□投稿者/ パニチェ -(2023/09/02(Sat) 08:40:52)
| 2023/09/02(Sat) 09:53:52 編集(投稿者)
おはようございます、時さん。レスありがとうございます。
■No32780に返信(時さんの記事)
> 多分ですが、私の場合には強い独我になるでしょうか。しかしこれを言葉で説明するとなると、学問的ではないことも含めてかなり困難な作業になりそうですね。でも、独我の世界に入り込めると、私の場合には、かなり精神的に楽な状態になるのは確かなようです。でもそこには、それ以上のものは何もないというのが感想になるでしょうか。
言葉で説明するのが困難というのは分かります。 “我(パニチェは永井氏にならって〈私〉と表記しますが)”自体が語りえないです。 独我の世界に入り込むのは禅定とか瞑想、あるいは内観に近いようなことをされるんでしょうか。
> 仏典のお話の時にも感じたのですが、年月が経つにつれて多くの独我論が生まれているのですね。誰かの論を誰かが解釈して、それをまた解釈して何かをつけ足したり差し引いたり・・これらすべてを把握するのは私には到底無理そうです。(笑)
同意しますし、すべてを把握するのは私も無理です。^^ 哲学にせよ、科学理論にせよ、諸宗教の教義にせよ、先人の到達した思想や知見を解釈して何かをつけ足したり差し引いたりしながら上書きしていくのだと思います。
> そして、私の場合には人生哲学として学んでいますので、そう多くの論は必要ないのかもしれません。うーん、今は、この辺でよしとしましょうか。といった感じです。 > 何の刺激もなく、すみません(笑)m(__)m
とんでもありません、ありがとうございました。
> ところでパニチェさんは、自由意志のあるなし問題については、どのように思われるでしょうか?よろしければパニチェさんのご意見を教えて頂ければ有難いです。 > No32765の後半です。 私の場合には今現在の結論で、自由意思があろうとなかろうと、それは何ら日々の出来事に関与できない。よって、自由意志はないという方に傾く。というものです。
以下、だらだらと書いてしますので興味のないところはスルーして下さい。 まずは結論から。。。
自由意思があろうとなかろうと日々の暮らしや今の自分にとっては何も変わらないというのは時さんとほぼ同じです。 自由意志の有無については今のところはペンディングというか、判断停止、または仏説にならって無記です。 理由は以下の通りです。
自由意志の有無に関しては「リベットの実験」が有名です。 ある行動を行おうと意識した瞬間の0.35〜0.4秒前に(無意識下で)筋運動の際に発生する準備電位が生じているというものです。 さらに脳内ではこれらに要した時間を“なきもの”にし、時間を遡るように意識されるということです。 みのりさんが引用された「受動意識仮説」ともかぶりますが、私たちは脊髄反射と変わらないような動き(行動)をしているにもかかわらず、それを後付けで意志したかのような行動として捉えてる可能性もあるということです。
「リベットの実験」に関しては未だにさまざまな議論や評価(批判)もあり、まだ定まった解釈があるわけではありませんが、私たちは外部刺激という人形師と脳という糸によって操られたマリオネットである可能性も払拭できません。 この場合、自由意志は幻想ってことになると思います。 また私たちにはそもそも個我なんてものは存在せず(無我)、全体運動の一部でるというアドヴァイタ的な発想で考えても上記と合致します。
意識にペンローズが提唱するような量子効果(マイクロチューブル)が関与しているなら機械論的なマリオネットから解放される可能性もあります。
強いて現時点での私の考えを述べれば、おそらく自由意志があるにしても(行動の自由があっても機能的に人体では空を飛べないように)限定的な自由意志を有してるくらいではないかな?ってところです。
もし「リベットの実験」に興味があればですが。。。 「Panietzsche Room > 探究 > 脳科学 > 5.Rの実験(1)〜7.Rの実験(3)」に引用してます。
|
|