□投稿者/ 時 -(2023/09/02(Sat) 12:48:42)
| パニチェさんへ。こんにちは。レスをありがとうございます。
No32799 > 言葉で説明するのが困難というのは分かります。 > “我(パニチェは永井氏にならって〈私〉と表記しますが)”自体が語りえないです。 > 独我の世界に入り込むのは禅定とか瞑想、あるいは内観に近いようなことをされるんでしょうか。
私の場合には、独我の世界に入り込んだのは、仏教を学ぶ以前に行っていましたバクティでした。完全なる神への完全なる帰依という事での生活の中での実体験で身に付けられたと思っています。
簡単な表現では、実生活上で自らのエゴをも含めた全てを受け入れて運命に身を委ねるという事になるでしょうか(ですので過去にパニチェさんに教えていただきました、ニーチェの運命愛のお話も理解できているように感じているのですね。^^)。宗教的な行事は何もなく、特別な瞑想等でもなく、単に神への帰依です。そこでの運命的な出来事について、良いも悪いも全てを受け入れ全肯定しました。すると今から考えるとやはり不思議なことなのですが・・神しか存在しないといわれるアドヴァイタの世界にその心境が至ったという感覚ですかね。私が何も問題がないと表現している世界ですが、その世界観から少し次元が下がった感覚での世界観が、前回書きました独我の世界観で、この世はバーチャルだという映画マトリックスの世界観での視点になるでしょうか。
> > ところでパニチェさんは、自由意志のあるなし問題については、どのように思われるでしょうか?よろしければパニチェさんのご意見を教えて頂ければ有難いです。 > > No32765の後半です。 私の場合には今現在の結論で、自由意思があろうとなかろうと、それは何ら日々の出来事に関与できない。よって、自由意志はないという方に傾く。というものです。
> 以下、だらだらと書いてしますので興味のないところはスルーして下さい。 > まずは結論から。。。
> 自由意思があろうとなかろうと日々の暮らしや今の自分にとっては何も変わらないというのは時さんとほぼ同じです。 > 自由意志の有無については今のところはペンディングというか、判断停止、または仏説にならって無記です。
了解しました。^^
> 理由は以下の通りです。
> 自由意志の有無に関しては「リベットの実験」が有名です。 > ある行動を行おうと意識した瞬間の0.35〜0.4秒前に(無意識下で)筋運動の際に発生する準備電位が生じているというものです。 > さらに脳内ではこれらに要した時間を“なきもの”にし、時間を遡るように意識されるということです。 > みのりさんが引用された「受動意識仮説」ともかぶりますが、私たちは脊髄反射と変わらないような動き(行動)をしているにもかかわらず、それを後付けで意志したかのような行動として捉えてる可能性もあるということです。 > 「リベットの実験」に関しては未だにさまざまな議論や評価(批判)もあり、まだ定まった解釈があるわけではありませんが、私たちは外部刺激という人形師と脳という糸によって操られたマリオネットである可能性も払拭できません。 > この場合、自由意志は幻想ってことになると思います。 > また私たちにはそもそも個我なんてものは存在せず(無我)、全体運動の一部でるというアドヴァイタ的な発想で考えても上記と合致します。
はい。そのように思いますね。前回、ザビビのふくろうさんに・・はい、自由意志の問題です(笑)。仏教の学びに関しては、あるといえばある、無いといえば無いのですが(No32783)と返答しましたのは、パニチェさんのご指摘の通りの事(非我、無我)を思ったからなのですね。勿論、仏典内では「自由意志は在ります・ありません」とは記載がないのですが、たぶん当時、仏陀はこの辺りの事を感じていたのではないかとも思えるのです。我に非ずで非我・・非我ゆえに無我・・そしてこの我に関する問いには無記としたと。しかし一つの仏典には、将来的に私は〜になるだろうと言うのは幻想ですよ。という一文がありますので、合わせて考えますと・・・もしかすると知っていたのかもですね(笑)
> 意識にペンローズが提唱するような量子効果(マイクロチューブル)が関与しているなら機械論的なマリオネットから解放される可能性もあります。
> 強いて現時点での私の考えを述べれば、おそらく自由意志があるにしても(行動の自由があっても機能的に人体では空を飛べないように)限定的な自由意志を有してるくらいではないかな?ってところです。
ありがとうございます。了解しました。
自由意志で指を動かそうと意図した時、その直前0.35秒前には筋肉への動かせという指令が脳内では発せられているという実験結果もあるそうで、これは、意志よりも前に動く準備が脳内で始まっているという事ですね。これはつまりは、自らの意識は自らの行動の追体験をあたかも”今”意識的に行ったと錯覚しているという事を意味していそうです。
ある瞬間に、脳内で電気が発生します。→0.35秒後に意識(自由意志)で指を曲げようと意識します。→0.2秒後に実際に指が曲がります。
無意識下で脳内の電気の発生から指が曲がるまで、0.55秒。その間に「曲げよう」という意志があるだけのようです。やはり、通常で考えると不思議ですね。
これで思い出したのですが、とある動画で、ウーパールーパーだったかサンショウウオの幼体だったか定かではありませんが、水槽内のそれの目の前を餌がゆっくりと通過した瞬間から、約3秒後位に口を大きく開けてあたかも目の前の餌を食べるようなしぐさをするものを見た記憶があります。何かの実験とかのものではなく、単なるおもしろ動画だと思いますが、よくもまぁ、これで・・自然界で生き残れるものだ。と感じました。(笑)
リベットの実験にしても受動意識仮説にしても、脳内信号と意識と実行動の間にはどうもタイムラグがあるようですね。そしてこれは我々が自由だと思っていることが、実は思いこみだったという可能性を秘めていそうです。
後は、専門家の先生方にお任せすることしかできませんが、もしかすると今までの常識が覆るときが来るのかもしれません(笑)
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