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No37367 の記事


■37367 / )  Re[39]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/05/26(Sun) 12:07:54)
    No37366まで、『デカルト的省察』読んでるなかで、わたしのうちに浮かんできた〈自〉のイメージがだいたい表現できたところで、

    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の、第50、51、52節からわたしが抜粋した、
    No15221 (第50節)
    No37287 (第51節)
    No37289 (第52節)
    をわたしなりに見ていくことにするんだけど、この中に出て来る語、わたし次のようにして見たのね。

    「我(エゴ)」をデカルトの「我思考する」の「我」として見て、
    ・@「我」→〈思考する我〉

    「自我」を「自」と「我」に分けて、@として見て、
    ・A「自我」→〈思考する自〉
    こう見たとき、わたし思ったんだけど、〈自〉のうちに現れるものとして、〈思考する〉ということと、〈感じる〉ということの両方が現れてくるんじゃないかしら?って。記憶もあるけど、これらを“なかだちをする場”があってそれを〈自〉って。
    No37365でわたし見ているように、乳幼の頃の(未分化の)自のうちには〈思考の芽〉みたいなのがすでにあって、それは大きくなってもそういうのあって、それは無意識的なのかもしれないけどあって、そういうのをフッサールは「純粋自我」って言ってるんじゃないかしら?
    No37109の資料(3)(5)で、
    『ベルナウ草稿』あたりから、フッサールの「我」−思考する我(能動的総合)は、「自我」〈思考する自〉から〈感じる自〉(受動的総合)へと志向し始めた、みたいなこと言ってるんじゃないかしら?(3)に〈省察する自我〉、(5)に〔現象学する自我〕ってある。

    資料の中では「自己」っていうのをどういう意味で日訳して区別してるの?これわたし問題だったんだけど、やっぱ日本語で考えて見て、「自」と「己」に分けて、「己」を〈体〉ってして見たらどうかな?って。
    あと、「私自身」を、〈私の自と身体〉として見て、わたし「身体」を簡単な語で〈体〉って言ってるから〈私の自と体〉ね。
    No37314 の(3-d)では「私自身」、(52-D)では「私の自己」って日訳されている。たぶん同じ語をこのように訳してるんだとして見て、
    ・B「自己」→〈自と体〉≒「私自身」→〈私の自と体〉
    ってして見ることにした。

    「自分」っていうの、
    No31867で見たように、わたしのばあい、
    ・C「自分」→〈分化した自〉
    ね。

    わたし、「私」って言うのを〈精神(意識)〉と〈身体〉に分節して見てる。〈身体〉を〈体〉ってするね。
    ・Bのとだいたい同じ意味になって、
    ・C「自己」→〈自と体〉≒「私自身」〈私の自と体〉≒「私」
    ってなるんだけど、Cのように見てるから、
    ・D乳幼の頃の「私」=〈自と体〉あるいは〈自+体〉
    ・E大人になった「私」=〈自分と体〉あるいは〈自分+体〉
    ってして分けて見てる。
    この二つをまとめると、
    「私」=〈自(分)と体〉あるいは〈自(分)+体〉

    No37109の(3)に、
    〔フッサールの現象学的分析は、常に維持される現象学的還元という反省の舞台上で、私の諸経験に関して行われる意識の志向的本質分析である。〕
    ってあった。
    そして、
    No37189で見たように、
    わたし、現象学で言う「還元」というのを、〈乳幼のころに遡ってそのうちで〉ってしてわたし見てる。
    日訳で「原初」っていう語が出てきてるけどこれを、〈乳幼の頃〉ってして見て、
    ・F「原初」→〈乳幼の頃〉
    ってして見た。
    あと、第50節からのでは、現象学的還元してるなかでの話だと思うから、Dの方で見ることにした。

    「物体(ケルパー)」と「身体(ライプ)」と、区別しているから、
    ・G「ケルパーとしての物体」→「体」(これを「カラダ」って読んで) 
    ・H「ライプとしての物体(身体)」→〈体〉(これを「からだ」って読んで)
    って言い表すことにして区別して見た。

    フッサールの言う「モナド」っていうの、
    No37183から、〔主体的な働きだけでもなく、対象でもなく、それらが不可分に媒介的な相関の出来事そのもの〕から、
    〈自〉をモナド的な場――〈間に立ってなかだちをする場〉みたいなのってして見て、
    ・I「モナド」≒〈自〉
    これ、〈間の係(かかり)〉とも呼ぼうかな、とも思ってる(「間係」って言うのネットで調べたんだけどこういう語はないみたいだからわたし勝手に作っちゃたのね)。

    「類比」っていうの、【「現象学事典」弘文堂2014】にあった、
    No15252「対化(ついか)」
    No15273「連合」
    から、簡単に、
    ・J「類比」→〈類似と対比〉
    ってして見ることにした。

    「共現前」っていうの、
    第50節のp192に、
    『共現前(ともに現前するものとして意識させること)』
    ってあったから、こう見とくことにした。

    なんか長くなっちゃたけど、ようするに@〜Jのようにして見ていくよ、っていうことね。

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