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■9525 / inTopicNo.1)  Re[64]: 結びつける
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/27(Fri) 19:37:44)
    ■9518
    >悪魔ちゃん、現象って、どんな意味で使ってる?<
    わたしの「現象」っていうのは、脳(身体の一部)の機能によって現れる〈現前の象〉とか〈現在の象〉っていう感じかな?
    〈象〉っていうのは〈現れ〉で、これって〈見えるもの〉の現れ”も”意味してる。
    最初の現れ(象=脳の機能によってあらわれるもの)は感覚ー知覚ね。感覚は身体の感覚器官を通じて現れるもの。感覚器官―眼・鼻・耳・舌・皮膚(粘膜)…―は身体。

    >人間が新型コロナを怖がってる状況があるよね。<
    ねえ、pipitさま〜、?「新型コロナ」ウィルスで人間はなにを怖がってるの?

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■9521 / inTopicNo.2)  悪魔ちゃんへ聞きたいこと。
□投稿者/ pipit -(2020/11/27(Fri) 19:22:24)
    感情は、現象?

    知識は、現象?
引用返信/返信 削除キー/
■9520 / inTopicNo.3)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/11/27(Fri) 19:20:42)
    >これらがウィルスとどのように関係するか意味わかんないと思うんだけど、いちおう書いて見たよ<

    ウィルスとどのように関係するのか、話してくれる?

    悪魔ちゃんの身体と、悪魔ちゃんの精神と、その他もろもろと、ウィルスの関係を、話してくれる?
引用返信/返信 削除キー/
■9518 / inTopicNo.4)  Re[63]: 結びつける
□投稿者/ pipit -(2020/11/27(Fri) 19:12:30)
    悪魔ちゃん、こんばんは。

    > >例えば、新型コロナの現象とメルロの残した言葉とを、悪魔ちゃんはどう結びつけるの?<
    > pipitさまの「新型コロナの現象」っていうのよくわかんない。
    > 「新型コロナ」っていうの「ウィルス」のことよね。言いかえると「ウィルスの現象」ってなると思うんだけど、わたしにとってこの見方ないの。あなたウィルスって見える?わたしには見えない。わたしが「新型コロナウィルスが存在する」っていうのを”知った”のはニュースから。<

    人間が新型コロナを怖がってる状況があるよね。これは、悪魔ちゃんにとって、現象ではないの?

    わたしは、仏教の影響とかあるんだろうね、
    現象といえば、組み立てられたもの、という捉え方することが多いね。
    いろんな要素によって成り立つ一つの在り方、ってかんじを、現象ってぼやぼやと思ってるね。

    悪魔ちゃん、現象って、どんな意味で使ってる?
    引用なしで、答えてくれる?
引用返信/返信 削除キー/
■9517 / inTopicNo.5)  Re[62]: 結びつける
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/27(Fri) 19:02:50)
    ■9505、
    >例えば、新型コロナの現象とメルロの残した言葉とを、悪魔ちゃんはどう結びつけるの?<
    pipitさまの「新型コロナの現象」っていうのよくわかんない。
    「新型コロナ」っていうの「ウィルス」のことよね。言いかえると「ウィルスの現象」ってなると思うんだけど、わたしにとってこの見方ないの。あなたウィルスって見える?わたしには見えない。わたしが「新型コロナウィルスが存在する」っていうのを”知った”のはニュースから。

    >メルロの残した言葉とを、悪魔ちゃんはどう結びつけるの?<
    メルロの記述を抜粋して見るね。
    『行動と構造』から
    【精神は身体を利用するのではなく、身体をたえず物理的空間の外へ移行させながら、身体を通して生成するのである。】
    『知覚の現象学』から
    【私は私の身体の前にいるのではない。私は私の身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。】
    【身体とは、われわれが一つの世界をもつ一般的な手段である。】
    【〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである。】
    【身体は「世界における(への)存在」の媒体である。身体をもつということは、生きるものにとって、一定の環境に加わり、若干の企投と一体となり、たえずこれに自己を拘束するということである。】
    これらがウィルスとどのように関係するか意味わかんないと思うんだけど、いちおう書いて見たよ。








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■9505 / inTopicNo.6)  Re[61]: 結びつける
□投稿者/ pipit -(2020/11/26(Thu) 23:36:08)
    悪魔ちゃん、こんばんは(^ ^)

    > このごろ、人類では「新型コロナウィルス」っていうのが流行になってるみたいじゃない?あ、っていうかウィルスと経済活動の問題かな?
    >
    > わたし思うのね。カント哲学とこの流行がどう結びつくのか?ってね。<

    生きてる、があって、いろんなことが起こる。

    哲学・学が、自己の中の生きる態度を選択する際の参考となるなら、
    また、自分自身で哲学して、態度を自発的に選択するなら、

    哲学は自己の生に直接結びつくものになるのかもしれないね。

    カント哲学・学を何にどう結びつけるかは、読者によって違うんじゃないかな。

    倫理的な行為の選択に結びつける人もいるかもだし、科学というものを割り切って使える知識として追求していこうと自己肯定する人もいるかもだし、
    大きな意味での合目的性の可能性に想いを馳せて、自己反省に結びつける人もいるかもしれないし、
    もちろん、カント哲学は要らないよ、という人も盛り沢山に居て当たり前だよね。

    例えば、新型コロナの現象とメルロの残した言葉とを、悪魔ちゃんはどう結びつけるの?


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■9493 / inTopicNo.7)  Re[60]: 結びつける
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/26(Thu) 18:05:56)
    ■9479
    >いつでも、どうぞ〜<
    っていうところが好き。

    このごろ、人類では「新型コロナウィルス」っていうのが流行になってるみたいじゃない?あ、っていうかウィルスと経済活動の問題かな?

    わたし思うのね。カント哲学とこの流行がどう結びつくのか?ってね。


引用返信/返信 削除キー/
■9479 / inTopicNo.8)  Re[59]: 「語」の”意味”の区別の仕方
□投稿者/ pipit -(2020/11/25(Wed) 21:05:07)
    No9478に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 途中なところ、pipitさま、お邪魔するね。<

    いつでも、どうぞ〜 

    書き込み、ありがとね(^ ^)


    > カントの文章の中山訳の
    > >『しかしここで考えてほしいのは、この自然というものは[人間に現れる]現象の総体にすぎないということである。これは物自体ではなく、人間の心が思い描いた像の全体なのである。だからこそわたしたちがこの自然を、人間のすべての認識の根本的な能力、すなわち超越論的な自己統合の意識のもとにおいて眺めるのは、なんら不思議なことではないのである。自然が〈自然〉となるのは、この超越論的な自己統合の意識の働きによって、自然がすべての可能な経験の客体として一つの統一のうちに現れるからである。』(p215より引用)<
    >
    > から見ると、
    > >中山先生のつけた小見出しは、『人間の認識に従う自然』<
    > じゃなくて、『人間の認識に従う〈自然〉』の方がよかったんじゃないかしらね?
    >
    > 中山ちゃんの訳の「自然が〈自然〉となるのは、」っていうところがわたし気になる。自然、と〈自然〉は区別されている、っていうこね。カントのか、中山のか、は不明だけど。<

    原文はどうなってるんだろうね?


    > パニチェさんは、私じゃなくて〈私〉って表記してるみたいだけど、いずれにしても”区別してる”っていうことだとわたし見てるん。<

    うん、私もそうとらえてるよ。

    > ある「語」の”意味”を区別するために、〈 〉で表記するのが日本哲学研究者のうちでは流行ってるのかな?<

    けっこう昔からあったりして?
    昭和初期の哲学翻訳書とかに、いろいろあったりして、って、妄想したよ。

    どんな思いで、翻訳したのかなー

    楽しかったんじゃないかなー(ワクワク、みたいな)





引用返信/返信 削除キー/
■9478 / inTopicNo.9)  Re[58]: 「語」の”意味”の区別の仕方
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/11/25(Wed) 20:25:22)
    途中なところ、pipitさま、お邪魔するね。

    カントの文章の中山訳の
    >『しかしここで考えてほしいのは、この自然というものは[人間に現れる]現象の総体にすぎないということである。これは物自体ではなく、人間の心が思い描いた像の全体なのである。だからこそわたしたちがこの自然を、人間のすべての認識の根本的な能力、すなわち超越論的な自己統合の意識のもとにおいて眺めるのは、なんら不思議なことではないのである。自然が〈自然〉となるのは、この超越論的な自己統合の意識の働きによって、自然がすべての可能な経験の客体として一つの統一のうちに現れるからである。』(p215より引用)<

    から見ると、
    >中山先生のつけた小見出しは、『人間の認識に従う自然』<
    じゃなくて、『人間の認識に従う〈自然〉』の方がよかったんじゃないかしらね?

    中山ちゃんの訳の「自然が〈自然〉となるのは、」っていうところがわたし気になる。自然、と〈自然〉は区別されている、っていうこね。カントのか、中山のか、は不明だけど。

    パニチェさんは、私じゃなくて〈私〉って表記してるみたいだけど、いずれにしても”区別してる”っていうことだとわたし見てるん。
    ある「語」の”意味”を区別するために、〈 〉で表記するのが日本哲学研究者のうちでは流行ってるのかな?





引用返信/返信 削除キー/
■9454 / inTopicNo.10)  初版の演繹論
□投稿者/ pipit -(2020/11/25(Wed) 13:57:29)
    初版の演繹論(中山元先生訳では、[初版の]純粋知性概念の根拠づけ[=演繹])の箇所を読み始めていたはずですが、
    いろいろ忘れかけています。

    中山元先生訳、光文社古典新訳文庫、『純粋理性批判2』p215に、カバーが、挟んであったので、そこから読んでみました。

    中山先生のつけた小見出しは、『人間の認識に従う自然』

    カントの主張がわかりやすく思える文章を四文引用させていただきます。

    カントの文章の日訳
    『しかしここで考えてほしいのは、この自然というものは[人間に現れる]現象の総体にすぎないということである。これは物自体ではなく、人間の心が思い描いた像の全体なのである。だからこそわたしたちがこの自然を、人間のすべての認識の根本的な能力、すなわち超越論的な自己統合の意識のもとにおいて眺めるのは、なんら不思議なことではないのである。自然が〈自然〉となるのは、この超越論的な自己統合の意識の働きによって、自然がすべての可能な経験の客体として一つの統一のうちに現れるからである。』
    (p215より引用)

    語弊があるかもだけど、認識論と存在論が融合されてる感覚を思い起こしました。
    超越論的観念論からの経験的実在論、みたいな。
    この箇所では、経験的実在論は読み取れないと思うけど、
    この演繹は、結局は、私たちにとっての普遍客観的実在(経験的実在)に、私たちの内にある純粋悟性概念や、超越論的レベルでの自己統合の意識が関与・機能している(超越論的観念論)という主張への弁明、なのかなとpipitは思っているので、認識論と存在論のミックスを思いました。

    先を読んでみます。

引用返信/返信 削除キー/
■9441 / inTopicNo.11)  Re[56]: 欲
□投稿者/ pipit -(2020/11/24(Tue) 21:17:21)
    本当のこと、が、目の前のこと以外にあると思ってるんやね。

    本当どうなんかなー
引用返信/返信 削除キー/
■9440 / inTopicNo.12)  
□投稿者/ pipit -(2020/11/24(Tue) 21:08:41)
    悪魔ちゃん、こんばんは。

    > >存在が有る状態で、存在したい<(■9433 )
    > 順番が逆じゃない?pipitさま。
    > 存在したいが有るがゆえの存在。
    > なんじゃないかしら?<

    うーん、まだ、どうなってるのか、私にはわからないよ??


    > 自殺する人、「存在したいが有る」がなくなっちゃって「存在したくない」
    > になっちゃってなのかな?でも”どこに”存在したくなくなっちゃうのかがわたしのはよくわかんない。<

    もしかしたら他人のために自殺する方も稀に居られるかもで、その方には当てはまらないかもだけど、

    わたしの今の想像では、自分のために自殺する人は、今有ると思われる苦しみから逃げたい一心なんじゃないかなぁ、想像だから違うかもだけど。

    仮にそうだとすると、その人にとっての、今ここ、から、離れたい、んじゃないかなぁ。?
    それともやっぱり人それぞれ気持ちは違うのかな、、、

    >pipitさまは仏教にも関心あるみたいだからちょっと触れるけど、死後の世界(あの世)が存在する、ってしたとき(わたし仏教っていうのあの世は存在するってしてるんだと見てるのね。カントもそうなんじゃない?)、別にこの世の存在者でなくてもいいのよ。だって存在はこの世だけじゃないんだから。この世がいやならこの世の存在じゃなくてあの世の存在になればいいし〜、みたいな。<

    仏教でも他宗教でも、多分、統一見解って難しくなってると思うんよ。

    悪魔ちゃんとpipitの間でさえ、意志の疎通って難しいやん?
    誤解、誤読しょっちゅうやん?(ごめん。)

    知る、って、単純のやうな、超難のような、やな、って思うわぁ。



    > pipitさま
    > >考えたくない、という欲望?<(■9409)
    > >考えてないのに出る欲望のこと?<(■9410)
    > これって、両方とも「考えること」を中心にして「欲」を見ようとしてるんじゃない?<

    うん。思考中心やなぁ。悪魔ちゃんは感性中心なん?でも考えるよね??
    考えても、感性を忘れない、なん??


    > 何度も書いてるけどアリストテレスの『形而上学』に
    > 【すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する】って書いてある。
    > わたしそうだと思ってる。
    > 「知ることを”欲する”」の「知ること」はなにも「考えること」だけじゃないとおもってるよ。<

    うん。アメーバでさえも、知ることを欲する、に当てはまるんじゃないかなぁと、私は感じてるよ、と書いて、感じてるのか?思ってるのか?

    こういうこと、考えんでいいのかなー、いいのか、混乱のもとなのか、よくわからないよ。

    できれば、本当のこと、を、知りたい欲があるよ。
引用返信/返信 削除キー/

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