| 「泡」はたとえその「泡」のひとつを取り出してみても、ミクロじゃなくてマクロじゃん。 あ、それと、一つの泡?が一つだけあったとするよね。そのときそれを見て、これは「泡である」って言う? シャボン玉ってあるよね。一つのシャボン玉をみて、「これは泡である」って判断するのかしら? 「泡が存在する」これに「理」は必ずしも必要ない。 ただ、「これは泡である」っていう”判断”には理が必要だけどね。
「地中に埋められてるジェット機」 もうすでに見えないものとしてジェット機である、が提示されているよね。 たとえば、わたしがある地平に立っているとするね。私が立っている地中にわたしは何が”存在している”か知らない。そう、ジェット機が埋まっているかもしれないし、水道管が埋まっているかもしれないし、ひょっとっして人骨が埋まっていあるかもしれない。
ところでマジモンさん、ちょっと聞くけど、 「ウィルス」って、マクロ?ミクロ?どっちに分類するのかしら?
pipitさま、お邪魔してるよ。 カントの『純粋理性批判』って、人間の認識、言いかえると「それは〜である」っていう判断を問題としてるってわたし見てるんだけど、どうなのかしら? たとえばわたしが立っている地面の下に埋まっていたとして「それはジェット機である」っていう判断みたいな。わたしそもそもわたしが立ってる地面の下に何が埋まってるかなんて”知らない”し。
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