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Re[42]: つれづれなるままに 14
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/30(Thu) 18:34:42)
| No37384のつぎに、 No37289のを見てく。 わたしが抜粋したところは短いから、それも含めて書いて見るよ。
本文(D) ********** 第52節 共現前は、独自の確認する様式をもった経験である ‥‥「異なるもの(フレムト)〔他者〕」は、自分固有のものの類似物(アナロゴン)としてのみ考えることができる。それは必然的に、その意味の構成ゆえに、私の最初に客観化された自我と私の原初的世界との「志向的変様」として現れる。つまり、他者は、現象学的には自己の「変様」として現れるのだ(私の自己が「私の」というこの性格を受け取る(38)のは、ここで対になることが必然的に現れて、対比が行われることによってである)。したがって、類比による変様において、この自我の具体性はまずその原初的世界として、次に十分に具体的な我(エゴ)として属するものすべてが共現前する、ということは明らかである。言い換えれば、共現前によって、私のモナドにおいて別のモナドが構成されるのである。‥‥(p206) **********
訳注(38)は、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「他者は、現象学的には私の自己の「変様」だとすると「私」というのが先にあるのでなければならないだろう。ところが、この括弧内では、「対になること」によって初めて「私の」という性格を受け取るのだとすると、それに先立って「私の」という性格がるわけではないことになる。「対になること」によって初めて、「私の」と「他者の」が言わば同時に生成してくるわけである。「我は汝と対比のなかで初めて構成される」(『間主観性の現象学』第一巻)という言い方も、この脈略で理解されよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本文にある『自分固有のもの』を、 No37367で見たように、 「自分」→〈分化した自〉として、「〈分化した自〉固有のもの」ってなるんだけど、 わたしの言う〈自〉っていうの、〈意識の原初自然な固有領域〉ってしてしてるから、すでに〈自〉が固有のものなのね。 〈分化した自〉だから、、その基になってる〈自〉も固有のもの、そして、〈自〉に固有のもの、これを〈体〉ってして見るね。 フッサールは、(私の)「身体は絶対的なこの」って言ってるし。 こういうのから、 『自分固有もの』→〈自と体〉 ってして見た。 で、 ‥‥‥‥ (a-D) 異なる(フレムト)もの〔他者〕」は、自分固有のもの《自と体》の類似物(アナロゴン)としてのみ考えることができる。それは必然的に、その意味の構成ゆえに、私の最初に客観化された自我《思考する自》と私の原初《乳幼の頃》的世界との「志向的変様(37)」として現れる。つまり、他者は、現象学的には自己《自と体》の「変様」として現れるのだ(私の自己《自と体》が「私の」というこの性格を受け取る(38)のは、ここで対になることが必然的に現れて、対比が行われることによってである)。したがって、類比による変様において、この自我《思考する自》の具体性はまずその原初《乳幼の頃》的世界として、次に十分に具体的な我《思考する我》(エゴ)として属するものすべてが共現前する、ということは明らかである。言い換えれば、共現前によって、私のモナド《自》において別のモナド《自》が構成されるのである。 ‥‥‥‥ ってして見た。
ここんところはい〜ぱい考えたので、このつづきは後にする。
やっぱ、お喋りはわかりやすい言葉で簡単に、がいいよね。
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