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■20547 / inTopicNo.3)  Re[54]: ロゴス
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/27(Thu) 18:44:01)
    2022/01/27(Thu) 19:07:23 編集(投稿者)

    こんばんは、floraさん

    ラテン語のVerbumってネットで日本語に直すと「動詞」になるんですが、ここではそんな単純なことじゃないんですよね?

    ここ、初心者にもわかりやすくロゴスを説明しています。
    https://information-station.xyz/6523.html

    受け売りですが、ずっと翻訳することが禁止されていて原典版(ギリシア語とかヘブライ語)を読んでて、ルターがドイツ語訳を出してから色んな言葉に翻訳されるようになっていったそうです。上記URLのB

    ということはそれまではヨハネの冒頭の「言」というところはギリシア語のロゴスで皆さん読んでたんですかね。。。

    追加
    昨日のホームズは《悪魔の足》でした。これは本を読んだ時の印象が強く残っています。
    ドイルが偉いのか翻訳者(延原謙)が凄いのか、筆力というものはやっぱりあるんですね。スタンデイル博士がワトソンに「悪魔の足というのを知ってますか?」と尋ねワトソンが「いや、知らない」と言って「知らなくても恥じゃない。ヨーロッパにはブダの研究所以外にはない」というところがあります。このブダはBudapestのブダでしょうが、日本語吹き替えはちゃんと「ブダ」と言っているのに字幕が「ブタ」になってましたぁ。
    最後のバイオリン、カッコイイ!


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■20546 / inTopicNo.4)  Re[53]: ロゴス
□投稿者/ flora -(2022/01/27(Thu) 17:42:19)
    No20539に返信(田秋さんの記事)
    > こんばんは、floraさん
    >
    > floraさんはロゴスだ!!!
    >
    > なんちゃってね^^

    ==========
    田秋さん、おはようございます!古典言語を学んだ友人に聞いただけなので。ロゴスって怪獣の名前のような^^。ロゴス対ゴジラとか^^

    ではラテン語ではロゴスというオールマイティな単語をどのように置き換えたのか調べたのですが、Verbumでした。ある程度ギリシャ語のロゴスの意味も含むようなのですが。
    では、なぜラテン語にはロゴスに該当する単語がないのか?という疑問になるんですが、古代ローマの教養人はギリシャ語を話していたそうで、基本的にすべてを訳す必要がなかったからだと友人が言っていました。

    古代ギリシャには数学哲学文学・・・大変高度な文明がありましたが、単語においてもオールマイティな神を表現できるような単語があったということ、私には驚きでした。
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■20543 / inTopicNo.5)  Re[53]: 神のことば
□投稿者/ knowing itself -(2022/01/27(Thu) 07:27:59)
    おはようございます

    > 「思い出してください。聖書の初めから終わりまで述べられているのは、神の一つの同じみことばです。すべての聖書記者の口から響き出るものは、一つの同じみことばです。そのみことばは、初めから神のもとにおられる神として時間的な存在ではないから、音節を必要となさいません」アウグスチヌス『詩編講解』

    音節を必要としない「ことば」なので、単語やフレーズ、文による限定がまったくない「ことば」ということです。無尽蔵のキャパシティをもっている創造作用そのものとしての「ことば」。それが一つある。

    この「ことば」正確には「みことば」が、創世記から始まる全旧約聖書、マタイ福音書からヨハネ黙示録までの新約聖書を通して響きつづけている。これがキリスト教の「みことば」の捉え方だと思います。もっといえば、聖書成立以前、宇宙誕生以前から、ずっと響きつづけていると捉える。

    普通の人間が理解することばとは、かなり違うのかもしれない。

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■20539 / inTopicNo.6)  Re[52]: ロゴス
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/26(Wed) 22:54:51)
    こんばんは、floraさん

    floraさんはロゴスだ!!!

    なんちゃってね^^
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■20535 / inTopicNo.7)  ロゴス
□投稿者/ flora -(2022/01/26(Wed) 18:19:46)
    2022/01/26(Wed) 19:43:50 編集(投稿者)

    No20500に返信(ディディモさんの記事)
    ディディモさん、所長、お久しぶりです^^〜。横失礼します〜。

    > >ディディモさんにお聞きしたいのですが、古代ギリシア哲学の《ロゴス》という概念に対してディディモさんはどういうイメージをお持ちでしょうか?キリスト教成立以降、教父たちがヘレニズム文化をキリスト教に組み入れていったとのことでなのですが、その辺りで果たしたロゴスの役割についてお考えをお聞きできればと思います。<

    > わたしは古代ギリシャ哲学についても、またギリシャ語についても・・ほとんど無知です。ただ古代のユダヤ人の方については、ディレッタント(好事家)が持つ程度の興味があって、色々調べたこともありますので・・その後者からの見方、つまり私にユダヤ贔屓という偏向があるということを御承知おきの上でカキコさせて頂きます。^^;

    > 結論から言いますと、古典ギリシャ語の《ロゴス》の意は多くありますが、大別すれば「言葉」と「理性」の二つの意味の系統があると言われています。
    > しかし、旧約聖書(原文はヘブライ語で書かれており、古代にギリシャ語に訳されたものを七十人訳聖書と呼びます)でも、また新約聖書(こちらは元々ギリシャ語)でも、原則として《ロゴス》は「言葉」の意味だけに用いられており「理性」(とそのコロニー<系>)の意味で用いられることはまずありません。ここに私はギリシャとユダヤの間に、その《ロゴス》に対する哲学概念の違いを見出します。

    > つまり、以前の投稿でヨハネ伝の「太初(はじめ)に言葉あり」を取り上げましたが、この「言葉」の原語は《ロゴス》でしたね。「太初(はじめ)にロゴスあり」ですよね。しかしそこにギリシャ語の《ロゴス・理性》というもう一つの意味があるかといえば、微妙な余地を残しながらも「ほとんどない」と言って良いでしょう。

    ==============

    ギリシャ語には「言葉を」表現するほかの単語があるにも関わらずなぜこのヨハネの伝の冒頭の日本語では、言葉に当たる単語をロゴスと変換したのか?という疑問が私にはあり、参考までに言語に詳しいこちらの友人に聞いてみました。

    「ロゴス」というギリシャ語の単語はー話、アイディア、概念、秩序、法規、意識、理解、知性ー等々膨大な意味を含み、ヨハネ伝の冒頭では神の言葉に言及しているゆえに一つの意味に限定できず、意味自体が無限に膨らむ単語を選ぶ必要があったのではないかという風に言っていました。単純な単語ほど、意味が深く、逆に複雑化すればするほど意味が限定されてくると・・・

    意味を限定できないもの=ギリシャ人がロゴスというほぼ無限の意味を持つ単語に変換したのは正解だったというのが友人の意見でした。そういう意味では無限の何か=すべてを表現できるギリシャ語の単語の選択に関しては、翻訳者たちの聖書に対する理解が非常に高かったと思わざるを得ません(あたりまえですが!)

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■20532 / inTopicNo.8)  Re[58]: 葬式仏教 感想
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/26(Wed) 09:42:32)
    おはようございます、パニチェさん

    昨年のお約束をようやくどうにか果たせました。

    葬式仏教への主な批判は、仏教というものは今生きている人のためにある筈なのに、今の寺は死者の供養に偏り、しかもそれが寺の主な収入源になっているが、それはおかしな話だ、という事だと思います。それに対して死者への供養は必ずしも仏教の本道から外れているものではないというのがここでの結論なのではと思います。

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■20531 / inTopicNo.9)  葬式仏教 3
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/26(Wed) 09:09:03)
    おはようございます、パニチェさん

    今回ここで紹介している葬式仏教については末木文美士氏が執筆しています。

    往生と成仏

    日本で葬式仏教が発展したのは、もちろん近世から近代へかけての政治的、社会的な変化に仏教が適応したところにあるが、その理論的な根拠となる思想は、日本に古くから展開していた。

    まず指摘されるのは空海の即身成仏の思想である。空海によれば地・水・火・風・空・識の六大は、この世界を成り立たせている原理であるとともに、修行者の心身の原理でもあり、それがそのまま悟りの原理であるから、我々ははじめから悟りの中にいることになる。それを自覚していくことで、現世で悟りが開かれ、仏の境地に達するというのである。

    インドでは非常に長い修行(輪廻を重ねる)を必要とするが、東アジアでは悟りが現実のものとして考えられるようになる。中国では禅の頓悟思想が発展したのに対し日本では密教の即身仏思想が現実重視的な仏教の基盤となった。即身仏思想は死者儀礼の根拠とはならないが、悟りが身近に引き寄せられることで、死者の成仏を可能にする思想に展開する要素を持っていた。すでに最澄が、三生(3回の生まれ変わり)までは即身成仏と認められると説いており、死後の成仏の可能性を認めている。

    十世紀後半になると浄土教が盛んになり阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを求める思想が発展した。その基礎を確立したのが源信である。源信は「往生要集」で阿弥陀仏の極楽浄土への往生を勧めた。浄土は六道を超えた理想世界であり死後その世界に行くための行法として念仏を重視した。念仏はもともと仏の姿を観想することであるが、より簡便な方法として阿弥陀仏の名前を唱える称名念仏も認められた。

    院政期には、このような浄土往生の思想は密教的な即身成仏の思想と結びつくようになった。このような密教的な浄土教を完成させたのが覚鑁(かくばん)である。
    当時、五輪塔が墓標として用いられるようになってきたが、覚鑁はそれを理論的に基礎づけようとした(写真参照)。梵字は仏としての聖的な側面であり、それが身体の五臓と結びつけられ、さらに方位等の外界の世界とも対応付けられる。こうして五輪塔は仏=世界=身体の統合と見ることができ、とりわけ五臓との関係は、身体を観想の対象とすることで、仏の世界に一体化する即身成仏の行法として発展することになる。覚鑁は現世で即身成仏が実現できない場合、来世に往生して実現を目指すという形で、密教と浄土教を結びつけた。五輪思想は生者のシンボルであるとともに、死者のシンボルでもある。それによって死者の即身成仏が実現されると考えられた。

    仏教以前の日本では死後の世界について十分な解明がなされていなかった。特に遺体の処理は難しかった。日本のように湿度の高い場所では遺体は腐りやすい。古墳を築けるような豪族は別にして通常は遺体を山に放置するか、せいぜい浅く埋葬するしかなかった。火葬は薪を多く必要とするので庶民の手に届くものではなかった。それ故遺体は穢れたものとされ、避けられた。

    それが正面から問題になるのは平安中期に源信によって浄土教が進展してからである。死者の最も具体的な形は遺体である。死者の成仏や往生を求めるということは遺体に残った死者の霊を鎮め、生者の世界に害をなさないようにするということでもあった。そのための密教的な呪力は大きな力を発揮した。それが中世になると様々な形に転用されることになる。例えば戒の力は密教的な力と同様の力を発揮した。受戒することによって罪が滅せられ清浄な悟りへ結びつく。中世の叡尊や忍性らの律宗は戒の力により穢れを克服し、死者供養を大きく発展させた。禅定の持つ力も極めて強力と考えられた。密教を源流に持つ行法の力は、現世を脅かす死者や悪霊を鎮めて救済することで現世の秩序を保っていくところに強力な力を発揮するようになった。

    このような仏教の力が後世の葬式仏教を成り立たせる源流と考えることができる。近世に確立する仏教的な葬儀は、このような中世的な仏教の威力をもとに、それが次第に形式化し、儀礼として完成する中で形成されたということができる。

    おわり
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■20530 / inTopicNo.10)  Re[56]: 葬式仏教 2
□投稿者/ パニチェ -(2022/01/25(Tue) 22:45:27)
    2022/01/25(Tue) 22:47:55 編集(投稿者)

    こんばんは、田秋さん。

    レスありがとうございます。

    3回目も楽しみです。

    ちなみにこの教科書の著者とか講師って誰になってますか?


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■20527 / inTopicNo.11)  Re[55]: 葬式仏教 2
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/25(Tue) 22:18:36)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    このシリーズはもう1回書くつもりなんだけど、江戸時代の寺檀制度の影響が大きいと思う。
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■20522 / inTopicNo.12)  Re[54]: 葬式仏教 2
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/01/25(Tue) 19:55:28)
    どうして、昔の日本人?は、そういうのを受け入れたの?
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