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■9379  Re[12]: 二種の不二
□投稿者/ knowing itself -(2020/11/23(Mon) 10:04:42)
    パニチェさんへ

    > >>「〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU」で永井さんは第五図と〈私〉と慈悲の問題に関して良道さんが超越的であるのに対して永井さんや一照さんは超越論的なスタンスであったように思います。ところが「世界の独在論的存在構造」では「超越的な存在なのである」と述べており、少しブレでいる感があります。
    >
    >>「バージョンU」p153の最後の段落からp154にかけて、パニチェさんによる上記引用文の最初の5行を少し膨らませた記述になっていると思います。永井さんによると、超越は超越なんだけど、世界に属してはいないんだけど、だからといって離存していない、ある意味では超えているけれど、ある意味では密着している、こういう形における存在の仕方が「超越論的」の特徴になるようです。
    >
    > なるほど、「世界の独在論的存在構造」の初版は2018年8月、「〈仏教3.0〉を哲学する バージョンU」の初版は2020年2月ですから、永井さんもこの2年の間に〈私〉と超越論的と超越的の関係性を明確にされたということですね。

    既に「ウィトゲンシュタイン入門」でも、ウィトゲンシュタインを借りてこの両者の関係が論じられていますね。例えばp26〜28、小見出しが「超越論的(先験的)哲学」。ウィトゲンシュタインには、超越論的な語りえぬものと超越的な語りえぬものの二種類があるとされています。この二つを軸にウィトゲンシュタインの生涯の哲学の歩みが進展していくというのが、どうやら永井的なウィトゲンシュタインのようですね。




    > それにしてもknowing itselfさんは時系列も含めてよく永井哲学を理解されていますね。
    > 結論からすれば永井さんにとっても〈私〉は客観世界には属さないという意味で超越しているが、神や背後世界のような形而上学的超越ではなく、接点をもった超越という意味での超越論的存在ということですね。

    「〈私〉のメタフィジック」という初期の著書もあります。永井さんは独自の形而上学をやっているとも言えると思います。
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