□投稿者/ 田秋 -(2023/08/26(Sat) 12:24:11)
| 2023/08/26(Sat) 12:39:49 編集(投稿者)
うましかさん紹介の稲賀繁美先生の論考「物質の裡に精神は宿るか − 漱石『夢十夜』の運慶とミケランジェロの詩 −」に漱石の「夢十夜」が出てきたので改めて読み直すと共に漱石のことを少し調べてみました。
絶筆となった「明暗」が1916年作でその年に亡くなっています。享年49歳。一方処女作「吾輩は猫である」は1905年に発表されました。 驚いたことは2点、49歳で亡くなったこと(若い!)と、創作活動10年余り(短い!)だったことです。また病気持ちで、ウィキペディアによれば肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、命取りとなった胃潰瘍、うつ病あるいは統合失調症を患っていたとされています。
日本の文豪というとボクには夏目漱石と森鴎外が浮かびます。森と夏目は全然違いますがボクは夏目の方が好きです。「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」がとっつきやすいからですが、一方後期の作品は全然違います。かなりシビアです。
で、「夢十夜」は1908年の作品で年代的には前半に当たります。 青空文庫 夢十夜 https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html
稲賀論考に出てくる運慶の話は第六夜の夢です。稲賀論考ではミケランジェロとのつながりから「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。」が主題になっていますが、原作はそのあと主人公(夏目?)が「そうなら誰にでもできる事だ」と思い、家に帰り何体も彫ってみたが仁王さまは現れなかったとあります。そしてついに「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟り、それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」と結んでいます。
仁王さまが現れなかったのはそれが明治の木には仁王が埋まっていないからなのか?譬えそれが夏目の言わんとしたことだとしても、ボクには主人公に運慶ほどの技量がなかったからなのではないのか?という疑念が残ります。もしも明治の木にはもう仁王が埋まっていないのなら、運慶と言えども仁王を掘り出すことは不可能だと思うのです。
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