| パニチェさん、さすがですね。
>ななしさんのレスを引用させてただき、私なりに結ぶと以下のようになります。
三段の変化は、結局、「永遠回帰」の思想における「然り」という肯定にほかならないと思いますし、生命の充実感であり、嫌なことさえも肯定できる。 つまり、その一デナリオン(約1万円)というのは、決して来世や永遠の命などではなくて、自分なりの大いなる正午を自らの生であるところの大地で迎えることを至上の悦びとする瞬間であるということ。
全くもって同意です。
来世とかではなくて現在の「地上での恵み」と言ったらいいのか 「生きる充実」というか、決してポジティブシンキングとかではなくて 何もかもを受け入れ肯定出来るということ。
仏教の正見ですね。
災害の時などは、特に、バイアスをかけずに、危険なことは危険であると 素直に受け入れ即刻、避難すること。
つまり、ポジティブシンキングで、ここには洪水や津波は来ないと 災害時における「正常性バイアス」などの自己暗示をかけても死が待っているだけですから。
日常では心を守るための機能が、災害などの非常時に強く働くことで、 一刻も早く避難しないといけない状況にいながら、「自分は大丈夫」 「これくらいなら避難しなくてもいい」と考えてしまう場合があります。
それは、危険を過小評価する落とし穴ですね。
|