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■32708 / inTopicNo.73)  運慶〜ミケランジェロ
  
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/26(Sat) 20:14:55)
    こんばんは、うましかさん

    願わくば、稲賀繁美先生の論考を紹介された張本人であらせられるうましかさんのお考えも賜ることができますれば幸いに存じましゅる〜〜〜 m(_ _)m

    稲賀繁美先生のお名前、最近見たことあるなあっと思っていたら、放送大学の講師をしていらっしゃいました。講義の概要を見て難しそうだなあと思い、受講していません。

引用返信/返信 削除キー/
■32701 / inTopicNo.74)  Re[24]: 漱石雑感
□投稿者/ flora -(2023/08/26(Sat) 17:19:58)
    2023/08/26(Sat) 19:49:03 編集(投稿者)

    No32695に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんにちは〜


    > 日本の文豪というとボクには夏目漱石と森鴎外が浮かびます。森と夏目は全然違いますがボクは夏目の方が好きです。「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」がとっつきやすいからですが、一方後期の作品は全然違います。かなりシビアです。
    >
    > で、「夢十夜」は1908年の作品で年代的には前半に当たります。
    > 青空文庫 夢十夜
    > https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html
    >
    > 稲賀論考に出てくる運慶の話は第六夜の夢です。稲賀論考ではミケランジェロとのつながりから「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。」が主題になっていますが、原作はそのあと主人公(夏目?)が「そうなら誰にでもできる事だ」と思い、家に帰り何体も彫ってみたが仁王さまは現れなかったとあります。そしてついに「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟り、それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」と結んでいます。

    > 仁王さまが現れなかったのはそれが明治の木には仁王が埋まっていないからなのか?譬えそれが夏目の言わんとしたことだとしても、ボクには主人公に運慶ほどの技量がなかったからなのではないのか?という疑念が残ります。もしも明治の木にはもう仁王が埋まっていないのなら、運慶と言えども仁王を掘り出すことは不可能だと思うのです。

    私は技量だと思います。ミケランジェロが出てきましたが、彼の有名な「ダヴィデ像」は前任者が2人おり、二人とも匙を投げたモチーフのようです。二番目に担当したロッセリーニは大理石の質が悪い、と言ったそうですが、後の調査によれば、やはり質はあまりよくなかったとのことです、が、ミケランジェロは26歳で彼の傑作の一つ(もう一つは「ピエタ」かな)を作り上げました。要するに像は石に在った、ミケランジェロの心の目がそれを発見したということでしょうか。 ヴァサーリによれば「一度死んだ男をよみがえらせた」と言うことのようです。

    ちなみに直国に使われる大理石で有名なのは、古代ローマの時代からカッラーラ産(トスカニー)のようです。 彫刻家たちはそこの大理石を使い彫刻を作り出してきましたが、ミケランジェロのような素晴らしい作品を制作したのは希でしょう。つまり石の質ではなく、そこにすでにあるものを掘り出す心(眼)があるかどうかだと私は思うのです。
引用返信/返信 削除キー/
■32695 / inTopicNo.75)  漱石雑感
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/26(Sat) 12:24:11)
    2023/08/26(Sat) 12:39:49 編集(投稿者)

    うましかさん紹介の稲賀繁美先生の論考「物質の裡に精神は宿るか − 漱石『夢十夜』の運慶とミケランジェロの詩 −」に漱石の「夢十夜」が出てきたので改めて読み直すと共に漱石のことを少し調べてみました。

    絶筆となった「明暗」が1916年作でその年に亡くなっています。享年49歳。一方処女作「吾輩は猫である」は1905年に発表されました。
    驚いたことは2点、49歳で亡くなったこと(若い!)と、創作活動10年余り(短い!)だったことです。また病気持ちで、ウィキペディアによれば肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、命取りとなった胃潰瘍、うつ病あるいは統合失調症を患っていたとされています。

    日本の文豪というとボクには夏目漱石と森鴎外が浮かびます。森と夏目は全然違いますがボクは夏目の方が好きです。「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」がとっつきやすいからですが、一方後期の作品は全然違います。かなりシビアです。

    で、「夢十夜」は1908年の作品で年代的には前半に当たります。
    青空文庫 夢十夜
    https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

    稲賀論考に出てくる運慶の話は第六夜の夢です。稲賀論考ではミケランジェロとのつながりから「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。」が主題になっていますが、原作はそのあと主人公(夏目?)が「そうなら誰にでもできる事だ」と思い、家に帰り何体も彫ってみたが仁王さまは現れなかったとあります。そしてついに「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟り、それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」と結んでいます。

    仁王さまが現れなかったのはそれが明治の木には仁王が埋まっていないからなのか?譬えそれが夏目の言わんとしたことだとしても、ボクには主人公に運慶ほどの技量がなかったからなのではないのか?という疑念が残ります。もしも明治の木にはもう仁王が埋まっていないのなら、運慶と言えども仁王を掘り出すことは不可能だと思うのです。
引用返信/返信 削除キー/
■32673 / inTopicNo.76)  Re[22]: 田秋さんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/08/24(Thu) 17:02:41)
    2023/08/24(Thu) 17:31:10 編集(投稿者)

    田秋さん、ちょっと気になったので、補足させてください。

    >>「自分はバッハをどう演奏すべきか」
    >>を考えるのですか?それとも、
    >>「自分はバッハをどう演奏したいのか」
    >>を自問するのでしょうか?

    >どう演奏したいのか」を考えます。「どう演奏すべきか」は難しくてわかりません。

    >自分がどう演奏したいのかがわからなくて困っています^^こう弾けば自分の演奏になる、というようなマニュアルはボクにはありません

    私見では、超越的イデーへと至るマニュアル(語り)は存在しません。
    それは自らが発見しなければならない、進むべき道である、と考えます。
    これは芸術に限りません。
    たとえば、カルト宗教におけるカリスマは、それをマニュアル化し、信者の主体的信仰を奪います。
    そこにイデー=宗教的真理は存在しないと考えます。

    *******************
    ちょっとしつこいですが、

    「自分が演奏したい演奏がどんなものであるかは、発見しなければならないのではないでしょうか?」

    【追加】
     上の質問、蛇足でした。
     スルーしてください。。

引用返信/返信 削除キー/
■32672 / inTopicNo.77)  Re[21]: 田秋さんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/08/24(Thu) 16:40:50)
    田秋さん、レス、ありがとうございます。

    田秋さん、私の感覚と田秋さんの感覚・感性は、それほど違わないかもしれないと言われたこと、おこがましいですが、私もなんとなくそんな気がしていました。
    もちろん、似ているかもしれないとしてもそれは方向性で、実際の感受の能力、理解の深度は無視して、ではありますが。

    ただ、やはり、プレイヤーとして音楽に深くかかわっておられる田秋さんの、実践的理解をベースにした言葉と、あくまで鑑賞者としてしか関わっていなくて、理屈で無理やり何が何でも割り切ろうとする私の言葉とでは、そこに自ずと違いが生じるのかもしれません。

    ですが理屈で確信している頭でっかちの私の理解を、実際の演奏・作品が問答無用で木っ端微塵に撃破してくれることがあるのも、芸術に触れる醍醐味だとも思っています。
    *********************
    私がクラシック音楽を聴き始めた80年代は、作者より解釈優位のテクスト論が大流行の時代で、私はこれにはどうも違和感がありました。
    田秋さんが自分の基本と言われた
    >「けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとする」
    という考えも、テクスト論とはやはり異なる立場だと思うんですね。
    なので、テクスト論への反発というわけでもないんですが、それで楽譜至上主義みたいに言われていたトスカニーニに心酔したりしていました。
    でも、フルトヴェングラーも好きだったので、理屈言いとしてはちょっと悩ましかったりしたんですよね(笑)

    なんか今になって、ようやくそのあたりも少し言語化できる気がしてきました^^

引用返信/返信 削除キー/
■32670 / inTopicNo.78)  Re[20]: 田秋さんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/24(Thu) 13:36:31)
    2023/08/24(Thu) 13:39:15 編集(投稿者)

    こんにちは、ザビビのふくろうさん

    「キミのバッハが聞きたいのだ」と言われるときは、楽譜通りにただ弾いているだけの時です。それは自分が生徒を持つとよくわかります。聴いていても面白くないのです。

    >「自分はバッハをどう演奏すべきか」

    >を考えるのですか?それとも、

    >「自分はバッハをどう演奏したいのか」

    >を自問するのでしょうか?

    「どう演奏したいのか」を考えます。「どう演奏すべきか」は難しくてわかりません。

    自分がどう演奏したいのかがわからなくて困っています^^こう弾けば自分の演奏になる、というようなマニュアルはボクにはありません。

    ===
    芸術に対する感覚はひょっとするとザビビのふくろうさんとボクとでは意外に近い感性をもっているのかもしれません。

    ===
    「理念について(構成的理念と統整的理念)」にある
    「けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとする」
    まさにこれがボクの基本です。

    天才は努力する、凡才が努力をしなかったらどうなるのだ!?

    これがずっと音楽をやってきて優秀な演奏家を数多く見てきて行きついた結論です。これは決して自分を卑下し悲観しているのではありません。それしかないのです。それにそう悲壮感があるわけでもありません。

    天才とは努力する凡才である アインシュタイン

    ♪おー、ボクは天才なのだな♪
引用返信/返信 削除キー/
■32669 / inTopicNo.79)  田秋さんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/08/24(Thu) 12:21:59)
    2023/08/24(Thu) 12:33:53 編集(投稿者)
    2023/08/24(Thu) 12:25:08 編集(投稿者)

    田秋さん、丁寧な説明ありがとうございます。

    うましかさんへのレスでも述べたのですが、私は作品を芸術たらしめる根拠――これを仮に総称して“美”と呼びます――は、作者の裡にも、作品の裡にもあらかじめは存在しない、と考えています。
    先のリンク先の文書で書かれている「統制的理念(イデー)」が私の考えるものに近く思っていますが、もう少し私なりに比喩を並べますと、無限遠点であり、虚焦点であり、もっと平たく言うと昔の船乗りにとっての北極星のようなもの、というイメージです。
    それは経験世界の中には存在せず(超越的)、したがって作者・演奏者、物理的存在としての作品素材の裡にも存在せず、人がそこに視点を定めることによってそれが進むべき方向・形を示すもの。
    たとえば、同じ北極星を目指すと言っても、人の位置や能力により、進むべき方向は異なりますし、どこまで進めるか、ということは違います。
    しかし、重要なことは、その方向は指示されており、自分の眼でそれを見て、自分の進むべき実際の道は自分で発見しなければならない、ということだと思います。
    そしてそのイデーを視る眼、その感受する能力こそ、芸術家としての能力ではないかと思います。

    そのイデーが語り得ぬものである限り、それは楽譜やテキストで、一義的にその作品の形を確定できるものではありません。
    芸術作品(文学作品・宗教的作品(聖書・仏教経典))は、その意味で本質的に人の解釈を必要とし、したがって多義的です。
    イデーが無限遠点のようなものであることは、解釈者の理解の深さによって、どこまで作品の意義を発見できるか、到達深度は解釈者のいわば実存に依存します。
    その意味で、イデーは万人にひとつの方向を指し示すという意味で普遍的ですが、解釈者が実際に進むべき道は、解釈者(演奏者・信仰者)が自ら発見せねばならぬ一種の実存的真理である、ということではないかと思います。
    これは、田秋さんがバッハについての考察された問題に対する、私なりの解釈です。
    ついでに言うと、この「解釈」は、「アドリブ」ではない、と考えます(∵アドリブはイデーに統制されません)。
    ********
    おそらくご覧になったことがおありだと思うのですが、大昔に観た映画『アマデウス』で、サリエリが、モーツアルトが作品を手書きした楽譜を盗み見て、そこに何の修正もなかったこと、つまり、全体が頭の中にある音楽をそのまま書き下したとしか思えないのを見て、驚愕するようなシーンがあったように記憶しています。
    このエピソードだけだと、むしろ、作品が作曲者の裡にあったもの、という感じがしますが、私は異なる理解をしています。
    これもええかげんな記憶なんですが、たしかモーツアルトが映画の中で、自分はサイテー人間だが、作品はサイコーなんだ、というようなことを言うシーンがあったように思うのです(違ってたらすみません)。
    また、昔、小澤征爾さんが、モーツアルトの作品は、神がモーツアルトに書かせたとしか思えない、というようなことをおっしゃっているのをテレビで見たことがあります。
    これらが意味するのは、作品の物理的存在の存在根拠は言うまでもなく作者だけれども、これほどの完全な芸術作品というものが、不完全な存在である人間の裡にあったとは思えない。
    つまり、その芸術作品としての存在根拠は、作者の裡にはありえない、ということではないかとおもうのです。
    それを、私自身は「超越的理念としての“美”」(比喩としてのミューズ)だと考えています。
    ************************
    プロの音楽家に対して、たんなるど素人が音楽について意見するというのはさすがに冷や汗もので、多々失礼な物言いもあろうかと思いますが、
    一応、芸術についての哲学的考察ということで、ご寛恕いただきますよう、お願いします。
    ****************************
    【追加の質問】
    >今まで受けたレッスンでも先生から「キミのバッハが聞きたいのだ」と言われました

    そのとき、田秋さんは、

    「自分はバッハをどう演奏すべきか」

    を考えるのですか?それとも、

    「自分はバッハをどう演奏したいのか」

    を自問するのでしょうか?


引用返信/返信 削除キー/
■32668 / inTopicNo.80)  Re[18]: うましかさんへ
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/08/24(Thu) 11:54:32)
    2023/08/24(Thu) 12:11:41 編集(投稿者)

    うましかさん、レスをありがとうございます。
    刺激を受けられたとのこと、うれしいです。

    また、きわめて興味深い資料のリンクを貼ってくださって、ほんとうにありがとうございます。
    私はふだんから、うましかさんの資料検索能力に感心させられてばかりいて、おかげでいろんなPDFをダウンロードさせていただいています。
    この場を借りて、お礼を言わせてもらいます。感謝ですm(__)m

    この稲賀繁美先生の文書――ざっと目を通しただけですが――によれば、青山昌文先生あるいはその田秋さんによる説明は、ミケランジェロについての漱石的解釈と同じようなものなのかなと思います。
    が、さらにそれをアリストテレスの形相の考えと結びつける私のような解釈は、どうも正統的なアリストテレス解釈からすると逸脱だということのようですね。
    またプラトンについても、私の通俗的・不正確な理解からすると、ちょっと異なる説明がされています。
    専門的評価など私の手には余りすぎますので、ハナから措くことにして、
    おこがましいですが、私見を少し述べます。

    作品を芸術作品たらしめるもの、その根拠としての“美”は、超越的なるもの、語り得ぬものであり、作品の素材中にも、作者の裡にもあらかじめあるものではない、というのが私の考えです。
    その意味で、稲賀先生の文書では述べられていない立場、ということに一応なるのかなと思います。
    たしか、以前、pipitさんが引用しておられたと思うのですが、

    https://blogs.itmedia.co.jp/jrx/2012/08/reason.html

    ここで柄谷がカントの「統制的理念」と言っているものが、私の“美のイデー”についての考えのイメージに近いと思います。
    (ほかにもあるでしょうが、専門的には例えば次のような論文もあります。
     http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant20/06_sympo_matsumoto.pdf)

    ただ、その“形象”の実質はあらかじめ作品の中に存在しないにせよ、統制的理念が示すその形象の可能性は、潜性態として含まれている、とは言えるようにも思います。
    これ、実際は知らないのであくまで思考実験として受け取っていただきたいのですが、
    「生け花」をモデルに考えれば、このへんのことが理解しやすいように思います。
    生け花作品としてのあるべき形象は、あらかじめ頭の中にも、もともと個別の花にもなく、作者がいわば偶然その場に存在する花々の配置の可能性うちに美的イデーを見出し、それが指し示す方向(形)に配置していくということ、これを言い換えると、潜性態としての美的形象を見出すということなのではないかと考えています。

引用返信/返信 削除キー/
■32666 / inTopicNo.81)  うましかさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/24(Thu) 10:00:04)
    おはようございます、うましかさん

    ご紹介の稲賀繁美氏の論考、大変興味深く読みました。青山先生は「大理石が元々持っているものを彫刻家が掘り出す」というミケランジェロの信念を強く支持しています。それに対し稲賀氏の論調はもっとニュートラルに感じます。大学の講義はもはや最大公約数を教える場ではないので、青山先生の主張は偏っているという批判は当てはまりませんし、青山先生の主張は稲賀氏のこの論考に比べるとわかりやすいです。何しろブレがないので。

    しかしながら稲賀氏の、大理石から余分なものを取り除いた手は、誰の意思によって動いたのか?という疑問は常にボクの前に大きく立ちはだかります。譬えミケランジェロ自身が石に導かれたと言ったとしても本当にそうだったのか?実はミケランジェロが裡に持つミケランジェロの魂がそうさせたのではないのか?そういう疑問が常にあります。

    ザビビのふくろうさんへのレスとも関係してきますが、例えば落語に「死神」という噺があります。いろんな噺家が演じていますが、例えば柳家喬太郎が演じた「死神」、ボクは確実に柳家喬太郎をそこに聞いています。

    ボクが二十歳くらいの頃、ジャズでバッハを演奏するのが流行ったことがあります。プレイバッハと呼んでいましたが、批評家はそれを「バッハに普遍性があるからだ」と解説していました。普遍性がある故にどんなスタイルの演奏にも対応できる、という訳です。
    ボクは当たっていると思います。こういうところが他の作曲の追随を許さないバッハの偉大さだと思います。
    ではそれが具体的に何か?と尋ねられるとうまく答えることができません。或いはそれが大理石が既に持っている「あるもの」に当たるのかもしれません。

    「ああ、バッハはいいなあ」
    こう感じるのと同時に
    「シゲティのバッハはいいなあ」
    とも思います。
    バッハを聴くと同時にシゲティも聴いているとしか言いようがありません。

    イデーとエイドスについてですが、ボクははっきりとココが違うと言うことができません。ひょっとするとイデーについては勘違いしているかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■32655 / inTopicNo.82)  Re[16]: 田秋さんへ(;´・ω・)
□投稿者/ 田秋 -(2023/08/23(Wed) 21:16:00)
    こんばんは、ザビビのふくろうさん
    お久しぶりです。

    >田秋さんが、こういう捉え方は理解できても難しいとおっしゃったこと、私には意外でした。
    >だとすれば、美(芸術的価値)は発明、創造であって、発見ではない、という考え方のほうがしっくりくる、ということでしょうか?
    事は単純ではありませんが、芸術的価値は創造する部分も大きいと考えています。そう考える一番の理由は、青山先生流に言うなら、ボクがここ100年の音楽家だからだと思います。

    (クラシック)音楽の特徴の一つに楽譜に書かれたことを再現すると言うことが挙げられます。例えばバッハの曲を演奏するとき、バッハが書いた楽譜を演奏しますが、楽譜が示す情報を正しく理解するため、その当時の演奏のお約束事とか、バッハ周辺の音楽や作曲家について勉強します。それはバッハの音楽をバッハが意図した通りに再現するための作業です。

    その上でボクもボクの先生も「それだけで良いのか?」と考えるのです。バッハが意図した音楽を再現することが演奏家の究極の役目なら、最終的にどの演奏家が演奏しても同じ音楽になってしまうのではないか?それで良いのか?いや、それだけでは不十分だし不満だ、バッハの意図を汲んだ上で、そこに自分を表現すべきなのではないか?これがオレのバッハだ!それが無くして自分が演奏する意味なんかないのではないか?そう考えるように教えられてきました。

    今まで受けたレッスンでも先生から「キミのバッハが聞きたいのだ」と言われましたし、ボクがレッスンするときも「キミを聞かせてくれ」とよく言います。

    ボクはストヴィンスキーの「春の祭典」が大好きで沢山の指揮者やオーケストラの演奏を聴きましたが、それぞれ全然違うのです。指揮者は「春の祭典」のスコアを勉強し、プレーヤーは春の祭典のパート譜を演奏します。でも出来上がるものは全く違います。これは「春の祭典」を「発見」するだけでは済まないものがあるようにボクには思えます。

    ===
    投稿しようと思ったら、うましかさんの書き込みがありました。うましかさんへのレスは後ほどしたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■32650 / inTopicNo.83)  田秋さんへ(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2023/08/23(Wed) 20:56:49)
    そして、ザビビのふくろうさんへ(;´・ω・)

    こんばんはー

    No.32629,32646

    横レス、、というか、たんなる私の感想(感動)です。

    >プラトンのイデーに近い感覚だと思います。彫刻をするにしてもそこに自分を表現するのではなく、大理石自身が最初から持っている「あるもの」を掘り出すというのです。(田秋さん)

    >彫刻云々の説明は、ブラトンのイデアというより、アリストテレスの形相(エイドス)の考え方のように思えます (ザビビのふくろうさん)

    *******

    お二方のレス交換が未だ始まっていない段階ですが、上記の内容をみて仕事帰りの疲れがいっとき消えました
    (/・ω・)/

    帰宅前にちょっと調べてみたら、ミケランジェロについてのこんな論考に出会いました!φ(..)メモメモ

    https://inagashigemi.jpn.org/uploads/aida/aida175.pdf

    ほんの数行で、こんなに刺激をいただけてお二方には感謝です!

    それでは〜(^^)/






引用返信/返信 削除キー/
■32646 / inTopicNo.84)  Re[15]: 放送大学雑感
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/08/23(Wed) 17:04:47)
    田秋さん、お久しぶりです。
    横入り失礼しますm(_ _)m

    No32629に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、floraさん
    >
    > 放送大学についてウェブで検索すると、予想以上に関心が高いことがわかります。
    > その中に「2022年放送大学科目難易度総合ランキング(ベスト10/ワースト10)」というサイトを見つけました。
    > http://gakusei.biz/course/totalrank/total2022.html
    >
    > ここでいう「ベスト」というのは単位が取りやすいということで、言い換えると「易しい」ということ、同様に「ワースト」というのは単位を取るのが「難しい」ということです。
    >
    > ここには表が四つ出ています。その一番下に「2022年第1学期科目難易度総合ランキングワースト10」というのがあります。これのワースト1位とワースト2位のどちらも受講しました。特に2位の「西洋芸術の歴史と理論(’16)」は今期2023年第1学期に受講しました。
    >
    > 1位、2位という輝かしいランキングに輝いた授業の先生はどちらも青山昌文という先生です。ボク的にはこの先生、放送大学で受講した科目の教授の中でベスト3に入ります。熱血漢で、深い教養に裏付けられた語り口に思わず引き込まれます。
    >
    > 先生には強い信念もあります。作品にそれを作った人物の技なり主張を見いだしそれを評価する、というのはたかだかここ100年位の評価の方法で、その見方で18世紀以前の作品を評価するのは間違っているという信念です。大雑把にいうとプラトンのイデーに近い感覚だと思います。彫刻をするにしてもそこに自分を表現するのではなく、大理石自身が最初から持っている「あるもの」を掘り出すというのです。
    >
    > 頭では理解できますが、実際問題となるとなかなかそういう見方はできないものです。
    >

    彫刻云々の説明は、ブラトンのイデアというより、アリストテレスの形相(エイドス)の考え方のように思えますが、それはさておき。

    田秋さんが、こういう捉え方は理解できても難しいとおっしゃったこと、私には意外でした。
    だとすれば、美(芸術的価値)は発明、創造であって、発見ではない、という考え方のほうがしっくりくる、ということでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/

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