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No20500 の記事


■20500 / )  Re[50]: 春休み
□投稿者/ ディディモ -(2022/01/22(Sat) 23:14:16)
    こんばんは田秋さん。

    >ディディモさんにお聞きしたいのですが、古代ギリシア哲学の《ロゴス》という概念に対してディディモさんはどういうイメージをお持ちでしょうか?キリスト教成立以降、教父たちがヘレニズム文化をキリスト教に組み入れていったとのことでなのですが、その辺りで果たしたロゴスの役割についてお考えをお聞きできればと思います。<

    わたしは古代ギリシャ哲学についても、またギリシャ語についても・・ほとんど無知です。ただ古代のユダヤ人の方については、ディレッタント(好事家)が持つ程度の興味があって、色々調べたこともありますので・・その後者からの見方、つまり私にユダヤ贔屓という偏向があるということを御承知おきの上でカキコさせて頂きます。^^;

    結論から言いますと、古典ギリシャ語の《ロゴス》の意は多くありますが、大別すれば「言葉」と「理性」の二つの意味の系統があると言われています。
    しかし、旧約聖書(原文はヘブライ語で書かれており、古代にギリシャ語に訳されたものを七十人訳聖書と呼びます)でも、また新約聖書(こちらは元々ギリシャ語)でも、原則として《ロゴス》は「言葉」の意味だけに用いられており「理性」(とそのコロニー<系>)の意味で用いられることはまずありません。ここに私はギリシャとユダヤの間に、その《ロゴス》に対する哲学概念の違いを見出します。

    つまり、以前の投稿でヨハネ伝の「太初(はじめ)に言葉あり」を取り上げましたが、この「言葉」の原語は《ロゴス》でしたね。「太初(はじめ)にロゴスあり」ですよね。しかしそこにギリシャ語の《ロゴス・理性》というもう一つの意味があるかといえば、微妙な余地を残しながらも「ほとんどない」と言って良いでしょう。

    何故かと言えば・・
    前の投稿で、旧約の知恵文学におけるホクマー(知恵)という用語と、新約のヨハネ伝の冒頭におけるロゴス(言葉)という用語が両方とも擬人化されていると・・その関連性を指摘しました。すなわち以下の文章で知恵(ホクマー)を言葉(ロゴス)と読み替えても違和感がないことを指摘したんですが、それを実際にやってみると分かり易いです。(以下は箴言の原文の「知恵」を→「言葉」に読み替えています)

    【言葉は、ちまたに呼ばわり、市場にその声をあげ、城壁の頂で叫びーー略ーー言葉は自分の家を建て、その七つの柱を立て、獣をほふり、酒を混ぜあわせて】(箴言1:20以下と同9:1以下からの読み替え)

    仮にこの↑ような文言を古代ギリシャの哲学者に示したら・・きっとヘブライズムを知らない彼氏は目を白黒するに違いありません。彼にとってのロゴス(理性、系として分別あるもの)が獣を喰らい、酒盛りをしている!・・こりゃ魂消た、と。^^;;ですから私は先程【その《ロゴス》にギリシャ語の《ロゴス・理性》の意味の方があるかといえば、ほとんどない】と述べたのです。

    その点、あの機敏なアラビアのロレンスは、旧約聖書をよく読んでヘブライズムを理解し、自著に「知恵の七柱」という題名を付け、映画も大ヒットさせております。←これは余談ですが。(^^)

    またシラ書ではロゴス・ソフィア論が創造論に絡んできます。
    【すべての知恵(ソフィア)は主から下る、それは常に神の傍(かたわら)にある・・・知恵(ソフィア)はあらゆるものに先んじて創造された】(シラ書1:1以下)
    とあります。シラ書は旧約と新約との間にある典外書(外典)ですから、ヘブライ語で書かれた旧約の箴言とは異なりギリシャ語が本文で、知恵(ヘブライ語のホクマー)はギリシャ語に訳されてソフィアとなっております。

    で、問題はそのソフィア(知恵)がいつどのようにしてロゴス(言葉)になったのか?です。

    それはおそらくユダヤ人哲学者フィロン(前25年〜後50年)に依るものと考えられます。彼はヘレニズム文化の大拠点地であるアレクサンドリアに住む学者ですから当然ギリシャ哲学にも造詣が深い・・ので、彼の業績を極力ひらたく言うとすれば、ユダヤ教をギリシャ哲学で説くことをした・・ということです。すなわち神の言葉(ロゴス)が天地を創造し、世界に生命と目的と法則を与えた・・と説いたのです。これは当然創世記第一章(ヘブライズム)が頭にあっての言説です。その1−3に「神が『光あれ』と言うと、光があった」と記されていますが、これはつまり天地開闢のおりにまず「光あれ」という「言葉」があったことを示しております。まさに「太初(はじめ)に言葉あり」ですよね。この言葉は神の口から生まれたので被造物ではなく、いわば被造物を作り出す《ロゴス》です。

    この場合、神が「光あれ」と発した言葉は神そのものと考えても矛盾しません。神と言葉は一体化しています。一見、神の口から出た「言葉(ロゴス)」も「知恵(ソフィア)」も、神から出たという点では神とは別に見えるかも知れませんが、「光あれと言うと光があった」のなら、すなわち言葉と光が同時存在にあるのなら『光あれ』は『光と同一』であると言っても良く、これは発した『言葉』はそれを発した『者』と同一であるということを意味し・・すなわち言葉は神なんです。
    ちなみにヨハネ伝でも《言葉》の次に《光》が来て「この方は命を持ちこの命が人の光であった」となっています。

    おそらく、フィロンが説いたこの「神の言葉(ロゴス)」は、ヘブライズムとストア派の「種子的ロゴス(ロゴス・スペルマチコス)」が結びついたのが始まりではないかと個人的には思っています。(種子的ロゴスとは、ロゴスが生き物である宇宙の内に含まれる種子としてあり、宇宙は一つのロゴスによって生成し、これによって一つとして保持され、結ばれているとするもので・・また自然と宿命を含む世界それ自体を、いわゆる神に模しているような印象を私に持たせます。ふむ、ギリシャ哲学に創造(生成)とか神が出て来たぞ・・それならヘブライズムとも接点が出て来たな、と。ちょっと安易かぁ・・^^;・・あぁ、最初に言ったように、ここらあたりは哲学オンチの私の印象論にすぎません・・悪しからず。(^^)!

    ということで、田秋さんの質問とは掛け違いのレスになってしまいました。ご質問の中に《キリスト教成立以降、教父たちがヘレニズム文化をキリスト教に組み入れていった》とありますが、この事に私はお答え出来ていません。
    答えることが出来なかったのは、田秋さん仰るキリスト教成立以降のこと(つまりキリスト教史)について私に知識・興味がなかったからです。逆に私が興味があるのは、キリスト教が成立する以前のイスラエルのことです。ダビデ・ソロモンの統一国家から分裂、衰退、バビロン捕囚、ユダヤ教の成立、神殿崩壊、滅亡・・と様々な事柄があって、その後にようやく新約聖書とキリスト教の成立がくるのですが、せいぜいその紀元後一世紀までのことには興味がありますが、それ以降のことになると私の脳内知識は空っぽになってしまいます。ですから教父と言われるとギョ!とします。えーと教父には誰がいたかな?状態です。聖書に書かれていること、つまりイエスに遣わされた使徒ならまぁ知っていますが、使徒教父となるとだんだん怪しくなり、教父ともなるともうお手上げです。^^;つまり新・旧約聖書とアポクリファ(外典)という、ヘブライズムが書かれたもの・・これが私の守備範囲です。聖書に関する事とキリスト教に関する事は別物と考えた方が良いです。

    このほど私が取り上げた「箴言」は、その中に書かれているアフォリズム自体は古いものもありますが、書物としては旧約聖書のなかでも比較的末期に最終編集され成立したものです。また「シラ書」にしても旧約聖書と新約聖書との中間期に成立しており「箴言」よりさらに新しいものです。つまりこれらの「知恵文学」といわれるものはアレキサンダー大王の東征以降に成立した書物だということです。ヘレニズムからの影響は受けているでしょうね・・。もともと一神教のヘブライズムと多神教のヘレニズム宗教・哲学観は相いれないものでしたが、覇権を握ったギリシャ、その後継者のローマの文化や文学にイスラエルが影響を受けたことは如何ともし難い事実です。(最後は彼らに国を滅ぼされ、二千年間世界を彷徨うディアスポラの民となりましたが・・。)

    ただ今日はヘブライズムとヘレニズムの間に立って苦闘したユダヤ人としてフィロンをあげましたが、もう一人重要なユダヤ人がいます。それはヨセフスです。私はこの人物が知りたくて彼の全著作はもとより評伝の類まで3年をかけて読みまくり調べまくりしました。彼の著作に「アピオーンへの反論」がありますが、これはアンチ・セミティズムの元祖と言って良いほどのギリシャ人、アピオーンに対する反駁書です。ヨセフスによるとギリシャの哲学者などはバビロニアやエジプトの思想家の亜流で、皆がモーセの剽窃者だとこき下ろしています。パチパチパチ!。冒頭の「偏向があるということを御承知おきの上で」という台詞に・・ご注意を。!(^^)!
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