(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■3711 / inTopicNo.13)  pipitさんへ
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/09(Thu) 13:16:32)
    こんにちは。

    中島義道さんの「カントの時間論」、読んでみようと思います。

    叡智界には時間はないですから、時間という形式によって感性界を生きるという時点で叡智界にはいないということですね。叡智界は涅槃とか悟りに相当すると思うので、カント的な思索や生き方は、未だ悟っていない凡夫がいかに考え、生活するかの指針のようなところがありますね。それを人間への信頼と楽観性が滲み出てくるような哲学で語っている。

    瞑想や修行につながるのは、「実践理性批判」の方でしょう。「純粋理性批判」はそのための準備という側面もあると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■3712 / inTopicNo.14)  おくったがわさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/09(Thu) 13:27:41)
    おくったがわさん、ありがとうございます。
    ヤフーでもほんの少しやりとりさせていただいたことがあります。
    ヤフーでは赤い実という名前でした。年の割に可愛すぎて気恥ずかしいので、minoriにしました。


    >>私はこの強い人間原理に途中まで納得がいくんです。
    >>その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・
    >>これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。
    >
    > 永井さんの書き方は語弊があると思います。(本当に誤解しているのか表現のせいかは分かりません)
    > 「人間という知的生命がこの宇宙を観測している(できている)」という事実から宇宙について分かることを導くのが人間原理で、その基本は強い人間原理でも同じだと思うのです。
    >
    > 物理定数が少しでも違っていたら、知的生命は発生できず「その宇宙」は誰にも観測されない。
    > 『知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも同然。』
    > は、「存在しない」ではないです。誰にも一切観測されない以上、存在しないのと変わらない、と。しかもそれは、目を向けたら見えるとか遮蔽物を取り除いたら見えるではなく、原理的にけっして誰にも観測され得ないのだから。
    >
    >
    > 「我思う、ゆえに我あり」は、あらゆるものを疑っても、疑っているその思い自体が存在することから、それを為している我が存在することだけは分かるということですよね。
    > それに似せて言うと、
    > 「我思う、ゆえに宇宙は〜」は、知的生命としての人間がこの宇宙に存在するのだから、この宇宙は、それが可能となるような成り立ち・構造であることだけは確実だ。
    >
    > で、人間が思うから宇宙が存在するとか、人間が思うように宇宙は存在するということではないと思います。
    > もしかしたら、そのような過激な方向に向かった学者もいて、永井さんがそれを差して強い人間原理と書いているのかもしれません。が、本来の提唱者のブランドン・カーター(の強い人間原理)は、弱い人間原理より対象を広げただけで、観念論というのは違うと思います。
    >
    > 自分の説明、下手かもしれません。すいません。

    ・・・・・・

     > 『知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも同然。』
    > は、「存在しない」ではないです。


    私自身の考えとしては、「宇宙は存在しない」とは思っていないんです。
    最初の疑問が「なぜ宇宙はあるのだろう?」でしたし。
    すみません。とりあえず、この部分だけ書いてみます。

引用返信/返信 削除キー/
■3713 / inTopicNo.15)  Re[9]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/09(Thu) 13:36:58)
    2020/07/09(Thu) 15:16:24 編集(投稿者)

    お久しぶりです。横の横で失礼します。^^

    No3707に返信(おくったがわさんの記事)

    > で、人間が思うから宇宙が存在するとか、人間が思うように宇宙は存在するということではないと思います。
    > もしかしたら、そのような過激な方向に向かった学者もいて、永井さんがそれを差して強い人間原理と書いているのかもしれません。が、本来の提唱者のブランドン・カーター(の強い人間原理)は、弱い人間原理より対象を広げただけで、観念論というのは違うと思います。

    三浦俊彦著「論理学入門」を読み直してみました。(第二部が「人間原理の論理学」というテーマになっており、人間原理の提唱過程も含め詳しく紹介されてます。)

    「ディラックの巨大数仮説」に対してのロバート・ディッケの見解をもとにブランドン・カーターが定式化した「人間原理(弱い人間原理&強い人間原理)」に従えば、おくったがわさんの指摘通りでした。以下です。

    ***** 以下「論理学入門 P.156」より引用 *****

    弱い人間原理:「宇宙における私たちの位置は必然的に、観測者としての私たちの存在と両立する程度に特別である。」

    強い人間原理:「宇宙は、その歴史のどこかにおいて観測者を創り出すことを許すようなものでなければならない。」

    ************** 引用終わり **************

    先の返信はminoriさんの「宇宙はなぜあるんだろう?」という疑問に対して人間原理を持ち出して示したのは私だったので、この定義からすれば不適切だったように思います。反省!^^

    但し、科学哲学のテーマとして論じられる場合は、もう少し広義の「人間の存在から宇宙や世界を説明しようとする試み」と考えても許容範囲であるようには思います。

    『第二の解釈は「観測者を持たないただの物質だけの宇宙は宇宙とは言えない」「宇宙は観測者の心が生み出す」といった考えだ。素粒子宇宙論学者ジョン・ホイーラーらが支持しているこのテーゼは、哲学的には「観念論」の一形態である。(三浦俊彦著「論理学入門 P.156」より引用)』

    minoriさんのレスは私のミスリードであることに変わりありませんが。。。^^

引用返信/返信 削除キー/
■3716 / inTopicNo.16)  minoriさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/09(Thu) 15:47:55)
    こちらこそ、レスありがとうございます。
    ここではminoriさんでいいのでしょうか?

    No3710に返信(minoriさんの記事)
    > 宇宙区間にロケットを飛ばしたり、ある事象を観測したりすることは夢の中でも可能・・・
    > たしかにそれはそうだと思います。かなり壮大な規模での夢ということにはなるでしょうけれど。
    > それと。夢だとするならその夢を見ている主体は誰なのか?ということにもなるのだと思います。

    そこのところをライフワークならぬライフホビーとして長年やってます。^^
    例えばこの世界がマトリックスで描かれているようなバーチャルであったとしても、その世界を体験する主体の存在は確たるものとしてあります。

    仏教では「一炊の夢(邯鄲の夢)」、哲学では「桶の中の脳(水槽の脳)」と呼ばれる思考実験で、主体はデカルトのコギト(全てを疑った後に残る疑いえない存在)としても差し支えないと思います。

    ウィトゲンシュタインの独我論のテーマでもあり、永井均の主たるテーマです。(偶然にも私は同じテーマを小学校くらいから独自に考えていました。)
    私(パニチェ)はこの主体を“言語に先んじて存在する唯一無二の存在”という意味で「比類なき先言の<私>」と表記しています。

    > そうでしたか。解釈は受け取る側に任せるとニーチェは言っていたのですね。

    そうです。押しつけがましくない、言い換えれば、最終的には読者は突き放されるという構図です。^^
    「真理なんてものはない」ってのがニーチェで、アンチクリストでもありますから、神から与えられるかのような固定的かつ普遍的な答えは用意されていません。

    > ニーチェ、フッサール、それから現代に近くなっての哲学者の思想もおもしろそうなものがあるので、少しずつ勉強していこうと思っています。
    > また、機会があったらいろいろと教えていただけたら嬉しいです。

    私なんかでよければいつでも何なりとどうぞ。私で分かるようなことであればレスさせてもらいます。

    > 東洋哲学では「空」の思想が好きなのですが、深いところまでは難しくて理解できていません。
    > 中村元さんの『龍樹』はきっと良書だと思い、最後近くまで頑張って読みましたが、結局、ごく基本的なところしか理解できなかったです。
    > こちら方面はお休みにしていこうと思っています。

    了解しました。中論は『龍樹』他、何冊か読みましたが、またいつか。。。^^

引用返信/返信 削除キー/
■3721 / inTopicNo.17)  minoriさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/09(Thu) 17:07:56)

    minoriさんこんにちは!
    カントとしては、人間の理性はどこまでも真理に近づきたい探究心を
    本能として持ってるから、ついつい究極原因まで想像しちゃうと言ってる
    のかなと私は思ってます

    その本能の実行が、二律背反のアンチノミーを生み出すということかなと思ってますが、
    究極原因に関するものも、第四アンチノミーとして置かれ、
    カント的には知ることのできない問題としてるみたいです。

    御子柴善之先生の『カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く』
    p209に載ってた4の命題は、
    『命題
    世界原因の系列のうちには、何らかの必然的なものがある。

    反対命題
    世界原因の系列のうちでは、何ものも必然的でなく、むしろこの系列のうちでは
    万物が偶然的である。』

    カント的には上記命題は、二律背反になるものとしてるみたいですね。

    今日、思ってたんですけど、
    知る、が、インプット、
    行為する、が、アウトプット、とすると
    カントはインプット理性より、アウトプット理性の方がより重要となるんだよ、って、
    言いたいのかな、と、そんな思いが心に浮かんでいました。

    ちなみに私も原因を知りたいタイプなんですけど、
    現象学や実存哲学のような(?)潔く、有る、のみをターゲットにとことん探究する哲学者や思考者の方がおられるんだろうなぁと
    想像しました。
    哲学界は広いですね〜

    No3696に返信(minoriさんの記事)
    > pipitさん、こんばんは。
    >
    > pipitさんは、「宇宙はなぜあるんだろう?」なんて考えたことないですか?
    > 考えようとしてもわかるはずもないのに、考える、というか想像しようとしている時があります。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■3722 / inTopicNo.18)  knowing itselfさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/09(Thu) 17:39:53)
    こんにちは!
    knowing itselfさんが『カントの時間論』を読まれたら、
    めちゃめちゃ心強いな〜

    私には、複雑、且つ、難しすぎて、
    ほぼ読まないままに置いてしまってます。

    もし機会があれば、いろいろ質問してしまったらすみませんm(_ _)m
    とはいっても、質問が出てくるレベルまで私には読めない気がします(ーー;)


    > 中島義道さんの「カントの時間論」、読んでみようと思います。
    >
    > 叡智界には時間はないですから、時間という形式によって感性界を生きるという時点で叡智界にはいないということですね。<

    未勉強なのですが、『実践理性批判』のほうで、もしかしたら、おもしろいこと言ってるかもです。
    叡智界での主体としての行為(意志かな??)が現象界に現れるみたいな。。。?
    まだ簡易な解説文しか読んだことないんですけど、

    石川文康先生『カント入門』p173より引用
    『人間が一方では英知界に属する存在者として、自由の主体と見なされ、
    もう一方では感性的存在者と見なされ、
    両方の性格が相和すところに総合が成り立つのである。
    しかも、自由による因果性が結果を感性界において実現するという仕方によってである。』
    引用終了

    ちょっとおもしろそうですよね(^_^)v♪


    >叡智界は涅槃とか悟りに相当すると思うので、カント的な思索や生き方は、未だ悟っていない凡夫がいかに考え、生活するかの指針のようなところがありますね。それを人間への信頼と楽観性が滲み出てくるような哲学で語っている。
    >
    > 瞑想や修行につながるのは、「実践理性批判」の方でしょう。「純粋理性批判」はそのための準備という側面もあると思います。<

    わたしも今のところそのようなかんじの印象をもっています。

    knowing itself さんは、ほんといろんなことご存知ですよね
    すごいなぁ !(◎_◎;)

引用返信/返信 削除キー/
■3723 / inTopicNo.19)  Re[11]: おくったがわさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/09(Thu) 18:17:16)
    わざわざありがとうございます
    「悪魔ちゃんさん」って、なんかへんよね。「さん」はつけないで。

    「悪魔ちゃん」っていう名前、メビウスで、天使になった人から譲り受けなの。
    天使に育てられた悪魔の子ども、で、「ちゃん」ね。あ、これ精神的にね。
    ちなみに、天使になっっちゃた人は悪魔に育てられて天使ね。

    「さん」とか「さま」を名前の後に付けること、これが「礼」であるべきだ〜的なのよくわかんない。

    ちょっと違うかもしれないけど、
    公園でね、3歳児ぐらいの子どもの靴紐がほどけているのを見たおじさんが、その子をベンチに座らせ、その子の靴紐を結んであげてるの。その子にはそのおじさんの頭が見えているのね。その子は「毛が無いね」て言ったの。そのおじさんは苦笑いしてた。


引用返信/返信 削除キー/
■3730 / inTopicNo.20)  Re[12]: 宇宙
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/09(Thu) 19:20:07)
    「宇宙」ってわたし図鑑とか写真でしかみたことない。
引用返信/返信 削除キー/
■3739 / inTopicNo.21)  Re[10]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/09(Thu) 19:51:23)
    > 先の返信はminoriさんの「宇宙はなぜあるんだろう?」という疑問に対して人間原理を持ち出して示したのは私だったので、この定義からすれば不適切だったように思います。反省!^^

    とんでもない。下の引用からすると、自分の横レスの方が独断的でした。反省すべきは自分のほうです。

    > 『第二の解釈は「観測者を持たないただの物質だけの宇宙は宇宙とは言えない」「宇宙は観測者の心が生み出す」といった考えだ。素粒子宇宙論学者ジョン・ホイーラーらが支持しているこのテーゼは、哲学的には「観念論」の一形態である。

    カーター以外の展開をよく知らないので、ちょっとまずかったかな、と後で思ってはいたのですが。お手間を取らせてすいませんでした、ゆるく放置してください。

    以前も思ったのですが、パニチェさんは意外に三浦さんを読んでるのですね。意外というのは勝手なイメージですが。永井均さんの関係からですか?
    ちょうど「可能世界の哲学」を買おうと思っていたところなのですが、読まれましたか?
引用返信/返信 削除キー/
■3741 / inTopicNo.22)  Re[10]: minoriさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/09(Thu) 19:55:30)
    > ヤフーでは赤い実という名前でした。

    そうだったんですね。檀れい似という評判の。
    穏やかに話せる人のように思いましたが、自分がヤフーにほぼ投稿しなくなる直前くらいだったので(たぶん)、ほとんど縁がなかったですね。

    > 私自身の考えとしては、「宇宙は存在しない」とは思っていないんです。
    > 最初の疑問が「なぜ宇宙はあるのだろう?」でしたし。
    > すみません。とりあえず、この部分だけ書いてみます。

    永井俊哉さんがなぜ人間原理について、ああいう書き方をするのか? と思って勢いで書いてしまいました。
    パニチェさんに返信したように、不適切な横レスでしたので、ゆるく放置してください。すいません。
引用返信/返信 削除キー/
■3743 / inTopicNo.23)  Re[11]: 宇宙はなぜあるのか。
□投稿者/ パニチェ -(2020/07/09(Thu) 20:41:08)
    2020/07/09(Thu) 21:03:46 編集(投稿者)

    No3739に返信(おくったがわさんの記事)

    > 以前も思ったのですが、パニチェさんは意外に三浦さんを読んでるのですね。意外というのは勝手なイメージですが。永井均さんの関係からですか?

    なにをおっしゃるウサギさん^^

    Yahoo!掲示板時代のおくったがわさんやパンドラ先生、ついでに毛ツルットのカキコに触発されて、「いっちょうわしも論理学を勉強してみようかな」と思い買いました。マジで。なんか転法祖師も急に論理学の話をし出したし。。。
    でも、途中でギブアップしました(笑)。

    その後、パンドラ先生が三浦さんとのこのHPまで出向いて、論戦してたのは笑ってしまいました。^^

    > ちょうど「可能世界の哲学」を買おうと思っていたところなのですが、読まれましたか?

    そういうわけで読んでも分からないと思い、その後は三浦さんの本は読んでません。
引用返信/返信 削除キー/
■3747 / inTopicNo.24)  pipitさんへ
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/09(Thu) 21:44:35)
    こんばんは、レスありがとうございます。

    > 石川文康先生『カント入門』p173より引用
    > 『人間が一方では英知界に属する存在者として、自由の主体と見なされ、
    > もう一方では感性的存在者と見なされ、
    > 両方の性格が相和すところに総合が成り立つのである。
    > しかも、自由による因果性が結果を感性界において実現するという仕方によってである。』
    > 引用終了
    >
    > ちょっとおもしろそうですよね(^_^)v♪

    以下大雑把な表現しかできませんが、人間は道徳という細い糸では物自体に繋がっているとカントは考えているのでしょう。純粋理性批判ではあれだけ物自体の認識不可能を事細かに論じながら、例外を許さない絶対命令としての道徳を実践するときは、物自体に繋がるんだと。ここでは、物自体はあるかないかわからないような不確実なものではなく、確実に実在するものとされているのではないでしょうか。もちろん、以上の理解は間違いかもしれません。
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -