| ■No18239に返信(パニチェさんの記事)
> こんにちは、おくたがわさん。 > ミクロコスモスの部分ですが、5.63と同じくらい5.64〜5.641は全文が重要であると思います。 > > > 5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。) > > > 5.64 唯我論が厳格に貫徹されると純粋な実在論と合致することがここで見てとられるのである。唯我論の自我は延長を欠いた点にまで縮退し、そして自我に相関した実在は残ったままである。 > > 5.641 従って、哲学で非心理学的に自我を論じうることの意義が、現実に存在するのである。「世界は私の世界である」ということを通して、自我は哲学の中へ入ってくる。哲学的自我は人間ではない。人間の肉体でも、心理学が関わる人間の魂でもない。それは形而上学的主体であり、世界の部分ではなくて、限界である。
こんばんは。ありがとうございます。 そこは私の引用した訳では以下なのですが(ちょっと感じが違う部分もあるみたいですね)、 非常に興味を感じつつ、まだ解読できてません。分からないかもしれません。その場合、ご教示をお願いするかもしれませんので、よろしくお願いいたします。
5.64 ここでわかるのだが、ソリプシズムを徹底すると、純粋な実在論と一致する。ソリプシズムの「私」は縮んで、延長のない点となる。そして残るのは、「私」のためにコーディネートされた実在である。 5.641 だから実際、ある意味において、哲学では心理学を無視して「私」のことを話題にすることができる。「私」が哲学のなかに入ってくるのは、「世界は私の世界である」ということを通ってである。 哲学の「私」は、人間ではない。人間のからだではない。心理学で扱われる人間の心ではない。そうではなく、形而上学的な主体である。世界の――一部ではなく――境界である。
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