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■6949  パニチェさんへ
□投稿者/ minori -(2020/09/22(Tue) 07:37:10)
    パニチェさん、おはようございます。

    > レスありがとうございます。
    > 勝手ながら、こちらのトピに移動させてもらいました。もし不都合があればご指摘下さい。

    いえ。^^  移動していただいてありがとうございます。


    > >>〈私〉は何も映っていないスクリーン、あるいは鏡面のようなものだと考えています。
    > >>そこに何か映ればそれは「私」となります。

    > 読みました!シンクロしてますね。^^

    はい、結果的にシンクロっぽくて驚きました。
    なにしろ実は、「これ書いてるけど、パニチェさんとか読まれたら、意味不明すぎで内容なしって思われるのかもしれないな。」などと、少しばかり悲観的思考もしながら書いてましたから。
    結果的に、書いてみてよかったようでした。^^

    > 「比類なき先言の<私>」についてminoriさんが理解されているという前提で返信させてもらいますと。。。(前提が違うということであれば指摘下さい)
    > 区別しているというよりも、例のマッハ的光景の手前は何人も何ものも並び立たない特異な地点ですし、そこに存在する〈私〉は唯一無二の比類なき存在(存在様相も含め)ですから、他者と交じり合うところが全くありません。
    > それが事実あるいは自明であるとしか言いようがないというか。。。

    はい。パニチェさんの書かれている〈私〉についてですが、minori自身においてもその通りだと思います。
    ということで、「比類なき先言の<私>」についての理解が、完全100%とは言えないとは思いますが、上に書かれている部分においては理解していると思います。

    「区別している」という表現は、「唯一無二で比類なき」の別表現をminoriなりにしたもの、と考えていただければ、です。

    そして、minoriを例としていえば、その眼球から広がって見えている世界の様々と感覚器官を通じて交流したり経験して生活している、と考えています。
    カントの認識論でいうと「現象」の世界ですね、時間・空間の枠を通して世界を認識しているし、また、カテゴリー分けされた世界を生きるの一員です。
    (この部分について、パニチェさんも似通った認識をされているのか否かについては、今は不明です。)

    > 知識としてのアドヴァイタや事事無礙として上記は理解できますが、直接経験としては合点がいかない、あるいはそこまで至っていないといったところです。

    私もいわゆるアドヴァイタ体験の大きなもの、というのは経験していないですよ。
    なんか・・あれ?っていうようなのはありましたけど、その体験によって世界観が一変したというような体験をしてはいません。
    基本的には、静かに瞑想することと、気づきを意識的に保つこと(マインドフルネスのように)、ダイレクトパスという手法について書かれた本を読み実際に考察する、というようなことを通じ、「気づき」はどうやら身体に閉じ込められたものではない、というのを理解しつつあるという感じです。
    ですので、確信しているわけではないです。

    方法、道は、人によっての相性ですので、縁あって出会い、いいなと感じたものが選ばれていくわけで、興味を引かなければ無理に知る必要もないのだろうな、と思います。
    私は最初は、原始仏教が実直まじめそうでこれがいいに違いない、と思ったのですが、私には合わないことにしばらくして気づきました。

    >>山下さんは、もっと深い体験を求めてミャンマーでしたっけ、に修行に行き、普通の生活をしていては体験できないような体験をされ、それをもとに山下さんの3.0
    >>を考えられたのだと思います。
    >
    > そうだと思います。

    山下さんご自身は、修行されて、深くかつ明晰な意識状態においての体験を通じ、世界観が一変されたのだと想像するのですが、誰しもがそのような体験をするのは不可能です。
    ですので、minori自身が考えるには・・・山下さんのされた体験というのはとても特異なもの(我々、してない人からすれば)で、それは一種、手の届きようもないXとでもしておくしかないようなものだと思うんですね。
    ですから、それに憧れたり、同じ体験を願ったりしてもしかたないわけで・・。

    しかし。第四図という言葉をお借りすれば・・、その第四図として見えている世界(マッハ的光景、あるいはカントだと「現象」はそれに当たりますよね。それらが良い、悪い、高い、低い というような価値判断を離れて。)ではない世界の観方というのはどうなのだろう、という好奇心は捨てきれないものがあります。
    生きる苦悩という意味においては、「究極においてはそれと共にある」しかないのだ(完全に無くすなんて無謀)とわかったので、どうにかしようとは思ってないのですが、知的好奇心は消えないです。。。

    パニチェさんは、〈私〉についての探究は、ライフホビーとおっしゃっていましたが、それはやはり知的好奇心から発生するものですか?
    それとも、それ+抜苦というような意味合いもあるのですか?

    だらだら長くなってしまいすみません。
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