■3707 / ) |
Re[8]: 宇宙はなぜあるのか。
|
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/09(Thu) 12:05:01)
| ■No3702に返信(minoriさんの記事) はじめまして。横レス失礼します。
> 弱い人間原理は常識の範囲内。 > 強い人間原理の方は、リンクにあるように確かに過激といえばそう感じる人も多いかもしれないですね。 > なにしろ。宇宙の存在は人間のような知的生命の認識にかかっており、知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも当然。 > 「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という超越論的観念論の世界だと、あります。 > > 私はこの強い人間原理に途中まで納得がいくんです。 > その通りだと。 でも、観測したり数学的な計算をしたりするだけでなく、実際に宇宙空間に物を飛ばせるということは・・・ > これをどう考えたらいいんだろう? というところで引っかかってしまうのです。
永井さんの書き方は語弊があると思います。(本当に誤解しているのか表現のせいかは分かりません) 「人間という知的生命がこの宇宙を観測している(できている)」という事実から宇宙について分かることを導くのが人間原理で、その基本は強い人間原理でも同じだと思うのです。
物理定数が少しでも違っていたら、知的生命は発生できず「その宇宙」は誰にも観測されない。 『知的生命がなかったら宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも同然。』 は、「存在しない」ではないです。誰にも一切観測されない以上、存在しないのと変わらない、と。しかもそれは、目を向けたら見えるとか遮蔽物を取り除いたら見えるではなく、原理的にけっして誰にも観測され得ないのだから。
「我思う、ゆえに我あり」は、あらゆるものを疑っても、疑っているその思い自体が存在することから、それを為している我が存在することだけは分かるということですよね。 それに似せて言うと、 「我思う、ゆえに宇宙は〜」は、知的生命としての人間がこの宇宙に存在するのだから、この宇宙は、それが可能となるような成り立ち・構造であることだけは確実だ。
で、人間が思うから宇宙が存在するとか、人間が思うように宇宙は存在するということではないと思います。 もしかしたら、そのような過激な方向に向かった学者もいて、永井さんがそれを差して強い人間原理と書いているのかもしれません。が、本来の提唱者のブランドン・カーター(の強い人間原理)は、弱い人間原理より対象を広げただけで、観念論というのは違うと思います。
自分の説明、下手かもしれません。すいません。
|
|