| ■45691 / ) |
Re[105]: :つれづれなるままに
|
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2026/04/12(Sun) 11:49:14)
| No45690につづけて
(MC3)―――――――――― 身体について言えば、それも意識の面前で構成される対象のひとつとなって、客観的世界の内に加えられる。そしていかなる自然も能産的認識の相関者としてしか考えられないから、〈認識〉を自然の一出来事として扱うことはもはや問題とならないことになる。もちろん意識は、知覚という意識の出来事の秩序が身体や身体的諸現象の函数として、自然法則によって決定されるとうことを自分でも認める。その意味では、意識は、世界を構成している諸関係のなかに組み入れられうるわけであり、したがって世界の一部としてもあらわれる。そこで意識には、2面があるように思われる。一方では、意識は〈宇宙の場〉であり、世界のいかなる肯定も意識を予想しなければならないが、他方では、意識は世界によって条件づけられるものでもあるわけである。従って、批判哲学の第一の契機は、いかなる身体的・心的出来事からも導出されえない〈意識の一般形式〉と、しかじかの外的出来事やわれわれの心理―生理的機構の特殊性に結びつけられてはじめて現実的に存在する〈経験内容〉とを区別することになろう。前者は、自分のしている認識分析の正当性を主張するために、後者は、知覚を支配する外的諸条件や、知覚の際に感じられる知覚の受動性を説明するために必要なのである。 カントの「超越論的感性論」の意味は、だいたいこのようなものである(33)。(p127) 原注(33)――――――― 「超越論的感性論」(バルニの仏訳)は、〈経験内容〉ばかりではなく、ついには〈空間形式〉それ自身をさえ、人間の構成した〈偶然的なもの〉にもとづけているほどである。(P186) ――――――――――――――――――――――――――――
|
|