| パニチェさん こんばんは。
一読して,やっぱり根本的に立場が違うな,という印象ですね。 まあ,いわば世界解釈の枠組みの公理系が異なるようなものなんで,ここで少しぐらいゴチャゴチャ言っても仕方ないでしょう。 なので,あとは蛇足かもしれませんが,ちょっとニーチェ絡みの感想だけ。
>『自明なことであるが、──私が愚か者でないとすれば──、非倫理的と呼ばれる多くの行為は避けられるべきであり、克服されるべきであるということを、私は否定しない。同様に、倫理的と呼ばれる多くの行為は実践されるべきものであり、促進されるべきであるということを私は否定しない。──しかし前者も後者も、これまでとは別な理由からであると私は考える。われわれは学び直さなければならない。──結局おそらく極めて後のことかもしれないが、さらにそれ以上に到達するために、感じ直すために。(曙光103)』
>『あらゆる時代の善人とは、古い思想の土を掘り起こし、それで収穫をあげる人間であり、精神の土百姓である。しかしついにはあらゆる土地が利用しつくされる、かくてくりかえし悪の犂頭が到来しなければならなくなる。──こんにちでは、とくにイギリスで名声嘖々たる道徳の根本誤謬があらわれている。それによると「善」と「悪」という判断は「目的に適う」と「目的に適わない」ということについての諸経験の蓄積の結果である。それによれば、善と呼ばれるものは種属を維持するもののことであるし、悪と称されるものは種属に有害なもののことである。だが実際には、悪の諸衝動は善のそれらとそっくり同様に高度に合目的のものであり、種属を維持するもの不可欠のものである、──違うのはそれらの機能の点だけである。(悦ばしき知識 第3番)』
>上記のニーチェのアフォリズムはニーチェを読む以前から私も同じようなことを考えていました。 >自分の考えていたことをスパッと表現してくれたのがニーチェとも言えます。
ニーチェの思想は,キリスト教的神がもとからいない日本では「神の死」と言われても何ら大した問題ではなく,とりわけ哲学体質の反抗的若者にとっては,親,学校,社会etc.といった自分を抑圧・緊縛するものからの解放を正当化・後押ししてくれるから,けっこうヤラレル人は多いですよね。 ナルシズムも充たしてくれて,ルサンチマンで自分の痛いところを抉られるのも意外によかったりして(笑) だから閉塞感が時代の気分であった80年代に流行したポストモダン思想のカリスマであったのも分かる気がします。自由への逃走って感じでしょうか。 哲学は若者が一時的にかかるハシカみたいなものだというイメージがあるようですが, 上の意味でニーチェはその代表かも。今となっては80年代のポストモダン思想の流行そのものが,ハシカの流行みたいなものだった感もありますしね。
まあ,私はニーチェを読み込んだわけでもないし,ウィトゲンシュタインにヤラレタせいか、ニーチェ・ウィルスの感染者をちょっと意地悪くというか、冷めた目で見ていたので、ニーチェファンにはたぶん鼻につく感想になってしまいましたね。すみませんm(__)m
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