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Re[44]: つれづれなるままに 14
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/06/01(Sat) 17:40:41)
| No37396 の〔はじめに〕のところについて、ちょっと書いとく。
〔フッサールが他者に対置されるべき「私」をどのように理解していたのかを明らかにし、〕とか、 〔そもそも他者に対置されるべき「私」あるいは「自我」の位置づけが、曖昧なままになっている。〕 にある「私」とか「自我」なんだけど、 小林さんは、「私・自我(Ich)」って書いてあるから、たぶん「Ich」を、「私」とか「自我」って見てて、ようするに「私」と「自我」っていうのを同じ意味としてるのかも? わたしのばあい、「私」と「自我」っていうのは区別してる。
〔受動的総合〕については、 No37239で書いた。 〔類比化的統覚〕については、 No15252のなかに出てきてる。 〔自己移入〕については、 No37109の(3)の中に、 〔ヘルトはフッサールの「私がそこにいるかのように」という記述に注目し、この理論が、他者についての定立的な意識に到達しておらず、「自我の疑似的二重化」にしか行き着かないとして、類比化的統覚の理論に含まれている問題点を見事に析出している。〕 ってあるんだけど、たぶん「私がそこにいるかのように」っていうのが「自己移入」を表しているんじゃないかな?って。わたしにはなんかわかりやすい表現。でもこの「私」っていうのをどういうふうに見るかによってこの見方は変わってくる気がしてる。
そこはかとなく、ね。
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