| knowing itself さん、こんにちは!
> プラトンに洞窟の喩えというのがありますが、カントにおける時間と空間という枠組みからの感覚体験という捉え方は、洞窟の喩えのカントバージョンのようなところがあると思います。違いは近代人カントの方が楽観的な人間信頼をもっていることでしょうか。<
はい、私も、カントの楽観性を感じます。楽観性、なのか、あるいは希望、か、希求、か、祈り、か そんなふうに感じることもあります。
knowing itselfさんはご存知だと思うのですが、 カントの時間論は感性論での記述が有名ですが、 それ以降もあらゆるところに時間は関わってきて、 一筋縄ではいかない論述になっているようですね。
中島義道先生の『カントの時間論』という本が手元にあるのですが、 私には難解なため、読めてません(u_u) 前書きみたいなところの文章を引用します。 『一般に、カントの時間論に関しては「感性論」内の「時間について」という 一節だけを取りあげて論じる向きがあるが、そこでカントが語っていることは 『純粋理性批判』でさまざまな観点から論じている時間についての考察のごく一部にすぎない。時間論は『純粋理性批判』全体に浸透してるのであり、 そうした全体の構造を見抜くことによってのみ、われわれはカントの時間に関する 繊細で強靭な思索を読み解くことができるのである。』p3.4
>楽観的な人間信頼<
このような部分からの切り口じゃないかな、と、思ってる解説書があります。 石川輝吉さんの本で、タイトルは 『カント 信じるための哲学 「わたし」から「世界」を考える』 NHKブックス
ああ、哲学は深いなぁ、と思うと同時に、 時間かかりすぎで、瞑想とかした方がはやいんじゃないかな、とも思うのですが、 怠け者の私は瞑想もしないので、 なんともかんとも _| ̄|○
できることだけでも、少しずつ試せたらいいな、と、思いました。 何にでも造詣が深くて、簡単に私の言いたいことをわかってくださる knowing itself さんに感謝してます! ありがとうございます (^人^)
もちろん、分かり合えないことを分かり合う過程も素晴らしいと思っていますけどね♪
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