| 2020/07/03(Fri) 17:31:36 編集(投稿者)
■No3443に返信(マジカルモンキーさんの記事)
> パニチェさん > 人を怒らす天才だな(笑) > 俺の親父そっくりだわ。今年2月に死んだけど。
あっ、そうですか。ご冥福をお祈りします。
> 基本、コミュニケーションってYESか、NOじゃねーの? > YES、NO以外のoutputでくると、相手は非常に困るよね?
コミュニケーションがイエスかノーかというのは、相手が好きか嫌いかという意味でしょうか?
■No3444に返信(マジカルモンキーさんの記事)
>>憤慨してますよね? >>まさに今のマジカルモンキーさんの状態です。 >>「自分が相手に憤慨しているから、相手も自分に憤慨しているように見えるんですよ」という教えです。 >>相手や世界は自分の鏡写しのところがあるという意味です。
> そういう意味ですか。 > ありがとうございます。 > かなり憤慨しました、すみませんでした。
いえいえ、とんでもない。 私こそお詫びします。すみません。 私は無宗派の自称仏教徒ですが、以下は身近な人が亡くなった時に私が読んでいる私の心に沁みるお経です。 蓮如さんの「白骨の章」という説法です。
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それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(そう)をつらつら観(かん)ずるに
おほよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり
されば、いまだ萬歳(まんざい)の人身(にんじん)を
うけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし
いまにいたりて、たれか百年の形體(ぎょうたい)をたもつべきや
我やさき、人やさき、けふともしらず、あすともしらず
おくれさきだつひとは、もとのしづくすゑの露(つゆ)よりもしげしといへり
されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり
すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ
ひとつのいきながくたへぬれば、紅顔むなしく變(へん)じて
桃季(とうり)のよそほひをうしなひぬるときは
六親眷屬(ろくしんけんぞく)あつまりて、なげきかなしめども
更(さら)にその甲斐(かい)あるべからず
さてしもあるべきことならねばとて、野外(やがい)におくりて
夜半(よわ)のけむりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり
あはれといふも中々(なかなか)をろかなり
されば、人間のはかなき事は
老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば
たれの人も、はやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて
阿弥陀仏(あみだぶつ)を深くたのみまゐらせて
念仏まうすべーきものなり
あなかしこあなかしこ
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人間の生涯はほんの一瞬のこと 永遠の命をもったとも聞かないし、寿命がいつ尽きるかは誰も知らない
今朝は血行のよい顔色であったとしても、夕方には白骨となるのが命あるものの定めである。
人の命も法印(諸行無常:一定の状態を保ち続けるような常なるものはこの世界には無い。無常なるものに常住不変を求める心に苦が生じる)のうちにあり
瞳を閉じ、長く大きなひと息をもってひきとれば、親族一同が集まり嘆き悲むが、その甲斐もなく白骨に成り果ててしまうことをもって、人の命や一生はなんと哀れで、夢幻の如く虚しいものだと悲観的にのみ思うことは愚かなことだ
毎日年寄りであろうと若者であろうと、数多くの人達が先立っており、人間の生や存在そのものが儚いものであることは、年寄りであろうと、若者であろうと、金持ちであろうと、貧しい人であろうと、健康な人であろうと、病人であろうと、幸福の絶頂にいる人であろうと、苦難に喘ぐ人であろうと、同じであり、互いに明日は死ぬかもしれない身の上にある
愛する人の死に直面し、嘆き悲しみの中にある今こそ 命と生を受けた奇跡と尊厳を今一度しっかり心に刻み 命ある限り精一杯前向きに生きていこうという誓いも立てようではないか。
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