| すみません、公案の文章などが難しくて、わかりませんでしたが、 もしかして、牛の尻尾が世俗と思われてるのかな?
■No6726に返信(たーぼーさんの記事) > この山下良道さんの法話(私の二重構造の実体験のみが仏教3.0の鍵)で、日本の大乗仏教は前提としては二重構造なんだけど、それが実感出来ないまま大乗仏教に入ると非常に苦しいことになると言うのは具体的に言うとこういう事なんです。 > > 公案1700の中でも八大難透といわれる公案があるんですが、その中に牛過窓櫺という公案があります。 > > 三十八 牛過窓櫺(ぎゅうかそうれい) > 五祖曰く,譬(たと)えば水牯牛(すいこぎゅう)の窓櫺(そうれい)を過ぐるが如く,頭角(ずかく)四蹄(してい)都(す)べて過ぎ了(おわ)る,甚麼(なん)に因(よ)ってか尾巴(びは)過ぐることを得ざる。 > 無門曰く,若(も)し者裏(じゃり)に向かって顛倒(てんどう)して,一隻眼(いっせきげん)を著得(じゃくとく)し,一転語(いってんご)を下し得ば,以って上四恩に報じ,下三有を資(たす)くべし。其れ或いは未だ然(しか)らずんば,更に須らく尾巴を照顧(しょうこ)して始めて得べし。 > 頌(じゅ)に曰く, > 過ぎ去れば抗塹(きょうぜん)に堕(お)ち,回(かえ)り来たれば却(かえ)って壞(やぶ)る。 > 者些(しゃし)の尾巴子,直に是れ甚(はなは)だ奇怪。 > > これを禅歴30年の禅者は、この公案のポイントとはと問われて、 > その牛はどこにいるか? > その牛をここに引き出せ > その牛いつの時代に生まれたか? > その牛、東に過ぎたか、西に過ぎたか? > 牛、ソウレイを過ぎる > 公案の全体 > その牛、おすかめすか? > 子を産んでみよ > > と答えたんです。 > でも牛を問題にするなら、もう公案など必要ないレベルなんです。 > 公案1700全てもはや意味がないんです。 > [者些(しゃし)の尾巴子]つまり牛の尻尾とは何か、どうして牛の尻尾が通らないかというのがこの公案のポイントであって、牛を問題にするならもう公案なんか必要ないんです。 > だから私の二重構造の実体験のみが仏教3.0の鍵というのは、とても大事な問題提起だと思います。 > > |