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■30688  Re[65]:  言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/05/14(Sun) 10:01:17)
    「鏡と再認の一構造 −H・ワロンの身体意識論− 鈴 木 一 策」を読んで見て、よくわかんなかったけど、これに書かれてあることから、わたしに気づかれたのを書いとく。

    〔ワロンが定式化した・自己知覚,内部知覚,外部知覚,情動〕って鈴木さんは言ってる。
    知覚を「自己知覚」「内部知覚」「外部知覚」って分けてるみたい。たぶん「外部知覚」っていうのは、私の外にあるものの知覚、っていうことだと思う。わたし「外部知覚」だけしか見てなかった気がして反省してる。

    で、それぞれどんな知覚なんかを見て見ると、
    〔内部知覚器の興奮(尿意,空腹など),自己知覚器の興奮(体位姿勢に対して主として関節が感じる)のみを中心として,親と情動的交流をする他ない生後数週間の新生児は,かの条件反射のメカニズムによって,母親と完全に一体となっている。この混同的条件反射は,情動時に周囲に単に共存したものをすべて融合してしまうのである。主客図式では決して把握できぬ事態である。〕(A)
    ってあるから、
    「自己知覚」→体位姿勢
    「内部知覚」→尿意、空腹など
    こんな感じなのかな?
    そして、自己知覚と内部知覚〔のみを中心として,親と情動的交流をする他ない生後数週間の新生児は,かの条件反射のメカニズムによって,母親と完全に一体となっている。〕って言ってる。

    尿意とか空腹っていうのはあるよね。でもそれに「知覚」っていう語を当てる?って思ってネットで調べたら、
    コトバンクのなかに、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    世界大百科事典内の内部知覚の言及
    【知覚】より
    …その意味では,知覚は,対象との直接的接触による直観知への要求を反映した概念ともいえる。事実,われわれ自身の内的状態や意識そのものの把握が,いわゆる五感によるものではないにもかかわらず,ときに〈内部知覚〉などと呼ばれるのは,知覚のそうした理解にもとづいているわけである。そして知覚がそのような対象の直接知と解されるならば,それが知識の最も基礎的な源泉と考えられるようになるのも当然である。…
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ってあった。
    簡単に見て、「内部知覚」=〈われわれ自身の内的状態や意識そのものの把握〉、ってひとまずしとく。

    体位や姿勢をとる知覚のことを「自己知覚」って言う?ネットで調べて見たんだけど
    自己覚知について | 関西福祉大学 (kusw.ac.jp)
    のなかでは、
    〔自己覚知とは、援助者であるワーカー自身が自分の感じ方、考え方の傾向、知識や技量について意識化し、自ら把握しておくことである。〕
    ってあった。「自己知覚」→体位姿勢、となんか違う。
    で、わたし〈体位姿勢をとる〉ということとのための覚っていうのはあると思うけど、この覚に「自己知覚」っていうのを当てないことにした。

    「自己意識」っていうのはあった。
    自己意識 - 脳科学辞典 (neuroinf.jp)
    には、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    自己意識とは、外界ではなく自分自身に向けられる意識のことであり、向けられる自己の側面によって2つに分けられる。ひとつは、他者が観察できる自己の外面(容姿や振る舞い方など)に向けられる公的自己意識(public self-consciousness)、もうひとつは他者から観察できない自己の内面(感覚,感情,思考など)に向けられる私的自己意識(private self-consciousness)である。これらの用語は、注意が自己に向けられた状態を表す公的自覚状態(self-awareness)、私的自覚状態(private self-awareness)と混同されやすく、区別されずに用いられる場合もある。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ってある。

    ちょっとわたしの頭ん中を整理すると、
    @「知覚」を〈内部知覚〉と〈外部知覚〉に区別。
    A「意識」を〈私自身の内に志向する意識〉と〈私の外にあるものものへ志向する意識〉って区別。
    前者を「身体意識」と「自己意識」に区別して(これが〈内部知覚〉とかかわるのかな?)、後者を「他者意識」(これが〈外部知覚〉とかかわるのかな?)ってして見る。「他者」っていうのは「他人」と「他物」の両方をまとめてそう言うことにしてる。
    Bあと、〈私の意識の内での志向性〉っていうのもあるかな。
    まだ上手に整理できてないんだけど、ひとまず。

    もうひとつ、(A)のところの、
    〔母親と一体になっている〕
    〔情動時に周囲に単に共存したものをすべて融合してしまう〕
    〔主客図式では決して把握できぬ事態〕
    に関連して、
    〔私と他者との区別,能動的なものと受動的なものとの区別ができていない〕
    〔子どもの主・客未分状態〕
    〔実際,子どもの身体意識は,知覚を多数つみ重ねていけば獲得できるものではなく,他者との未分化状態から,正確にいえば,鏡像との未分化状態から脱出することではじめて手に入れられるものなのである。この脱出は,単なる認識論的な操作ではあり得ず,対人関係を・文化の秩序,イデオロギーの構造を媒介とした存在論的な脱出なのである。〕
    〔情動融合状態〕
    って言ってる。

    ここで話題となっている「子どものころ」、っていつごろ?っていうことになるんだけど、だいたい0歳〜1歳ぐらい?(ラカンの鏡像段階は生後6ヵ月〜1歳6ヵ月頃のことを言てるみたいだから)
    ひとまず、0歳のころは、〈主・客未分〉の状態、〈私と他者〉あるいは〈私と他人〉あるいは〈自己と他者〉の区別がない状態、って見てるんかな?
    ひとまず、
    〈0歳から1歳6ヵ月のころは自他未分化の状態〉
    ってしとく。

    ってすると、この頃を見ようとするとき、「私」っていうのが使えなくなっちゃうのね。どうしよっかな〜、って。自他未分の私をいろんな括弧で括る、っていう手もあるけど、ちょっと考えたんだけど「体自」っていう語を勝手に作って見た。〈主客図式では把握できない、自他未分化〉の(私)を「体自」って。ま、これは一般的に通用しないから別にいいんだけど、わたしにとってはこう名づけると整理しやすくなった気がしてるけどね。
    No30666にあるような、
    1歳5ヵ月頃の「ものの分類から命名へ」みたいなのかな?

    すべての人は、むかし、母親のおなかのなかの胎児だったことは確かだし、人のばあいいわゆる未熟児で生まれてくるんだし、やっぱ生まれてしばらくの間は「体自」の状態なんだと思う。
    「私」はむかしは「体自」だった、っていう見方をしたとき、大人になるとあたりまえのように私と他人の区別ができてるように思えるんだけど・・・・、ここが問題なのかな?

    いま捉えようとしているのは、「鏡像段階」っていう時期(生後6ヵ月から1歳6ヵ月ころ)をラカンはどのように見ているのか、ね。

    つづく
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