| シリーズ世界の思想『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』古田徹也 著 を読みます。 本日はp81〜。
前回は、思考と論理像についてでした。
====== 三・〇二 思考は、思考されうる状況が可能であることを含んでいる。 思考しうることは可能なことである。
三・〇三 我々は非論理的なことを思考できない。 というのも、仮にそれができるすれば、その場合我々は非論理的に 思考しなければならないからである。 ===== p79の『論考』からのを引用させていただいておきます。
三・〇二で言われている「可能」というのは、あくまで論理的に可能であることを意味する。 前回、私が例として考えて提示した「天の川の上にオムライスが乗っている」というのもそれに当たります。 蓋然性が低くても論理的には可能ということ。
一方、三・〇三で言われているのは。 非論理的なことについてです。
例えば、「@,@,そPDに5かU」のようなランダムな文字列は、何も描き出していないし像ではない。 非論理的な命題を語ることはできないし、思考もできない。
こうした文字列は、論理空間にも入らない、でいいんだよね、と思い・・・。 復習として前に戻り、p48に・・・ ===== 論理空間は論理的に可能な事態をすべて含んでいる。 ===== とあり。 やはりでした。 |