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■37079 / inTopicNo.25)  Re[33]: 志・作意・精進
  
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/10(Wed) 19:07:01)
    pipitさん こんばんは

    >誰かにぶつかって転んだとします。「痛い」と思った瞬間にもチェータナーがはたらいて痛みを感じているのですが、それはカルマにはなりません。そこに欲や怒りの感情が入ったとたんにカルマになります。同じことでも、悪いカルマになる場合もあるし、善いカルマになる場合もあります。ぶつかった人に腹を立てて怒ったら、悪いカルマになります。

    貼っていただいた日本ヴィパッサナー協会のサイトのスマナサーラ長老の文です。
    ここですね。「意志」に何を盛り込むか、どういう心所と結びつけるかでどういうカルマになるかが違ってくると




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■37066 / inTopicNo.26)  問いかけ日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/10(Wed) 08:19:42)
    No37058

    > アビダンマの知識は、学ぶ人にとって、選択肢をはっきりさせる効果があるのかもなぁ、と、今回お話させていただいて、自分の中では思いました。<


    ついつい思い出してしまった、なかやまきんに君ネタ....

    https://youtu.be/aJ7N3lzHlIY?si=Bk2mjzMBbxxalc6p
引用返信/返信 削除キー/
■37058 / inTopicNo.27)  Re[32]: 志・作意・精進
□投稿者/ pipit -(2024/04/08(Mon) 19:28:18)
    2024/04/08(Mon) 19:32:28 編集(投稿者)

    knowingitselfさん、こんばんは(^ ^)

    No37054
    > 精進(ヴィリヤ)では、どちらの方向にエネルギーを向けるかの選択が浮上するようです。志や作意は共一切心心所なので、二十四時間とぎれることなく、瞬間的に生まれるのに対して、精進は雑心所なので、こちらが作る時だけ生まれるということでしょうか?<


    『精進(ヴィリヤ)』は、雑心所ということで、生じたり生じなかったり、なんでしょうね。
    『雑心所』の説明の一つとして、『すべての心に必ず生まれるわけではありません。しかも、他の心所の影響を受けて善にも悪にもなるため、「雑心所」と呼ばれます。雑心所が入ると、認識が強くなり、はっきりします。』(『ブッダが教える心の仕組み』スマナサーラ長老著、p44)とありました。

    では、共一切心心所の説明は?と、p20を読むと、
    『私たち命あるものすべての心の土台となる心所です。「すべての心に必ず現れる、欠かせないもの」という意味で、「共一切心心所」といいます。この7つは、常に働いていますが、それだけではとても弱い認識機能です。』(同本p20)
    とありました。

    この共一切心心所の『志』(チェータナー)が、パーリ仏典では、業(ごう)、kamma(カンマ)になると言われているそうですね。

    wikiより抜粋引用※記号省略
    『Cetanaham bhikkhave kammam vadami, cetayitva kammam karoti kayena vacaya manasa,
    比丘たちよ、意思(cetana)が業(kamma)である、と私は説く。思って(cetana)から、身体(kaya)・言語(vak)・意(manas)によって業をなす[14]。
    パーリ仏典, 増支部六集 63.洞察経, Sri Lanka Tripitaka Project』

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AD

    でも、『志』がすべて業になるわけではなく、志が強くなると業になる、とスマナサーラ長老は説明されていました。

    https://j-theravada.com/world/keyword/keyword-12/


    > 精進も、不善に向ける場合と善に向ける場合で岐れるようですね。<

    そのようですね。志も作意も精進も、善にも悪にもなる『同他心所』(どうたしんじょ)となっていますね。

    > カント的な定言命法のような、感性的物質的な世界からの厳格な超越は要求されていないとも考えられますが、志→作意→精進という方向で、常に不善ではなく善にエネルギーを向けよという意味で、アビダンマ体系の背骨にあたるのが「意志」であると言うこともできると思います。<

    そうですね。
    私が思い出したのは『誓願』という行為です。
    涅槃を目指す修行者(with 煩悩ちゃん)にとって、意志の向かうべき方向を自覚する行為になるかもしれませんね。
    実行できるか否かは別として(^◇^;)

    アビダンマの知識は、学ぶ人にとって、選択肢をはっきりさせる効果があるのかもなぁ、と、今回お話させていただいて、自分の中では思いました。

    知ることで、選択にも何かしらの影響が出るのかもしれませんね。

    knowingitselfさんの方が絶対私より詳しいと思うのですが、一緒に考えることはできると思いますので、いつでも疑問など書き込んでくださいね。

    とても勉強になります、ありがとうございます!

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■37054 / inTopicNo.28)  志・作意・精進
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/08(Mon) 17:04:39)
    pipitさん 返信ありがとうございます

    >久しぶりに第三巻を開いてみました。
    p72を読んで、
    (そうかぁ、、、カントの自律概念をマナシカーラと重ねられるかなと思ったんだけど、viriya(精進、ヴィリヤ)の方がよりぴったりなのかなぁ)と思い直しました。

    精進(ヴィリヤ)では、どちらの方向にエネルギーを向けるかの選択が浮上するようです。志や作意は共一切心心所なので、二十四時間とぎれることなく、瞬間的に生まれるのに対して、精進は雑心所なので、こちらが作る時だけ生まれるということでしょうか?

    精進も、不善に向ける場合と善に向ける場合で岐れるようですね。

    カント的な定言命法のような、感性的物質的な世界からの厳格な超越は要求されていないとも考えられますが、志→作意→精進という方向で、常に不善ではなく善にエネルギーを向けよという意味で、アビダンマ体系の背骨にあたるのが「意志」であると言うこともできると思います。


引用返信/返信 削除キー/
■37038 / inTopicNo.29)  さくら日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/07(Sun) 15:18:24)
    今日はいい天気だ〜

    住んでるところが田舎すぎて、満開の桜があっても人があまりいないところがありますよ〜
640×480 => 600×450

sakura2024.jpg
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■37034 / inTopicNo.30)  Re[29]: 「意志」の働き
□投稿者/ pipit -(2024/04/07(Sun) 00:29:54)
    knowingitselfさん、こんばんは!
    No37031
    > ブッダの実践心理学第三巻にもそのように書いてありました。<

    久しぶりに第三巻を開いてみました。
    p72を読んで、
    (そうかぁ、、、カントの自律概念をマナシカーラと重ねられるかなと思ったんだけど、viriya(精進、ヴィリヤ)の方がよりぴったりなのかなぁ)と思い直しました。

    ここらへんの心所の区別は、瞑想などの実践が伴うと実感を持って区別できるのかもなぁと想像しました。
    それでもこのような仏教的な知識を知ってるだけでも、日常で少し自分を客観視できるかな?と期待しました
    (^ ^)

    knowingitselfさん、アビダンマの話題をありがとうございます♪



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■37031 / inTopicNo.31)  Re[28]: 「意志」の働き
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/06(Sat) 18:54:09)
    pipitさん こんばんは

    >「作意」(マナシカーラ)
    『《作意》(さい)とは、心が対象に向かう働きです。
     たとえば、大事な話をしていても、何か大きな音がしたら、心はすぐにそちらに向いてしまいます。
     行動を起こさせる心の働きである《志》(し)と似ているように思われますが、異なるものです。ざっくり言うと、ジュースを見たとき、《志》は「飲みたいなあ」という心、《作意》は「じゃあ飲もう」という心です。一

    ブッダの実践心理学第三巻にもそのように書いてありました。

    チェータナーは何かをやりたがっていること。マナシカーラは、「じゃあやろう」ということ。
    「ジュース飲みたいなあ」がチェータナー、「じゃあ飲もう」がマナシカーラという違いです。
    飲もうとしなければ飲みませんし、飲みたいなあというエネルギーはチェータナーで、じゃあ飲もうという、行動に行くところがマナシカーラです。

    同書p 51より引用

    ジュースやコーヒー、ビールはたとえで、要するに、悪ではなく、善にマナシカーラを向けよと。


引用返信/返信 削除キー/
■37021 / inTopicNo.32)  Re[27]: 「意志」の働き
□投稿者/ pipit -(2024/04/06(Sat) 00:00:09)
    knowingitselfさん、こんばんは(^○^)

    No37018
    > 「意志」の持つ役割について考えていました。
    >
    > テーラワーダのアビダンマで「意志」にあたるのは、
    > 共一切心心所の「志」(チェータナー)、作意(マナシカーラ)でしょうか。<

    pipitがなんとなくイメージしていたのは「志」(チェータナー)なのですが、そういえば「作意」(マナシカーラ)という心所もあって、この2つの違いが私にはよくわかってないなぁ、と、手持ちのスマナサーラ長老著作の本を再読してみました。
    「志」と「作意」についての記事を抜粋引用します。

    ★「志」(チェータナー)
    『行動を起こさせる心の働きを《志》(し)といいます。
     (略)
     「意思」とは、心のなかに思い浮かべる、何かをしようという考え、思い。英語で言えば、「intention」(インテンション)。
     「意志」とは、物事を成し遂げようとする積極的な志(こころざし)。英語で言えば「will」(ウィル)。
     ここでは、パーリ語の「cetana」(チェータナー)を《志》と訳しましたが、「意思」と「意志」の両方の意味を含んだ言葉です。漢訳仏典では「思」と訳されます。
    《志》は、どんなときにも働いています。
     眼を開けていれば、自動的に何かが見えますね。そのときには、意識せずとも「見よう」という弱い「意思」が働いています。さらに、意図的に見ようとすれば、強い「意志」が働きます。
    (略)』

    ★「作意」(マナシカーラ)
    『《作意》(さい)とは、心が対象に向かう働きです。
     たとえば、大事な話をしていても、何か大きな音がしたら、心はすぐにそちらに向いてしまいます。
     行動を起こさせる心の働きである《志》(し)と似ているように思われますが、異なるものです。ざっくり言うと、ジュースを見たとき、《志》は「飲みたいなあ」という心、《作意》は「じゃあ飲もう」という心です。一瞬の心の働きを分けて考えているのです。
     「飲みたいなあ」と思っても、ゲームをやっている途中で心がゲームに向いていれば、ジュースを飲まずにゲームを優先するでしょう。
    (略)
     心は《作意》の働きによって、そのときそのとき、印象が強い対象に勝手に向かうので、心を自己コントロールするのはむずかしいことです。
    (略)』


    『ブッダが教える心の仕組み
    52の「心所」で読み解く仏教心理学入門』スマナサーラ長老著、誠文堂新光社、p31.32、42より引用

    https://www.seibundo-shinkosha.net/book/general/48541/


    > 共一切心心所は、心が心として働いている限り必ず働いている心所なので、「志」と「作意」は誰でもどんな時も何かに向けて働かせているということでしょうか。<

    そうみたいですね。
    wiki『心所』(しんじょ)より抜粋引用

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E6%89%80

    『共一切心心所(くいっさいしんしんじょ、略(7) - あらゆる心に必ず生まれる七つの心所』


    ↓藤本晃先生の著書の説明も見てみたんですけど、おもしろかったです。

    ★cetanaについて ※記号省略
    『意志
     
     触、受、想と同時に、意志も生じます。日常的な意味の「強い意志を持つ」などというものではなく、触れて感じてそれを知覚したその瞬間に、心が、変な話ですが、キュッと固まるのです。何か行動をするために、一瞬、キュッと身体中の筋肉が縮む、引き締まるような感じです。行動するための準備です。それを意志と呼んでいます。』

    ★manasikaroについて ※記号省略
    『作意

     作意は意志と似ています。しかし心所として、アビダンマでは明確にはたらきを区別しています。意志は、先ほど見たように、何か行動したくて、その準備で、キュッと身体が引き締まるような心所です。動物的な、条件反射的な、本能的な、感情的なはたらきという感じです。
     作意manasikaraは、「意manas」をわざわざ「作るkara」というほど、人間的な、判断力ある、理性的なはたらきです。意志を「ああ、喉が渇いた。なんか飲みたい」という衝動のように見るならば、作意は、「では、ジュースを飲みましょう」という計画とか行動のようなものです。』

    (藤本晃先生著『『アビダンマッタサンガハ』を読む』、サンガ、p94.95)

    https://search.yahoo.co.jp/amp/s/ci.nii.ac.jp/ncid/BB1357555X.amp%3Fusqp%3Dmq331AQGsAEggAID

    カントのことを思い出したのですが、道徳法則に自分を合わせていくときに働く心所が『マナシカーラ』と捉えたらいいのかなぁと思いました。

    そういえば、共一切心心所は、善にも悪にも染まる(?)心所のようですね。

    knowingitselfさんのおかげで、久しぶりにアビダンマ関係の書籍を読めました。
    ありがとうございます!(^ ^)


引用返信/返信 削除キー/
■37018 / inTopicNo.33)  「意志」の働き
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/05(Fri) 18:59:44)
    pipitさん こんばんは

    「意志」の持つ役割について考えていました。

    テーラワーダのアビダンマで「意志」にあたるのは、
    共一切心心所の「志」(チェータナー)、作意(マナシカーラ)でしょうか。

    共一切心心所は、心が心として働いている限り必ず働いている心所なので、「志」と「作意」は誰でもどんな時も何かに向けて働かせているということでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■37014 / inTopicNo.34)  Re[25]: 『ノコギリのたとえ』
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/05(Fri) 16:55:48)
    おくたがわさん、書き込みありがとうございます

    スマナサーラ長老の「怒り」の捉え方、鮮やかで目が開かれる感じです。

    例えば同書98ページでは、『わかりやすく言えば、「笑えない精神状態」が「怒り」なのです。』と書いています。

    これは、笑いを妨げる微妙な心の暗がり、影のようなものが「怒り」の基本細胞なんだという認識だと思います。

    その心の暗がりを肥大させるから、派手な「怒り」に発展してしまうと。
引用返信/返信 削除キー/
■36982 / inTopicNo.35)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2024/03/31(Sun) 06:29:38)
    2024/03/31(Sun) 06:42:32 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、おはよう!

    No36970に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No36962
    > 添付したの、
    > ねえ、pipitさまだったらYになに入れる?


    【基】かぁ、、、と悪魔ちゃんのNo36978のコメント再読して、今思いついた!

    『言葉』の方がYにぴったりかな?かも?って!
    (・・?) ん?分析の図としては『言葉』?....あれ?考えたら、やっぱり『意志』もちょっとおもしろいかもと思ったけど…

    いつもありがとう(^ ^)♪
引用返信/返信 削除キー/
■36980 / inTopicNo.36)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/03/30(Sat) 21:57:33)
    2024/03/30(Sat) 23:36:30 編集(投稿者)

    おくたがわさん、こんばんは!

    No36973
    > なるほどー、そうだなと思いました。5×2=10種類だと、良いと思えることが含まれているので、ちょっと違和感はあったので、2×2×2×2×2=32通りでとても納得です。<

    人によって納得の生まれ方もいろいろあるのかなと思うのですが、32通りを一度は考えてみることは、私にとっては納得できて、どの可能性も網羅されての『怒りの無条件降伏』なんだなーと腑に落ちる感じがしました。(今の私には実践はできませんけど(・・;))

    > 事実を語っていても有害に語られる場合があり得るし。怒りの心で虚偽を語りながら表面的には柔和な語り方なので逆に周りが信じてしまいやすいとか。単独では良く見える語り方でも組合せると良くないということもありそう。そういうことを32通りで表せるのだなと。<

    はい、私もそのように思いました。
    全然詳しくないんですけど、「あ、5ビットだ」とも思いました。

    https://life-freedom888.com/5bit-pattern/

    時機 on/off
    根拠 on/off
    柔和 on/off
    有益 on/off
    慈心 on/off

    32通りの道があり、それぞれの道を通って放たれる言葉、そんなイメージが浮かんだりしていました。(個人的イメージです)

    いつもありがとうございます!
    (^○^)♪


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