| 哥哥♪
わたしも(もっと)今さらですが
〜新年あけましておめでとうございます〜
先日(つい衝動買いをしてしまって)読んだ「世界は感情で動く」という本の中に映画「ファイトクラブ」について書いてあるところがあり、なにやらなつかしく? 哥哥を思い出しました。
哥哥、ご存知でした? 映画の最後のシーンに、建物が爆発する瞬間、何か変なもの・・・(ペニス)が画面を横切っているらしいのです。 これは映画館でタイラーがやっていたことと同じことをこの映画の監督も私たちに向けてやっていたわけなのですが、私はまったく気が付きませんでした。
私は記憶は嘘をつくどころか、向き合っていると思っている現実さえかなり不確かに見ているんだなとおかしくなってしまいました。
>人間は言語化できないものは認識できないのでした。
>だからと言って、言語化できないものが存在しないとは限らない、とかなんとかお話しました。
(・・・・・あ〜〜〜変なこと考えた。) (神は言語化できるから存在するんだな。。。)
最近ですね、確かに「言語化できないものが存在しないとは限らない」のだけれど、 というか、「言語化できないものが存在しないとは限らない」というのはまったく当たり前のようにも思えるけれど、
その一方で認識しないものをどうやって知ることができるんだ?と思うわけです。
認識するしないはどこでもドアみたいな感じがして。 認識しない以上ドアの向こうを知ることはできないという感じでしょうか。
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