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■27452  Re[51]: ソシュールの「言語学」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/11/12(Sat) 17:40:56)
    No27370で「ロゴス」の意味をまとめて、
    (a)言葉(言語)→「言語学」
    (b)内的な、知的な、思考的な(論理とか理性的な)→「論理学」
    (c)「語ること」は、「見えるようにさせること」。そしてこれによって「見えるようにされたもの」
    ってなりました。

    「言語学」について、ソシュールのをネットから調べたの、一部コピーしとくことにする。
    No27365にソシュールをもちだしたけど、もうちょっと。

    (A)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    シニフィアン/シニフィエ(英語表記)signifiant/signifi&#233; フランス語
    日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
    言語学の用語。言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが導入した概念。もともとフランス語で「シニフィアン」は「意味するもの(能記)」、「シニフィエ」は「意味されるもの(所記)」にあたる表現だが、彼の講義の記録から弟子の手によって死後編集され出版された『一般言語学講義』Cours de linguistique g&#233;n&#233;rale(1916)では、これがそれぞれ「聴覚映像image acoustique」および「概念concept」という、シーニュsigneすなわち言語記号の二つの構成要素を指す用語として用いられていた。
     一般言語学を構想することでソシュールが引き受けた課題は、なにより言語学の対象を再規定するということであったが、これに取り組むなかで彼は、言葉を物の名前ととらえる伝統的な言語観(言語名称目録観)を批判する。この言語観のなかでは、一つ一つの語と指示対象とがそれぞれ独立して存在することが前提とされ、言語とはその既存の両項のあいだに打ち立てられる、ある関係として考えられている。しかし実際には、ある記号がその記号であり、その記号がこれこれの意味をもつということは、他の記号との差異によってはじめて定まるのであり、したがって言語記号は物のように実在するというよりも、むしろ心的な、体系のうちで対立化された差異の束として実現する。いいかえれば、言語記号は実質substanceであるというよりむしろ形相formeである。そしてこの差異の体系のなかでは、xでもyでもないものとしてのzというかたちで否定的に規定されたシニフィアン(聴覚映像)とシニフィエ(概念)が同時に切り出されることになる。これらはいずれも心的なものであり、物理的な音や指向対象(語によって指されている実在のもの)とは区別されなくてはならない。またこの切り出しによって定まる、記号相互の関係は「価値valeur」、各記号におけるシニフィアンとシニフィエの関係は「意味作用signification」と呼ばれた。こうした考え方を通じてソシュールは、記号がすでに分節化された世界に付される単なるラベルではなく、世界の分節化そのものを支えるダイナミズムを秘めていることを示した。『一般言語学講義』では以上のように規定された言語記号について、同じ対象でも言語によって呼称が異なるということにみられる「記号の恣意性」と、シニフィアンが聴覚映像であるかぎりで時間のなかを線的に展開されるという「シニフィアンの線状性」の二つの原理が指摘されたが、特に前者は言語における意味の問題にかかわる重要な論争の発端となった。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (B)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ランガージュ/ラング/パロール(英語表記)langage/langue/parole フランス語
    日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
    言語学の用語。言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが、一般言語学をめぐる議論のなかで区別した、言葉の三つの契機。ランガージュ(言語活動)とは、言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを可能にするさまざまな能力およびそれによって実現される活動を指す。この能力、活動には、発声、調音など言語の運用に直接関係するもののほか、抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれる。これに対して個々の社会のなかで、記号のつくり方や結び付け方、あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたものをラング(言語)という。フランス語や日本語といった各国語や、方言といった単位がこれにあたる。さらにこのラングという枠組みのなかでランガージュを機能させることにより実現する、具体的に発せられた個々の言葉がパロール(言)とよばれた。のちにフランスの言語学者A・マルティネAndr&#233; Martinet(1908―1999)は、両者の関係をコード(送り手と受け手のあいだで共有されている記号の構成規則)とメッセージ(コードにもとづいて構成・解説される記号)の関係になぞらえている。ただしラングはけっして一方的にパロールを規制するばかりではなく、実現したパロールの側から影響を受けて変化するものでもあるという、相互依存的な関係にあると考えられていた。
     ソシュールによるこの区別は、言語学の対象を厳密に規定しようとする彼の努力のなかに位置づけることができる。19世紀の比較言語学では、さまざまな言語の比較を通じて、それらのあいだの親族関係を解明する作業が進められていたが、各国語という伝統的な文法学の枠組みを超えたその作業のなかでは、言語をめぐる思考が陥りがちな、とりわけ言語を実在としてとらえることから来る混乱が明らかになった。ソシュールの死後弟子の手により編纂され出版された『一般言語学講義』Cours de linguistique g&#233;n&#233;rale(1916)はこの3区分を導入した上で、個人的、偶然的なパロールとは区別された社会的、本質的なラングをこそ言語学本来の対象として規定し、ある時点での体系を記述する共時言語学とその時間のなかでの変化をとりあげる通時言語学との区別を提示した。これは言語体系の静的な構造にまず注目する20世紀の構造主義言語学の流れをつくることになる。ただしソシュール自身は、パロールをその発声といった物理的、生理的側面と選択や結合といった精神的、心理的な側面にわけた上で、この後者の意味でのパロールの言語学をも構想していた。そもそもランガージュ/ラング/パロールの3区分は、言葉を一つの固定した実在としてではなく、複合的契機からなる力動的、弁証法的なプロセスのなかでとらえることを可能にするものであり、こうしたとらえ方はメルロ・ポンティやラカンらによって継承発展させられた。  
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (A)からは、
    「シーニュsigne」(言語記号)の二つの構成要素として、
    (a)「シニフィアンsignifiant」 → 「意味するもの(能記)」(聴覚映像image acoustique)
    (b)「シニフィエsignifie」(eの上のチョンは省略) → 「意味されるもの(所記)」(概念concept)
    ってしてる。
    フッサールの言語の機能については、
    No27311に書き写したのね。

    わたしに関心があるのは「意味」。
    フッサールは【意味を通じて世界と関わる】って言ってて、そしてわたしにとって、「意味」ってなあに?ってなって、このごろこれにもまた取り組んでるんだけど、なかなかとらえどころがなくて、これはまたあとで。

    (B)から、
    (c)「ランガージュ(言語活動)」
    言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを可能にするさまざまな能力およびそれによって実現される活動を指す。この能力、活動には、発声、調音など言語の運用に直接関係するもののほか、抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれる。
    (d)「ラング(言語)」
    個々の社会のなかで、記号のつくり方や結び付け方、あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたもの。
    (e)「パロール(言)」
    フランス語や日本語といった各国語や、方言といった単位がこれにあたる。さらにこのラングという枠組みのなかでランガージュを機能させることにより実現する、具体的に発せられた個々の言葉。
    っていうふうにソシュールは分節しているのかな。

    簡単に見ちゃうよ。
    ソシュールの「言語学」は、
    「言語活動」において、
    (1)「ラング(言語)」は〔文法〕に関わること。
    (2)「パロール(言)」は〔具体的に発せられた個々の言葉〕。
    っていうことかな。
    わたしの見立てでは(1)は学論的で、(2)は素朴的経験的、っていうことになる。
    で、わたし日本語で「言語」と「言葉」を区別することにした。
    「お喋りする」ことにおいて、そこで使われているのを、学論的に見るときは「言語(ラング)」として、素朴的経験的に見るときには「言葉(パロール)」として。
    原初のは「言葉パロール(具体的に発せられた個々の言葉)」で、これらから学論的に「言語(ラング)」という文法に関わるものが抽出されてるんだと思う。

    (B)にメルポンが出てきてるけど、『知覚の現象学』のなかの〔表現としての身体と言葉(パロール)〕p289−の部分をもういちど読み返してる。

    いま、わたしの頭ン中、ごっちゃごちゃ。
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