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No3710 の記事


■3710 / )  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/09(Thu) 13:14:38)
    パニチェさん、ありがとうございます。


    > 私も強い人間原理の途中までは支持しますが、残りはペンディング(保留)です。
    > 以下は、私の意見というよりも、こういう見解もあるという意味で返信させてもらいます。
    >
    >>その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・
    >>これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。
    >
    > 数学的に記述することは、現実の世界のどこかに数学的な世界があるということを意味するものではない。
    > で、宇宙空間にロケットを飛ばしたり、ある事象を観測したりすることは、夢の中でも可能なわけで、これは観念論の範疇にも治まりうることなので、人間が認識するから宇宙が存在するという観念論的世界観の反証にはならないとも言えます。

    宇宙区間にロケットを飛ばしたり、ある事象を観測したりすることは夢の中でも可能・・・
    たしかにそれはそうだと思います。かなり壮大な規模での夢ということにはなるでしょうけれど。
    それと。夢だとするならその夢を見ている主体は誰なのか?ということにもなるのだと思います。



    > 猛毒にもなるし、劇薬にもなるし、読む人の解釈によって、如何様にも価値や意味を創造することができる哲学だと思います。
    > 別名に解釈の哲学という呼び名もあるように、ニーチェ自身もそれを推奨しています。
    >
    > 『いまや、わたしはきみたちに、わたしを失い、みずからを見出せ、と命じる。そして、きみたちがみな私を否認したときに初めて、わたしはきみたちのもとへ帰って来ようと思う。まことに、わたしたちの兄弟たちよ、そのときわたしは、違った目で、自分の失った者たちを捜し求めるであろう。そのときわたしは、或る違った愛で、きみたちを愛するであろう。そして、さらにいつの日か、きみたちはわたしの友となり、同じ希望の子となっているであろう。そのとき、わたしは三たびきみたちのもとにあって、きみたちと共に大いなる正午を祝おうと思う。ところで、大いなる正午とは、人間が自分の軌道の真ん中にあって、動物と超人の中間に立ち、自分が歩み行くべき夕暮れへの道を自分の最高の希望として祝う時である。というのは、それは或る新しい朝への道だからだ。そのとき、没落して行く者は、自分がかなたへ渡って行く者であるというので、みずから自分を祝福するであろう。そして、彼の認識の太陽は、彼にとって真南に位置しているであろう。「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」──これが、いつの日か大いなる正午において、われわれの最後の意志であらんことを!──このようにツァラトゥストラは語った。(ツァラトゥストラ 贈与する徳について3)』
    >

    そうでしたか。解釈は受け取る側に任せるとニーチェは言っていたのですね。

    ニーチェ、フッサール、それから現代に近くなっての哲学者の思想もおもしろそうなものがあるので、少しずつ勉強していこうと思っています。
    また、機会があったらいろいろと教えていただけたら嬉しいです。

    東洋哲学では「空」の思想が好きなのですが、深いところまでは難しくて理解できていません。
    中村元さんの『龍樹』はきっと良書だと思い、最後近くまで頑張って読みましたが、結局、ごく基本的なところしか理解できなかったです。
    こちら方面はお休みにしていこうと思っています。
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