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■2019 / inTopicNo.73)  Re[28]: しかし何だべな。
  
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 22:06:35)
    三角形の内角の和は二直角。

    これは高一の数学の幾何のところで、演繹的証明を演習するので、高校に進学していない人を除いて、みんな習っていると前提しました。

    ガラ携でその証明は出来ないので、簡便な説明をしましたが、もう少し厳密に説明しますね。

    ある直線を底辺にして、左右に曲げた直線で作られる三角形。

    ポイントは元が直線なので、その本質を維持しないと、直線の180度の性質が変質する。

    四角形は、底辺以外の部分を曲げてしまっているので、曲げられる前の本質(180度)を保存出来ない。
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■2017 / inTopicNo.74)  Re[27]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 21:27:26)
    ウィトゲンシュタインは、論理や数学が、経験から独立して真理性を担保しているのは、その論理形式がトートロジーであるからだとした。

    したがってトートロジーでないものは、真理性を保証されないか、否定される。

    このことから、ウィトゲンシュタインによっても、アプリオリな総合判断が存在しないことが明らかにされた。

    トートロジーは、A=Aの単純なものだけでなく、ド・モルガンの定理などの複雑な定理もトートロジーであることをラッセルは証明した。
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■2016 / inTopicNo.75)  Re[26]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 21:18:36)
    直線は180度であり、どんな三角形も直線から作ることが出来るので、三角形の内角の和は二直角というのは、機械的・自動的に演繹出来る分析判断(トートロジー)である。

    左辺に五個のピンポン玉と七個ピンポン玉を並べて置く。

    右辺に十二個のピンポン玉を並べて置く。

    左右両辺は、十二個のピンポン玉のトートロジーである。
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■2015 / inTopicNo.76)  Re[25]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 21:10:44)
    現代数学では、アプリオリとは不変の真理のことを言い、分析判断とは「虻川孝雄の名字は虻川である。」「独身者に配偶者はいない。」のように、内容の中身に変化が無く、機械的・自動的に導ける判断を言う。

    総合判断とは、「虻川孝雄はハンサムである。」「今日は寒い。」のように、内容を拡張して判断し、機械的・自動的に導けないものを言う。
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■2014 / inTopicNo.77)  Re[24]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 21:03:28)
    アプリオリというのを経験によらないと定義するのは、数学に関しては意味が曖昧になるので使われない。

    これも三郎親分がおっしゃっていたが、オギャーと産まれた赤ん坊は、三角形も内角も和も知らない。必ず経験や学習によって習得する。

    幾何に限らず数でも、日常生活の具体例からパターン認識して抽象し、幾何や数を理解する。
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■2011 / inTopicNo.78)  Re[23]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 04:25:17)
    黒を白と言いくるめるカントのレトリックもたいしたものだが、数学者でもないカントによってライプニッツが否定され、数学的真理は総合判断であるとされた。

    それからラッセルまでの百年以上、この世に存在せず、カントの頭の中にだけある妄想である「アプリオリな総合判断」というテーゼを、世界の人々は真理として信じていた。
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■2010 / inTopicNo.79)  Re[22]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 04:17:55)
    私達はラッセル以後のパラダイムにいるので、数学的真理がアプリオリな分析判断であることを自明として数学教育を受けてきた。

    そこで青少年になってカントと出会い、「アプリオリな総合判断」という奇怪なテーゼと遭遇する。

    カント以前は、カントを遥かに凌駕する数学の天才ライプニッツによって、アプリオリなものは、必ず分析判断であると証明されていた。
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■2009 / inTopicNo.80)  Re[21]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/11/01(Fri) 04:10:15)
    ラッセルやウィトゲンシュタインによって我々は、5+7=12がアプリオリな分析判断であることを教えられた。

    何故そうであるかと言えば、三郎親分もおっしゃっていたが、これは言葉や記号の意味によって決められた規約だからである。

    ラッセル以後の数学は、この規約主義に基づいていて、数学的真理は全て分析判断となる。
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■2002 / inTopicNo.81)  Re[20]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/10/27(Sun) 19:48:47)
    完全に迷宮入りした事件が、紀州のドンファン事件だろう。

    結局、他殺か自殺か事故かすらも決定出来ないと言う。

    いずれと決定する証拠がないからだ。

    しかし、元々その家に無かった大量の覚醒剤を飲用してドンファンは死んだ。

    二十数台の監視カメラをチェックして、他者の侵入がないことは確認されている。

    私は殺人事件とみており、これは完全密室殺人事件となる。

    となれば、犯人は妻か女中となる。

    犯人はこの二人の何れか、あるいは共犯と分かっているのに、それを証明できないので逮捕出来ないのである。

    ある公理系で、真であるにも係わらず、それを証明することが出来ない命題が、少なくとも必ず一つ存在する、というゲーデルの不完全性定理が、この紀州のドンファン事件で少しはイメージ化できたかな。フ
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■1990 / inTopicNo.82)  Re[19]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/10/26(Sat) 19:43:57)
    あちー、また駄目だしされてしまいました。モ

    そうです。

    「コペルニクス的転換」ではなくて、「コペルニクス的転回」でした。

    とぼとぼ。メ
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■1979 / inTopicNo.83)  Re[18]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/10/25(Fri) 02:04:21)
    茨城県の夫婦殺害事件。

    迷宮入りしそうだね。

    気になるのが、長女の証言の変遷だ。

    最初は「サイレンの音がするまで、気付かないで寝ていた」。

    次は「二階で言い争う声が聞こえたけど、恐くて布団から出られなかった」

    三つめは「恐くて直ぐに恋人に電話した」だ。

    当世女子大生気質を私は知るすべも無いが、私の常識では、まず真っ先に警察に電話だろう。

    長男の証言と、近隣の人達が見た不審者の証言は、容貌が同じである。

    何れも若い男性。

    そう、大学生ぐらいの若い男性である。
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■1978 / inTopicNo.84)  Re[17]: しかし何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2019/10/25(Fri) 01:50:46)
    グレタちゃん。

    揚げ句の果ての、とどのつまりが飛行機で帰国かよァ。

    ちゃちいぜゥ
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