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■18573 / inTopicNo.25)  Re[21]: 前期VS後期ウィトゲンシュタイン
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/08(Mon) 21:55:52)
    2021/11/09(Tue) 07:43:08 編集(投稿者)

    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No18548に返信(knowing itselfさんの記事)

    > >>前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっているようにみえるのを、どう調停するのか。ふつうに考えれば大いにアタマを悩ますのは当然でしょう。永井氏も、ウィトゲンシュタインの前期と後期の対立には弁証法が体現されてるとかいっていた。ヘーゲルは弁証法を体現していないが(低評価か)、ウィトゲンシュタインは体現していると。前期と後期の矛盾を解決するには、ある程度の哲学的な思考が必要だみたいなことを。

    >>knowing itselfさんご自身は、「前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっている」と思えるところはどこらあたりでしょうか。

    > 一筋縄ではいかず難しいですね。「まるで正反対」とまでいうことはためらわれますが、やはり、素朴な印象としても前期にはない「言語ゲーム」ですね。

    確かに。
    言語ゲームは前期の写像理論を丸ごと否定した上に成立したのか、それとも上書き(ヴァージョンアップ)だったのか。
    knowing itselfさんはどちらを支持されますか?

    私はNo18243のように考えています。
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■18550 / inTopicNo.26)  遺稿二万ページ
□投稿者/ knowing itself -(2021/11/08(Mon) 17:00:43)
    ウィトゲンシュタインの公刊した著者は一冊だとしても、遺稿は二万ページだとかいわれるからね。

    現代日本だと20冊、30冊以上出版する著者は少なくないが、別に大したことのない人はたくさんいる。いすぎる。
引用返信/返信 削除キー/
■18548 / inTopicNo.27)  Re[20]: 前期VS後期ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowing itself -(2021/11/08(Mon) 16:49:37)
    パニチェさん こんばんは。

    >>前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっているようにみえるのを、どう調停するのか。ふつうに考えれば大いにアタマを悩ますのは当然でしょう。永井氏も、ウィトゲンシュタインの前期と後期の対立には弁証法が体現されてるとかいっていた。ヘーゲルは弁証法を体現していないが(低評価か)、ウィトゲンシュタインは体現していると。前期と後期の矛盾を解決するには、ある程度の哲学的な思考が必要だみたいなことを。
    >
    > knowing itselfさんご自身は、「前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっている」と思えるところはどこらあたりでしょうか。

    一筋縄ではいかず難しいですね。「まるで正反対」とまでいうことはためらわれますが、やはり、素朴な印象としても前期にはない「言語ゲーム」ですね。

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■17997 / inTopicNo.28)  Re[19]: 前期VS後期ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/26(Tue) 20:38:59)
    こんばんは、knowing itselfさん。横レス失礼します。

    No17923に返信(knowing itselfさんの記事)
    > 前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっているようにみえるのを、どう調停するのか。ふつうに考えれば大いにアタマを悩ますのは当然でしょう。永井氏も、ウィトゲンシュタインの前期と後期の対立には弁証法が体現されてるとかいっていた。ヘーゲルは弁証法を体現していないが(低評価か)、ウィトゲンシュタインは体現していると。前期と後期の矛盾を解決するには、ある程度の哲学的な思考が必要だみたいなことを。

    knowing itselfさんご自身は、「前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっている」と思えるところはどこらあたりでしょうか。

引用返信/返信 削除キー/
■17923 / inTopicNo.29)  前期VS後期ウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/23(Sat) 19:04:01)
    前期ウィトゲンシュタインと後期ウィトゲンシュタインがまるで正反対のことをいっているようにみえるのを、どう調停するのか。ふつうに考えれば大いにアタマを悩ますのは当然でしょう。永井氏も、ウィトゲンシュタインの前期と後期の対立には弁証法が体現されてるとかいっていた。ヘーゲルは弁証法を体現していないが(低評価か)、ウィトゲンシュタインは体現していると。前期と後期の矛盾を解決するには、ある程度の哲学的な思考が必要だみたいなことを。
引用返信/返信 削除キー/
■17920 / inTopicNo.30)  Re[25]: 鬼界氏と永井氏
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/23(Sat) 18:49:20)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >>どうなんですかね。〈私〉が言語ゲームの主体になるなら、鬼界氏による後期ウィトゲンシュタインの「私」と、それほど違うものなのかどうか。ペンディングです。
    >>私的確実性というのも、〈私〉の別の呼び名と解せないこともない。私的確実性は他のいかなる人間主体も感じえないんです。ウィトゲンシュタインだけが、生々しく感じている、その強烈な、唯一無比のリアリティ、それを私的確実性と呼んでいるとも考えられます。
    >
    > それはそうですね。
    > まぁ結論から言えばパニチェのウィトゲンシュタインへの拘りだと思います。
    > だから鬼界氏のように「我々は」という主語を無防備(笑)に用いたり、〈私〉に関する言及なしでウィトゲンシュタインを読解することに多少の抵抗があるのだと思います。

    拘りや抵抗があることはけっこうなことですね。わかりやすく整理された本をスッと読んでわかったつもりになるのは、哲学からもっとも遠いともいえます。

    それでも、鬼界氏の新書はやはりいいと思います。




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■17792 / inTopicNo.31)  Re[24]: 鬼界氏と永井氏
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/20(Wed) 20:04:24)
    2021/10/23(Sat) 08:10:59 編集(投稿者)

    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No17770に返信(knowing itselfさんの記事)

    >>knowing itselfさんに何が聞きたかったのかというと。。。
    >>永井均氏のウィトゲンシュタイン解釈はマイノリティーだと思うのです、これに対して鬼界氏のウィトゲンシュタインはメジャーなもの。

    > ウィトゲンシュタインの遺稿は2万ページあるとかで、最先端の学問研究はレベルが高いのでしょうね。鬼界氏の「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は、遺稿研究を踏まえてウィトゲンシュタインの生涯の思考をナビゲートする入門書として、ファーストチョイスになりうると思います。新書としては、かなりレベルが高いと思います。ロムの人にもおすすめ。読んで書き込み歓迎です。

    よくできた解説書であるということには同意します。

    >>要するにウィトゲンシュタインの形而上学的主体(または哲学的自我)を〈私〉と同類に見なすか、それとも万人も共有できるところの主体や私的確実性と見なすか、を確認したかったということです。

    > どうなんですかね。〈私〉が言語ゲームの主体になるなら、鬼界氏による後期ウィトゲンシュタインの「私」と、それほど違うものなのかどうか。ペンディングです。
    > 私的確実性というのも、〈私〉の別の呼び名と解せないこともない。私的確実性は他のいかなる人間主体も感じえないんです。ウィトゲンシュタインだけが、生々しく感じている、その強烈な、唯一無比のリアリティ、それを私的確実性と呼んでいるとも考えられます。

    それはそうですね。
    まぁ結論から言えばパニチェのウィトゲンシュタインへの拘りだと思います。
    だから鬼界氏のように「我々は」という主語を無防備(笑)に用いたり、〈私〉に関する言及なしでウィトゲンシュタインを読解することに多少の抵抗があるのだと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■17770 / inTopicNo.32)  Re[23]: 鬼界氏と永井氏
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/19(Tue) 19:27:05)
    パニチェさん こんばんは

    > knowing itselfさんに何が聞きたかったのかというと。。。
    > 永井均氏のウィトゲンシュタイン解釈はマイノリティーだと思うのです、これに対して鬼界氏のウィトゲンシュタインはメジャーなもの。

    ウィトゲンシュタインの遺稿は2万ページあるとかで、最先端の学問研究はレベルが高いのでしょうね。鬼界氏の「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は、遺稿研究を踏まえてウィトゲンシュタインの生涯の思考をナビゲートする入門書として、ファーストチョイスになりうると思います。新書としては、かなりレベルが高いと思います。ロムの人にもおすすめ。読んで書き込み歓迎です。


    > 要するにウィトゲンシュタインの形而上学的主体(または哲学的自我)を〈私〉と同類に見なすか、それとも万人も共有できるところの主体や私的確実性と見なすか、を確認したかったということです。

    どうなんですかね。〈私〉が言語ゲームの主体になるなら、鬼界氏による後期ウィトゲンシュタインの「私」と、それほど違うものなのかどうか。ペンディングです。

    私的確実性というのも、〈私〉の別の呼び名と解せないこともない。私的確実性は他のいかなる人間主体も感じえないんです。ウィトゲンシュタインだけが、生々しく感じている、その強烈な、唯一無比のリアリティ、それを私的確実性と呼んでいるとも考えられます。
引用返信/返信 削除キー/
■17683 / inTopicNo.33)  Re[22]: 鬼界氏と永井氏
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/17(Sun) 17:18:55)
    レスありがとうございます。

    No17681に返信(knowing itselfさんの記事)
    >>参考までにお聞きしたいのですが、knowing itselfさんは永井均著「ウィトゲンシュタイン入門」はお持ちでしたっけ?

    > 以前この書を参照しながら何度かやり取りしましたね。その時はもっていました。

    やっぱそうでしたよね。記憶に自信がなかったもので。。。(笑)

    > 永井氏的なウィトゲンシュタイン解釈として高評価したのを覚えています。いまは手元にないですがすぐ入手可能です。
    > この書について、引用、参照、評価は歓迎です。

    knowing itselfさんに何が聞きたかったのかというと。。。
    永井均氏のウィトゲンシュタイン解釈はマイノリティーだと思うのです、これに対して鬼界氏のウィトゲンシュタインはメジャーなもの。

    要するにウィトゲンシュタインの形而上学的主体(または哲学的自我)を〈私〉と同類に見なすか、それとも万人も共有できるところの主体や私的確実性と見なすか、を確認したかったということです。
引用返信/返信 削除キー/
■17681 / inTopicNo.34)  Re[21]: 鬼界氏と永井氏
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/17(Sun) 16:31:15)
    > 参考までにお聞きしたいのですが、knowing itselfさんは永井均著「ウィトゲンシュタイン入門」はお持ちでしたっけ?

    以前この書を参照しながら何度かやり取りしましたね。その時はもっていました。永井氏的なウィトゲンシュタイン解釈として高評価したのを覚えています。いまは手元にないですがすぐ入手可能です。

    この書について、引用、参照、評価は歓迎です。
引用返信/返信 削除キー/
■17679 / inTopicNo.35)  鬼界氏と永井氏
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/17(Sun) 16:13:39)
    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    No17674に返信(knowing itselfさんの記事)

    > ウィトゲンシュタインが生涯のさまざまな段階で違う「私」に出会ったということはない
    > 彼の切実なテーマ、根源は一つに集約されていたと思います。ただ、それを哲学的に解決を求めて表現するにあたって、紆余曲折があった、複雑な展開があったということだと思います。哲学の表現の形は、やはり違います。が、生における「私」の内実は裸形のウィトゲンシュタインのままだったでしょう。

    > 鬼界氏の上記の表現も、別れを告げた「はず」ですから、じつは別れを告げてはいなかった、ウィトゲンシュタインの主題は同一であった、同じ主題の発展形だと、私は捉えます。

    なるほど。knowing itselfさんはパニチェと違い好意的に解釈されているのですね。
    パニチェの読解が批判的過ぎる可能性もありますね(笑)。

    >>ウィトゲンシュタインの読解で最も重要であると思うのは語りえない「私」をどのように読解しているのか、ということです。
    >>哲学界では鬼頭氏の読解が一般的なものかもしれませんがパニチェは永井均氏の〈私〉に隣接あるいは同じ主体であると考えています。

    >>この差は大きい、ということです。「確実性の問題」を再読してみますがこの部分が同意できないかぎり「ウィトゲンシュタインはこう考えた」のP.391『(2)「私」と言語の源』以降に同意できません。

    > もちろん同意できないという立場は尊重します。「ウィトゲンシュタインこう考えた」という書物がある解釈を提示しているだけですから。

    参考までにお聞きしたいのですが、knowing itselfさんは永井均著「ウィトゲンシュタイン入門」はお持ちでしたっけ?
引用返信/返信 削除キー/
■17674 / inTopicNo.36)  Re[19]: 「私」と言語
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/17(Sun) 15:56:17)
    パニチェさん レスありがとうございます。

    >>同じでしょう。
    >
    > では鬼界氏がP.340で述べている『そこで我々が(そしてウィトゲンシュタインが)目にするものは、ある意味では予想に反し、そして予想通りに、独我論批判で別れを告げたはずの「私」である。』に同意されますか?
    >
    > パニチェは前期〜後期を通じてウィトゲンシュタインは〈私〉に関する新たな発見や出会いなどしていないと考えています。

    ウィトゲンシュタインが生涯のさまざまな段階で違う「私」に出会ったということはない
    彼の切実なテーマ、根源は一つに集約されていたと思います。ただ、それを哲学的に解決を求めて表現するにあたって、紆余曲折があった、複雑な展開があったということだと思います。哲学の表現の形は、やはり違います。が、生における「私」の内実は裸形のウィトゲンシュタインのままだったでしょう。

    鬼界氏の上記の表現も、別れを告げた「はず」ですから、じつは別れを告げてはいなかった、ウィトゲンシュタインの主題は同一であった、同じ主題の発展形だと、私は捉えます。


    > ウィトゲンシュタインの読解で最も重要であると思うのは語りえない「私」をどのように読解しているのか、ということです。
    > 哲学界では鬼頭氏の読解が一般的なものかもしれませんがパニチェは永井均氏の〈私〉に隣接あるいは同じ主体であると考えています。
    >
    > この差は大きい、ということです。「確実性の問題」を再読してみますがこの部分が同意できないかぎり「ウィトゲンシュタインはこう考えた」のP.391『(2)「私」と言語の源』以降に同意できません。

    もちろん同意できないという立場は尊重します。「ウィトゲンシュタインこう考えた」という書物がある解釈を提示しているだけですから。
引用返信/返信 削除キー/

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