□投稿者/ うましか -(2021/10/29(Fri) 07:54:59)
| 2021/10/29(Fri) 07:56:45 編集(投稿者)
pipitさん、おくたがわさん、皆さん、おはようございますー
いつもコメントをくださりありがとうございます!
私の力不足でちゃんと返信できませんが(´;ω;`)ウッ…、沼で溺れかけている私にとっては貴重な刺激です。ありがとうございますm(__)m
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◆ 2 空間は、全ての外的な直観の根底にある一つのア・プリオリで必然的な表象である。人はたとえ空間のうちにいかなる対象も見いだされないということを十分考え得るにしても、いかなる空間も存在しないということについては決して表象することはできない。それゆえ空間は諸現象の可能性の条件とみなされるものであり、諸現象に依存する一つの規定とみなされるものではなく、だから外的な諸現象の根底に必然的にある一つのア・プリオリな表象である。
--- No.17945 からの続き ---
◇3 このア・プリオリな必然性に、全ての幾何学的な諸原則の確然的な確実性と、それらの諸原則のア・プリオリな構成の可能性とが根拠づけられている。
◇すなわち空間というこの表象が、一般的で外的な経験から得られた一つのア・ポステリオリに獲得された概念であるとすれば、数学的規定の最初の諸原則は知覚以外の何ものでもなくなるだろう。
◇それゆえ、それらの諸原則は知覚のあらゆる偶然性をもつことになり、だから二点間にはただ一つの直線があるということも、必ずしも必然的ではなくなり、経験がこのことをそのようにいつでも教えるということになるであろう。
◇経験から借用してきているものは比較的な普遍性、つまり帰納による普遍性しかもってはいない。それゆえ人が言いうるのは、いままで認められたかぎりでは三次元以上をもついかなる空間も見いだされていないということだけであろう。
† 原佑訳上巻、p.151参照 †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。 † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。 † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。 † ◆〜は原典における段落とします。
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V−4 No.17945、V−5 No.18058 V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841 U−1 No.16741、U−2 No.16783 T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495
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No.16440,16454,16495,16741,16783,17515,17588,17841,17945,18058
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