| 2020/07/03(Fri) 09:50:38 編集(投稿者)
横レス失礼します。
■No3419に返信(マジカルモンキーさんの記事) > 確かニーチェは統合失調症になったんだよね、そこは気を付けているつもり。
統合失調(分裂症)という所見もありますが、一番有力なのは「梅毒による進行麻痺性精神障害(梅毒性脳膜炎)」ですね。残っている医者の所見は以下です。 (Panietzsche Room>ニーチェT>第六章>ニーチェの狂気(1)&(2)より)
*********以下、小林真著「ニーチェの病跡 ─ ある哲学者の生涯と旅・その詩と真実 ─ 」より引用*********
ニーチェの既往症および遺伝負因 1.頭痛や眼痛発作は幼少の頃(1858年ニーチェ14歳の日記)よりあり、遺伝性のものと考えられる。 2.父親が脳疾患で死亡。父親の姉妹はヒステリー的でやや病的な人格異常が認められた(ニーチェの母がイエーナ病院で陳述)。 3.母親の2〜3の兄弟は精神的にやや異常で、ひとりの姉妹は自殺し、もうひとりの姉妹は狂気になった。また兄は精神障害に陥った(ニーチェ家と親しいOla hansson家の家族の陳述)。 4.弟Josephは2歳の時に脳発作(脳卒中?)で死亡。 5.1865年、発症したリウマチによる髄膜炎 6.1867年、徴兵中に落馬、胸骨を骨折し、のちにその部分が化膿し数週間の治療を要した。 7.1870年、普仏戦役に志願従軍し、エアランゲンで赤痢と咽喉ジフテリアにかかり、その後、生涯胃の異常(嘔吐や胃痛)を抱ることとなった。バーゼルに帰還した後も黄疸や不眠症に悩まされた。 8.1875年、医師から処方された硝酸銀を服用。 9.1883年、不眠症のため塩素性の睡眠薬を多量に服用。 10.1889年1月7日、トリノでのカタストロフィー(発狂) 11.1889年1月〜1899年5月、イエーナ大学病院での水銀湿布治療。 12.1900年8月25日没
※複数の医学者によるニーチェの病気についての見解 梅毒による進行麻痺性精神障害(梅毒性脳膜炎) 器質的脳疾患 内因性の遺伝性疾患(分裂症、躁鬱病)
1.ニーチェ哲学に対する否定的な見解 (1)W.W.Ireland(医師、1901年英国の医学雑誌へ「F.ニーチェ、その精神医学的研究」と題した論文と発表) 苦痛がかれの精神をを疲労させ、かれの人生への不満を高めたことは疑いない。さらにニーチェの自己中心主義がこうして年を追って高まって行った。永劫回帰や超人の思想は奇怪な思想に過ぎず、ツァラトゥストラ以後のニーチェの著作は不潔やきたならしい書物である。
(2)P.J.Mobius(ライプツヒ大学講師から開業医、1902年発刊「ニーチェにおける病的なもの」著者) ニーチェの著作を読む人々は、ニーチェの全部を読まずに、個々の、みずから気に入った、真珠のようないちばんよいところだけを読む。ただ、その個々の真珠が、目に見えない、きわめてふたしかなひもでつながっている。(気をつけてなさい。この男は精神病者なのですよ。)
2.ニーチェ哲学に対する肯定的な見解 (1)Kurt Hildebrandt(精神科医から転進しキール大学哲学教授 1923年「ニーチェの精神病のはじまり」発刊) 永劫回帰をMobiusが『ニーチェによって持ち出されたもっとも精神薄弱的な考え』と言い捨てることは、哲学者ではないひとりの医学者の軽率な発言である。この理念については専門の哲学者や科学者たちによってもっとまじめに論議されるべきものである。とにかく、一般的に言って、ひとつの詩作品のイメージや理念を軽々しく病的と呼ぶのはたいへん危険なことである。
(2)Katl Jaspers(精神神経科医から転進した哲学者、1935年「ニーチェ─その哲学入門」発刊) ニーチェの病気を進行性麻痺と確定するには、精神病院に収容されている多数の一般の進行性麻痺患者の病状経過との比較も行われねばならないが、こうした一般患者の知的能力は通常ニーチェのそれと比べられないほど低いので、かれらの書筒をニーチェの書筒や作品と対比してみてもほとんど無意味である。創造的霊感の時期には、ニーチェはまたおそるべき深淵をのぞくことによって人間存在の前人未到の認識に達していた。
(3)著者 小林真氏の見解 Mobiusに反して言えば「ニーチェについては、自分の気に入ったところだけをえらんで読み、そこからそれだけの詩的うましさを味わい、それだけの人間的叡智をくみ取って下さい。それらの個々の真珠を結ぶ紐がいかにゆるく、いかにふたしかなものであっても、それを気にかける必要はありません。」ということである。
******************** 引用終わり ******************
(4)パニチェの見解 ニーチェかく語りき 「新しい思想に道を拓き、尊敬されていた習慣や迷信の束縛を破るのは、ほとんどいたるところで狂気なのである。(曙光 14)」 「天才には一粒の塩の代わりに少しの狂気が与えられている。(曙光 14)」
人間の精神は病的なものがあるからこそ、人間の精神でありうる。 病的ではない精神はむしろ感情を有さないロボット(人工無能)のそれである。 人格異常や精神異常とは、能力、特徴、特性、性格の一側面に過ぎず、その傾向は万人が有するものである。 ニーチェの思想が狂気なら、人格神にひれ伏すクリスチャンや信仰者も狂気である。
「善悪の彼岸」や「道徳の系譜」が「ツァラトゥストラ」の哲学的解説書版であったように、「曙光」以降のニーチェの著作は思考プロセスをすっ飛ばして、結論のみを抽出し綴っている。 それぞれの著書の構想や思考過程は、ちくま学芸文庫から出版されているニーチェ全集の別巻3・4「生成の無垢〈上〉・〈下〉」にまとめられている。 ニーチェの著書にある種の異質性や極論を感じるひとつの要因である。 |