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■23332  Re[91]:  レヴィの人類学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/19(Thu) 19:27:11)
    まだ、わたしの頭の中、レヴィの人類学つづいてる。
    『野生の思考』を読んでて、いまわたしの頭の中では、いろんなのが浮かんでる。現象学のと絡めて、まだそれらがいろんなところにあって、上手に結びづけられないでいる、っていう感じ〜。

    ここで、ここまでの、『野生の思考』のを、わたしなりに考えていってみまし。

    No23042
    【われわれが未開思考と呼ぶものの根底には、このような秩序づけの要求が存在する。ただしそれは、まったく同じ程度にあらゆる思考の根底をなすものである。私がこのように言うのは、共通性という角度から接近すれば、われわれにとって異質と思われる思考形態を理解することがより容易になるからである。】
    から、
    〈近代西洋の知のあり方、分類・秩序・体系化の仕方〉から見て、異質と思われる諸社会を理解するのに、レヴィは「異質」からではなく、「共通性」という角度から接近しようとしている。

    レヴィは、「野生の思考」を【具体の科学】とか【原始的科学というより「第一」科学】って言ってたり、【呪術は科学の隠喩的表現とでもいうべきもの】とも言ってる。「野生の思考」も人における一種の「科学的思考」って見てるのだと見てる。

    こういうなかで、

    では、レヴィにおいて、「野生の思考」と「科学的思考」とはどのようなところが違うのか、を見ていって見よと思います。これまで抜粋したところからつぎのところを抜き出して見ました。

                 ********

    (1)呪術を技術や科学の発達の一時期、一段階にしてしまうと、呪術的思考を理解する手段をすべて放擲することになる。

    (2)呪術的思考は、まだ実現していない一つの全体の発端、冒険、下書き、ないし部分ではない。それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって、科学という別の体系とは独立している。

    (3)呪術と科学を対立させるのではなくて、この両者を認識の二様式として並置する方がよいだろう。

    (4)呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、

    (5)科学の方は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしらの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。

    (6)呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識的に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないだろうか?そうなれば、呪術の儀礼や信仰はそのまま、やがて生まれ来るべき科学に対する信頼の表言表現ということになるであろう。人間は、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまずとり組んだ

    (7)科学的思考は二つの様式が区別される。それらは人間精神の発達段階の違いに対応するものではなくて、科学的認識が自然を攻略する際の作戦上のレベルの違いに応ずるもので、一方はおおよそのところ知覚および想像力のレベルに狙いをつけ、他方はそれをはずしているのである。それはあたかも、新石器時代の科学であれ近代の科学であれ、あらゆる科学の対象である必然的関係に到達する経路が、感覚的直観に近い道とそれから離れた道と二つあるかのごとくである。

    (8)科学はその全体が偶然と必然の区別の上に成立した。その区別は出来事と構造との区別でもある。科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。
                *******

    「呪術的思考」を「野生の思考」ってして見て、
    あと、
    レヴィは「野生の思考」も科学的って見ているようなんだけど、「呪術」ってわたし科学的とは思えない。で、私がイメージするような科学を、ひとまずここでは「今科学的思考」って呼ぶことにして、「野生の思考」(「第一」科学)と区別しとく。

    で、(1)〜(8)をわたしので見て見ると、

    〈1〉「野生の思考」を「今科学的思考」の発達の一時期、一段階にしてしまうと、「野生の思考」を理解する手段をすべて捨ててかえりみないことになる。

    〈2「野生の思考」は、まだ実現していない一つの全体の発端、冒険、下書き、ないし部分ではない。それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって、「今科学的思考」という別の体系とは独立している。

    〈3〉「野生の思考」と「今科学的思考」を対立させるのではなくて、この両者を認識の二様式として並置する方がよいだろう。

    〈4〉「野生の思考」は包括的かつ全面的な因果性を公準とする。

    〈5〉「今科学的思考」は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしらの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。

    〈6〉「野生の思考」は、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を、包括的にそれに感づき、無意識的に把握している。人間は、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまずとり組んだ。

    〈7〉科学的思考は二つの様式――「野生の思考」と「今科学的思考」という二つの様式――が区別される。
    それらは人間精神の発達段階の違いに対応するものではなくて、科学的認識が自然を攻略する際の作戦上のレベルの違いに応ずるもので、
    「野生の思考」はおおよそのところ知覚および想像力のレベルに狙いをつけ、
    「今科学的思考」はそれをはずしているのである。
    それはあたかも、新石器時代の科学であれ近代の科学であれ、あらゆる科学の対象である必然的関係に到達する経路が、感覚的直観に近い道(野生の思考)とそれから離れた道(今科学的思考)と二つあるかのごとくである。

    〈8〉「今科学的思考」はその全体が偶然と必然の区別の上に成立した。
    科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。

    これをもとに考えていって見ま〜す。
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