| おはようございます。
> 仏教2.0 テーラーワーダ 道が涅槃 > 仏教1.0 大乗 一生の参学ここに終わりぬ > knowing itselfさん風に言えば大乗型涅槃が夢を見ない熟睡型、テーラーワーダ型が夢を見る睡眠というところでしょうか。
あくまでわたしが理解している範囲で大雑把なことしかいえませんが、涅槃そのものは夢をみない熟睡だと思います。ただこの夢をみない熟睡状態を厳格に捉えるか、果たして誰が入ったかの理解でいろんな立場がある。どの仏教でも釈迦は入りますね。後は?本当の意味では阿羅漢でもまだという立場もありえますが、それだけとメチャメチャ厳しい。これが仏教2・0だと理解しています。
大乗仏教は、その同じ涅槃に入る主体を極限まで拡大する立場だと思います。仏教1・0とは、涅槃の内容をレベルダウンさせて、風化させて、誰でも悟っていることにする、無内容な形式仏教という意味で使われる場合と、昭和以前の伝統的な日本大乗仏教という意味で使われる場合と、分かれるようでもあります。曖昧な用語ですね。藤田さんが1・0だと思うと評したのは後者の意味で、彼は真の大乗仏教精神を体現された稀有の人だと思います。
> ただ世俗との関係がやっぱりあるように思います。
涅槃の主体が思いっきり拡張されるのでから、世俗との関係なしの大乗仏教はありえないと思います。
> 藤田一照さんって永平寺の会報みたいのにも文章を書いておられて、あまり過激な路線には踏み込めないのかもって思いました。
そうだと思います。藤田さんの対談集が何冊も出ていますが相手の幅がすごく広いです。こういうのをこなせるのは藤田さんしかいないです。懐が広くて頭脳明晰な方です。 そもそも仏教3・0を言い出したのは藤田一照さんですからね。藤田一照さんもこの用語が非常に多義的で文脈によって様々な意味を持ちうると仰っています。藤田一照さんの
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